桜と兵隊  

 春はやはり桜である。今年も桜を見るために入院させられていた病院から無理に退院させて貰って桜を見に行った。桜を見ないと春になった気分になれない。

 それほどの憧れとも言える桜であるが、すっかり忘れてしまっていたが、桜を見ると戦争を思い出して嫌な気分が戻ってくるので、長い間、花見は気が進まない年月が続いていたことをふと思い出した。

 かって桜はパッと咲いてぱっと散るところから潔い武士道と結び付けられ、そこから軍隊の象徴とされていき、旧帝國陸海軍では至る所で利用され、桜と軍隊は切っても切れない間柄となっていたものであったのである。従って戦後もその記憶が強く、軍隊がなくなってもその亡霊には桜がいつまでもまとわりついてのであった。

 例えば、大勢で花見の宴にいても、ふと幔幕の後ろからやつれた兵士が覗く気がしたり、満開の桜並木を見ると「万朶の桜の花の色・・・」という軍歌の響きと共に、隊列を組んだ兵士の亡霊たちの軍靴の響きが聞こえて来たりしたものであった。

 神社の満開の桜の下には忠魂碑があり、「出征兵士万歳」の声が聞こえ、その歓声の端に赤子を抱いた若い女性の亡霊のような姿が浮かんだりしたものであった。また、海軍兵学校の校庭を埋め尽くす様に咲いた桜が目に浮かぶと「貴様と俺とは同期の桜・・・咲いた花なら散るのは道理・・・」という歌が思い出され その先に人間魚雷「回天」が海を背景に置かれた景色が思い出されて来たものであった。

 そんなことがどれだけ続いたことであろうか。桜は私にとって長らく戦争と結びついて離れられなかったのであった。それでも、いつしか忘れていたが、もう10年以上の前であろうか、大阪城公園へ桜を見に行った時、たまたま、迷彩服を着た自衛隊の兵士が2〜3人、桜の木の下で休んでいるのに出会し、思わず昔が黄泉がえりドキとさせられたこともあった。

 幸い、その後も戦争がなかったお蔭か、戦争の影がようやく消えて桜を本当に愛でることが出来るようになったのはいつ頃からだったのであろうか。今では桜はやはり春の象徴である。もう二度と桜と軍隊や戦争結びつけて欲しくない。桜のように散って靖国神社へ逝くような世の中だけは絶対避けてほしいものである。