現役で働いている頃は、川は電車が鉄橋で渡る時に見るぐらいのもので、窓外の景色の転換点ぐらいでしかなかったが、仕事を辞め家で過ごす時間が多くなると、近くの川との関わりが深くなる。
我が家の近くを流れる猪名川は大阪府と兵庫県を区切る二級河川であるが、川は単に水を流す通路ではなく、住民の生活とは切っても切れない関係があるものであることを次第に知るようになった。
川はその時の雨量によって、水が川幅いっぱいに流れ、時には堤防の決壊、洪水を心配しなければならない時もあるが、逆に渇水で、所々に設けられたダムでようやく水量を維持している時もある。
それに、川は単に水が流れるだけのものではなく、流れの両岸には、広かれ狭かれ、上流から運ばれてきた砂によって作られた広い河川敷が拡り、そこには草むらや砂地が作られ、時には大きな木まで育って小さな林を作っている所さえある。
私の住んでいる近くの猪名川も、両岸ともにすっかり都会化されてしまっているが、河川敷にはかなり広い草地や砂地が広がっている。それを利用して野球場が何面も出来、その間には陸上のトラックやサッカー場も作られており、一番端には子供用の遊戯設備の置かれた広場も備えられている。
また、川の流れの中には、所々に流れを阻むダムが拵えられてあり、それによって水流が調節されているが、それを利用して、子供達が水遊びをして水に親しめるように、緩い流れの副流を作っている場所もある。
また川に沿って堤防の道が長く続いているだけでなく、河川敷にも自転車道を兼ねた歩行者用の道が作られ、遠くまで続いている。この猪名川の左岸の堤防の上には、空港からの高速道路も走っており、丁度池田と川西のあたりで川を斜めに横切っている。また、この近くには、川を横断して、中国縦貫高速道路や国道が二本、川を渡っている。更に川の西岸に沿っては、JR福知山線が走り、それと直角に川を横断する阪急宝塚線も見える。
そしてこれらの背景には、池田側から見れば、川西の山の上にまで住宅街が広がり、その奥に石切山や長尾山が見える。遠くは宝塚六甲山系の山々がつながり、川西側から見れば、池田の街並みやマンションの後方には五月山が眺められる。
こうした中で、この猪名川の存在が何よりも大きいのは、近在にない広大なオープン・スペースを作ってくれていることである。ビルやマンションその他、住宅地に埋め尽くされた大阪の近郊でのこの広大な空間は、北部に広がる山々とはまた違った自然を提供してくれて、人々の心を慰めてくれている。
大きな川の存在は、思いの他、自然を豊かに感じさせてくれるし、住民もそれに応えて、その豊かな自然を、そこに生きる野生の植物や小鳥などとともに、利用させて貰っている。
河原の景色は日々変化し、何処までも続く冬の立ち枯れた褐色のススキや他の雑草の草原は、春ともなればいつしか緑が増え始め、たちまちにして緑一色の草原と化するとともに、たんぽぽやクロバーから名も知らぬ雑草たちが花を咲かせ、それもどんどん新陳代謝されていく。
冬の間人影の見えなかった野球場、サッカー場も春とともに、多くのチームで賑わいだし、河原の遊技場や高速道路の下に作られたドラゴン遊戯場などにも子供たちの姿が見られるようになる。時には老人クラブのゲートボール大会も開かれてる。 競技の応援団や見物客も多くなり、乗ってきた自転車が並び、家族の運んできた携帯用アームチェアの賑わう日もある。
団体だけではない。一人で来てゴルフのパターの練習や、犬の散歩や訓練、ピッチングの練習、凧揚げ、鉄棒や体操、更にはキャッチボールやテニス、バレーボール、羽つきなどに興ずる人たちも現れる。更には、密集した住宅街では出来ないラッパや管楽器の練習を河原で楽しむ人も見られる。
河川敷から堤防に目を移せば、堤防の上の道路には朝早くから散歩する人、ジョッギングする人の姿が見られるが、そのうちにサイクリングする人たちがいく組も見られるようになる。私たちも夜明けの清々しい空気を吸いながら、どれだけこの遊歩道の散歩を楽しんだことであろうか。堤防沿いには桜並木もあり、堤に生える季節の草花も散歩する者を楽しませてくれる。
この堤防上の道は、昼になると、工場の休みを利用して、走っている人、歩いている人が見られるようになるが、河原に降りる階段に腰掛けて、景色を見ながら食事をしている人がいるかと思えば、孤独を愛する人なのか、何もしないで、ただじっと座って川の流れに見入っている人もいる。階段と言えば、朝方、階段を何度も上り下りして体を鍛えている人を見かけたこともある。
歩くにしても休むにしても、広い河原はそこにいるだけで人の心を鎮め、気分転換してくれる。じっとしていても、時々伊丹空港を飛び立って上昇していく飛行機の姿が見られる。上昇しては消えていく飛行機に託して、遠い世界を夢見ることも出来るであろう。
夜は目さえ良ければ満天の星空を眺めることも出来るのではなかろうか。今では私には夜の空には月と金星しか見えないが、昔は満天の星、天の川や北極星、北斗七星、カシオペア座にオリオン座、蠍座まで見えて、夢を膨らましたものであった。
また対岸の河原には、気候の良い週末には、決まって幾組かのテントが張られ、家族でキャンピングしてバーベキュウなどしているのが見られる。どうしてあんな街中のような河原でキャンプしなければならないのか訝ったが、家が狭く庭がない、近頃多くなった閉鎖的な構造の家の中でただ寝るだけでは、たまに解放感が味わえる非日常が有難いのであろう。
河原の楽しみはこれだけではない。川に設けられたダムから落ちる水の音を聞きながら落差は1〜2メートルに過ぎないが、川幅いっぱいに水の落ちるダムを眺められる小さな広場があり、私は勝手にリトル・ナイアガラと呼んでいるのだが、幅広いダムを上流から流れ落ちて、岩の間を流れていく水の姿が面白く、それが河川敷へ惹きつけられる一つの理由にもなっているのである。見る毎に、その日の水量などによって流れ方が変わり、いつ見ても見飽きない。
更には、草花については先に触れたが、もう一つ忘れられないのは、川に引き寄せられる小鳥たちである。烏に鳩と雀が一番ピュラーだが、河原にはその他に水鳥たちもいる。多くの白鳥が群がっているのもよく見られるが、黒い鵜が集まっているのに遭遇することもある。それに見逃せないのが、孤独な青鷺が水辺でじっといつまでも立ち止まっている姿である。季節によっては鴨が群をなして泳いだり岸へ上がってきて鳩と共存しているのを見ることもある。
その他、たまに鳶もいて、決まった人が時々飛んでいる鳶を目掛けて餌を高く投げているのを見かける。そう言えば青鷺に餌をやる人もいて、いつも鷺が先にやってきて高いところに止まって待っており、餌やりの人が来たらうまく餌をキャッチしては飛び去っていくのも見られた。
ひと頃はスズメよりも多くの鳥が河川敷のあちこちに屯していたこともあった。セキレイインコがあちこちでひょこひょこぴゅうーと飛んでいくのもよく見られるし、ジョウビタキが一羽でひょっこり顔を出したこともあった。春にはツバメも飛んでいる。色々な鳥がいるが、皆それぞれにうまく共存し、うまく住み分けているものである。
こう見てくると、川は単なる水の通り道ではなくて、随分、色々なことに利用されていることがわかる。こうも深く生活と結びついてしまったこの猪名川の河原なしには、最早私の生活そのものが成り立たないのではないかとさえ思われるぐらいである。