春の服装

 1年ぶりにまた孫たちがやってきた。孫といっても、もう一番上が30歳になるので、それぞれの仕事の都合もあるので皆一斉にとはいかず、お互いに少しづつずれながらの来訪となった。

 こちらはますます歳をとっていくし、今年は突然の血小板減少性紫斑病という難病まで背負わされているので、もう孫たちに会えるのも、これが最後になるのではなかろうか。

 それはともかく、びっくりしたのは孫たちの服装である。まだ4月である。夏日に近いと言われる日も出没しているが、朝夕など我々老人にとってはまだ肌寒く、私などヒートテックの下着にシャツだけでは寒く、上にセーターやカーディガンを引っ掛けている。

 ところがアメリカからやって来た孫たちの服装には驚かされた。姉の方は水着にも近い様な露出度の高いシャツというのか、何というのか知らないが、上半身はそれ一枚、それに長いスカート姿、弟の方は半袖シャツに短ズボンという出立ちである。いくらなんでも寒いのではないかと心配させられるが、本人たちは当然の様な感じでいる。

 いくら温かいアメリカから来たと言っても、あまりにも大きな違いに驚かざるを得なかった。もちろんそれぞれが自分の好みに合わせて着れば良いことであって、他人が口を挟む様なことではないが、この違いは年齢の差によるものなのか、それとも日頃の習慣の違いによるものなのであろうか。

 それを見てつい昔のことを思い出した。1961年に初めてアメリカへ行った時のことである。当時はまだ貧しい敗戦国の日本で、300ドルしか外貨を持ち出せず、飛行機はまだ高く、貨客船で10日もかけて太平洋を横断してサンフランシスコへ辿り着いたのであった。

 そこで見た街の光景を忘れることは出来ない。5月の初めであった。街を行く人々の服装に驚かされたのであった。毛皮のコートを着て歩いている中年の婦人のすぐ横を、まるで水着の様な格好をした若い女性が颯爽と歩いて行くではないか。他の人たちもてんでバラバラな格好をして歩いている。

 当時は日本ではまだ衣替えの風習が残っており、5月までは冬服、6月から9月までが夏服ということで、6月1日に銀行にでもいくと皆の服装が一斉に白い夏服に変わっているのに驚かされたものであったが、アメリカではそんなことにお構い無しに、皆がそれぞれに好きな様な服装で過ごしているのであった。

 今でこそ日本でも衣替えの様な社会的風習も影を潜め、皆が好きな様に自分の服装を選んでいるが、それでも季節の変化に従って、だいたい似た様な服装に落ち着いているのは、周囲に合わせようとする日本の風習が、今でも残っているからであろうか。

 孫たちの服装を見て、昔を思い出し、改めて文化の違い、気候の違い、年齢の違いなどを感じさせられた。