原発の処理水放出はやり直すべきだ

福島原発事故による処理汚染水の海洋放出について、日本政府はどうして全魚連などに対して理解し納得してもらう十分な努力をしてこなかったのであろうか。風評被害の補償さえすれば良いというものではない。 先に書いたように、全漁連などの漁業者とは「関係…

原発処理水の放出、政府は約束を守れ!

8月24日の朝日新聞によれば、「処理水放出24日にも」という大きな見出しの下に、「一定の理解と首相ら判断」「全漁連会長らと面会、きょう正式決定」と書かれている、しかし、そのすぐ後には『漁業者は懸念「反対変わらぬ」』と出ているではないか。 ど…

忘れてならない戦争の記憶は被害よりも加害

戦争といえば、アメリカとの太平洋戦争のことばかりが言われる。圧倒的な国力の差で初戦を除き、日本は一方的に大打撃を受けて敗れたので、戦争の記憶といえば、玉砕や転進、悲劇の沖縄戦、東京や大阪をはじめとする都市の空襲、広島、長崎の原爆など、被害…

戦争の話をした人、しなかった人

今振り返ってみると、私は1928年生まれなので、1930年から始まった満州事変、上海事変から支那事変(日中戦争)それに続く大東亜戦争(太平洋戦争)と、1945年に17歳で海軍兵学校生徒として敗戦になるまで、殆ど戦争の中で育って来たことになろ。 まるで当時…

国破れて山河あり

敗戦によって海軍兵学校はなくなり、大阪へ帰ってきた。 国のため、天皇のために死のうと覚悟していたのに、その国がなくなり、大日本帝国に純粋培養されて育ったような私にとては、敗戦は単に戦争に負けたことだけではなかった。それまでの私が生きる根拠と…

8月15日は敗戦の日

1945年8月15日は雲ひとつない暑い夏の日だった。 もうその頃は、日本国中が空襲によって殆ど灰燼に帰し、国民の食料もままならず、当時私は海軍兵学校の生徒であったが、帝国海軍の軍艦はほとんど全滅し、日本の空の制空権も奪われ、本土決戦を覚悟しなけれ…

熱中症警戒アラーム中の高校野球

今年もまた夏の甲子園の全国高校野選手権大会が始まり、連日テレビで中継している。今年で第105回と書いてあるが、この大会は戦前の中学校の大会から続いている伝統的な大会である。しかし、近年のように異常とも言える高温が続いているのを見ると、ここらで…

原爆は平和な街に落とされたのではない

広島、長崎への原爆投下の8月6日や9日を迎えて、原爆投下に対する非難の声が強くなっているが、折角、広島で行われたG7 の会合では、広島出身の岸田総理が議長でありながら、原爆の抑止力としての存在を認め、原爆禁止の世界の潮流にさえ乗れなかった日本政…

十代の遺書

南千里の吹田図書館のあるビルの八階に、吹田市立平和記念資料館があり、そこの催しで原爆被害の絵の展示などをやっているというので行ってきた。以前に北千里に長らく住んでいたので、南千里あたりも懐かしい所であるが、もう長らく南千里駅で降りたことも…

95歳の動画が大人気

7月に孫たちが久し振りにやって来て、私の95歳の誕生日を祝ってってくれた.その時に「95歳の祖父の毎朝」”My 95yr old Japanese Grandpa Morning Routine”と「95歳の祖父のある日」”A Day in the Life of My 95 Y .o. Japanese Grandpa”というショートムー…

この目で見た広島の原爆投下

また8月6日の広島への原爆投下の日がやってくる。もう実際に原爆投下の惨状を我が目で見た人は少なくなってしまっているであろうから、生き証人としての私には、生きている限り、それを伝える義務があるように思われる。 これまで何度も触れたことがあるし、…

自発的従属論(2021.02.12)再録

「自発的従属論 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著 ちくま学芸文庫(ラ11・1)」という本を読んだ。著者は16世紀中頃、フランスのボルドーの高等法院に勤め、30歳代に夭折している人物である。モンテーニュが親しい友人であったので、著者の死後、この著書…

国民よりアメリカ優先の日本政府

上は2023.07.25.朝日新聞「天声人語」の記事である。日本の防衛省は一体日本の国のためにあるのか、アメリカに忠実に仕えるためのものか疑わねばならなくなるような態度である。 これはおそらく防衛省に限った問題でなく、他の省庁などにも共通した現代の日…

また8月がやってきた

今日は7月31日。今年もまた8月がやってきた。以前にも8月は特別の月だということを書いたことがあるが、毎年同じことの繰り返しにしても、私にとっては、8月はやはり特別な月である。 もともと子供の時から、8月は夏休みで学校を離れ、海水浴やお祭り、花火…

”最後の決戦”

最後の海軍兵学校生徒であった私がもう満九十五歳になるのだから、あの戦争を実際に知っている人はもうごく少数だけになってしまっている。 菅首相が沖縄へ行って、一国の宰相でありながら「私は戦後生まれだから戦争のことは知らない」と言ったのには呆れた…

トイレのドア

駅などにある公衆トイレの個室は、昔は使用されていない時も、扉が閉められているのが普通でしたが、最近は空いた個室のドアは開けたままにしておくのが普通のようです。扉が開いていると誰にも空いていることがすぐ分かるので利用者に便利です。 それでも昔…

この国の将来これでいいのか?

