行動範囲が狭くなる

 いつだったか、歳をとって隠居してからの私の行動範囲について、近在のあちこちをあげて説明したことがあったが、毎日の散歩の範囲というと、以前に行っていた所でも、遠方はもう無理で、ごく限られた範囲になってしまっている。

 今でも一番よく行くのは、何といっても池田駅周辺である。日用品の買い物や本屋覗きをしたり、クレパと称する駅前広場や、マツモトキヨシ前の屋内広場のベンチに座って一休みすることが多い。そこで一服してから、何処かへ行ったり、何処かへ行った帰りに、そこへ寄って一休みしてから、帰ることになる。

 散歩はそこから始まるようなもので、東は市役所前を通り、市民病院、辻が池公園あたり、南はますみ公園から猪名津彦神社、西は駅とは反対方向になるが、呉羽橋を渡って、川沿いのドラゴン公園、小戸神社、北は絹延橋あたりから、五月山公園下あたり、歩数にして五千歩から八千歩ぐらいのところを、日替わりであちこち行くことにしてきた。

 気候の良い時は昼間に行くが、夏場は朝早くに行くことにしている。もう五月山の中腹の緑のセンターや水月公園などは無理である、それどころか、上にあげた場所にさえ、途中でしんどくなって、手前の公園で一休みしたり、途中で休んでそこから引き返すようなことも起こるようになってきた。

 年と共に体力が衰え、疲れ易くなったのをひしひしと感じさせられる。スマホで過去の一日の歩数を見てみると今年の春でも六千歩、九千歩などの記録があるが、今ではもうとても無理である。それでも歩ける限りは散歩は続けたいと思っている。

シルバーウイーク

 九月十五日が老人の日だと思っていたら、いつな間にか変わってしまっていた。秋分の日とくっつけて、秋にも連休が作られていた。今年はは九月十九日の土曜日から始まり、二十日の日曜日、二十一日が敬老の日となり、二十二日が国民の休日とか訳のわからない日を挟んで、二十三日が秋分の日となり、5日間の連休が出来たようである。シルガーウイークというらしい。

 今更、連休だと言われても、この歳ではもう何処にも行けないが、天気予報を見ても、台風が近づいて来ているようで、若い人たちの旅行も心配である。家にいるのが賢明のようである。

 それはそうと、毎年敬老の日の頃になると、老人がこの時だけ脚光を浴び、例年の如く、最高齢は男性では112歳の誰それさん、女性は114歳の誰とか発表され、また、100歳を超えた人が何人になったとかも公表された。

 それによると、1963年に初めて調べられた時には、百歳超えは僅か153人しかいなかったのに、その後の老人人口の急速な伸びにより、1981年には1,000人を超え、1998年には1万人、更には、今年は昨年より7,914人増えて、遂に10万人を超えて、107,677人になったそうである。巷を見ても老人社会になった訳である。もう100歳を超えても自慢にもならない。

 昔、父が90歳を超えてからは、毎年寿と書かれた分厚い座布団が市から配られてきたが、使われることもなく、ただ押し入れに溜まっていっていたことを思い出すが、もう今では100歳にでもならないと、市からの挨拶など考えられないであろう。

 この100歳越えを性別で見ると、女性が94,298人を占め、男性はわ僅か13,379人しかいないのである。平均寿命で見ても女性が87.3歳に対して,男性は81.3歳と差をつけられている。

 私も今年の正月に医師会の白寿の祝いをして貰ったから、次の正月が来れば、数え年なら百歳ということになる。満年齢までにはまだ間があるが、来年には背中に100の背番号でも貼って歩こうかと思ったりしている。

個人情報保護などというけれど

 九月十二日の朝日新聞の一面の見出しを見ると、トップの見出しには「陸自、民間人の情報収集」と大書してあり、その横には「協力者づくり名目、思想・性的嗜好も」とあり、次に、同じ一面の左方を見れば、「デジタル庁24万件漏洩」と書かれ「基幹システム政府職員らの情報」とあり、「不正アクセス」とつけ加えられている。こうした個人情報の漏洩や不正取得はいずれも初めてのことではない。似たようなことはこれまでのも繰り返されている。

 前者は故意、後者は失策なのであろうが、個人情報保護が言われていても、実際には、あちこちで個人情報はじゃじゃ漏れで、決して静かに大切に保護されているようなものではない実態が浮かびあがっている。

 これを見ただけでも、個人情報保護と言われながら、一旦登録された個人情報が如何に杜撰に扱われているかが分かる。当然、マイナンバーカードなどの情報や他の登録した記録なども、決して完全に秘匿化されているものではないと認識すべきであろう。