最近のこの国を見ていると本当に情けなくなる。 戦争に負けて国中が焼け野が原となり、闇市、買い出し、たけのこ生活、ララ物資で飢えを凌ぎ、浮浪者、餓死者が街に溢れ、占領軍は日本人の娼婦を連れ、そのジープに子供達が「ギブミーチョコレート」と言って…

「スズメの戸締り」と「君たちはどう生きるか」

宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」と、新海誠監督の「スズメの戸締り」というアニメ映画を続けて見た。 言うまでもなく、二人とも日本を代表するアニメ映画の作者であり、宮崎駿監督は長い間「風の中のナウシカ」「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」…

我が家に泊まった外国人たち

もう半世紀以上も前のことになるが、娘がアメリカへ旅行した時に、「サーバス」という、相互に泊めたり泊まらせて貰ったりする、民間の国際的な組織を見つけ、それを利用してニューオリエンズで大変歓待されたことがきっかけになって、女房が乗り気になって…

羽化の途中で死んだ蝉

いつまでも梅雨のような鬱陶しく蒸し暑い日が続いていたが、そろそろ梅雨も明けそうである。それとともにに今年もまた蝉が鳴き始めた。蝉といえば忘れられないのが、羽化の途中で死んだ蝉のことである。 ある夏の朝、庭に出てみると、地面に近い小枝の上で、…

庭木で家屋の建設年代がわかる

現在私が住んでいる町は、明治時代に阪急電鉄の創設者小林一三氏が、がサラリーマン向けに分譲した所である。一区画が百坪から二百坪ぐらいの生け垣や板塀で囲われた住宅が並んでいたが、今では、古くからの住民は最早死に絶え、殆ど住民も入れ替わり、敷地…

子供の時の東京の友達たち

前註:(おことわり) 『昔のことを思い出して、以下の文章のようなものを拵えて、こんなものも載せたらと思って用意したが、たまたま、昔の文章の目録を見返して見ていたら、すっかり忘れていたが、既に2020年4月11日に全く同じようものを書いて載せている…

95歳の誕生日

まさかこの年まで生きるとは思わなかったが、いつしか95歳になってしまった。 17歳の夏に、日本が戦争に負け、それまで自分が全てをかけて来た大日本帝国が突然消失し、生まれてからそれまで育ってきた全ての世界を失い、混乱した世間の中で、この先どう生き…

野口英世の伝記

子供の時に、誰からだったかは忘れたが、野口英世の伝記を読みなさいと言って渡されたことがあった。当時の野口博士は、日本人として細菌学の領域で、黄熱をはじめ梅毒その他多くの伝染病の病原体を発見し、世界的にも有名で、ノーベル賞の候補にもなった人…

原発汚染水の放出

日本政府はIAEAのお墨付きをもらって、いよいよこの夏からでも、福島原発の溜まりに溜まった汚染水を太平洋に流すことにしたようである。 これまで福島の工場の敷地内に、千以上ものタンクを作って汚染水を保管してきたが、それもいよいよ満杯になって来て、…

スマホ時代の風景

もうこの頃はどこへ行ってもスマホを持った人ばかりである。昔は電車に乗ったら新聞や週刊誌を読んでいる人が多かったが、最近は電車の中で新聞や本を読んでいる人は滅多に見かけなくなってしまった。 その代わりがスマホである。電車の中では、座っている人…

河原は住民のオアシス

現役で働いている頃は、川は電車が鉄橋で渡る時に見るぐらいのもので、窓外の景色の転換点ぐらいでしかなかったが、仕事を辞め家で過ごす時間が多くなると、近くの川との関わりが深くなる。 我が家の近くを流れる猪名川は大阪府と兵庫県を区切る二級河川であ…

あまりにも情けない日本

上のいくつかの図は最近の日本の国力の国際比較の結果を表しているものである。同様な比較はまだまだあるが、どれを見てもあまり芳しいものはない。今更1990年代半ばの日本の絶頂期を思い出しても意味がない。現実はあまりにも厳しい。今や世界の中での日本…

朝食は植物園のテラスで

六月になって暑くなってくると、もう午後の散歩は続けられない。毎年この頃になると、起きがけの散歩に切り替えている。 昼間は暑くても、早朝はまだ涼しくて気持ちが良い。4時には起きているので、早い朝食を済ませてから出かけたり、軽い朝食の弁当を作っ…

遠くの親分より近くの兄貴

昨年の9月29日は日中国交正常化50周年記念日であった。1972年の同日に田中角栄が訪中して周恩来氏総理と会談し、日中国交正常化を成し遂げ、同時に台湾と断交したのであった。 それより半年早く、同じ1972年の2月にニクソンが訪中して上海共同コミュニ…