 ましてや、統計などでの個人名を隠した利用が合法とされているぐらいだから、記載されている個人を識別した全ての情報への接触が可能になっていると見るべきであろう。デジタルの発達した世の中である。最早、個人情報は秘匿出来るものではなく、政府の意向によって、既にいつでも把握されうるものになっていると理解されるべきであろう。

 こうして国民の各個人の情報は、例えばマイナンバーカードからだけでも、性別、生年月日、住所などの基本情報ばかりでなく、住所などは勿論、各免許の取得状況、その違反の有無、病歴から治療状況状況、薬の処方などまですべて立ち所に判別出来るようになっているのである。他の政府や地方の役所に提出されたものについても同様である。全てこれらの個人情報が犯罪捜査や他の目的にもコッソリ利用される恐れも当然あると考えるべきであろう。

 もはや個人情報は個人の秘密ではなく、全てが当局に掴まれていて、利用されているものだという前提で物事を判断すべ機時代になっているのだということを自覚した方が良さそうである。

 

あちらもこちらも線状降水帯

 昨日、今日、テレビをつけたら朝から晩まで大雨に注意しろという警告や、線状降水帯とか大雨による危険情報、避難しろとの勧めが繰り返されたり、道路や家屋への浸水の場面ばかりが映し出される。

 それも昨日名古屋だったら、今日は千葉や東京だったり、南大阪だったりで、日本国中が日替わりで、線状降水帯に見舞われて被害を出しているようである。土砂降りの雨の中を車が大きな水飛沫を上げながら走ってる映像が映ったと思ったら、家屋への浸水で家具が浮いてしまったり流されているのが映し出される。  

 一旦水に浸かってしまうと後が大変なのである。それを思うと他人事であっても自分だったらどうするだろうかと暗澹たる気持ちになってしまう。床下浸水であっても、浸かった水は単なる水ではなく、外の汚染物を含んだ泥水なのである。溜まった水をかき出しさえすれば良いというものではない。汚染対策で、綺麗にしてから、消毒までしなければならないのである。老人だけで出来る仕事ではない。

 それでもそんなのはまだ良い。アンダーパスですっぽり屋根まで水に浸かっている車の写真も見せられた。乗っていた人は亡くなられたらしい。大雨の時はアンダーパスのような所は危険だと判っていても、いつもの通り道で他の車が走っていたら、当然問題ないと思っても仕方がないであろう。ところが線状降水帯のような急激に来る大雨の時には、急激に低い所に水が溜まり、いつも通っていてすぐ抜けられる道とわかっていても、危険なことがあるようである。

 このあちこちを襲った大雨災害も、この夏の世界的な異常な猛暑、酷暑、それに伴ったと見られる山火事の多発や、ヒマラヤの氷河の大崩壊などにつながる地球規模の温暖化につながるものであろう。さて来夏はどんな夏になる事であろうか?

 

2017年の概算予算要求143兆円とか

 新聞によると来年度の予算要求額は概算で143兆円、今年度と比べて20兆円ばかり増えているようである。しかし、何兆円だのと言われても我々の日々の生活とあまりにもかけ離れている数字なので実感が伴わない。

 せいぜい庶民にも分かる金の範囲は億単位ぐらいまでであろう。億なら、まだ億ションなどと新聞にも出て来るので、何とかすごい額だなというぐらいは判るが、もうそれ以上となると、実感を伴えない。

 億でさえ雲の上の数字なのに兆となれば、数字で書けば、1,000,000,000,000円と0が12個も並ぶ。庶民の日常生活には全く関係のない天文学的な数字である。同じ国の予算の話にしても、明治時代の日清戦争の戦費が2億5千万円、日露戦争のそれは20億円とかで国家予算の3倍だっただとか教えられたものだが、それの比べると月とスッポンで比較しようもない。

 尤も、当時とは金の価値が違うので比べようもないが、年とともに、お金の値打ちが落ちて来たものである。我々の子供の時には今の十円銅貨が一銭銅貨で、まだ銭の下に厘も生きていた。軍隊では、馬は高い貴重なものだが、兵隊は一戦五厘でいくらでも代わりがあると言われたものであった。当時、葉書の値段が一銭五厘だったので、それで徴兵できたのである。

 今でも金の値段はどんどん下がっている。やがては予算は何兆円でなく、何京円ですなどという日もやってくるのではなかろうか

法師蝉を聴かなかった夏

 例年お盆を過ぎる頃になると、庭でツクツクボウシが鳴き出し、季節の進むのを感じさせられていたが、今年の夏は特別暑く、暑い暑いと言っている間に、いつしかお盆も過ぎてしまったのに、いつまで経ってもツクツクボウシの声を聞かず、とうとう九月になってもう一週間を過ぎてしまった。

 例年夏の終わりには、庭で法師蝉が鳴いて夏の終わりの近いことを知らせ、「もう夏も終わりだぞ。いつまでもポヤポヤしてたらあかんぞ」と尻を叩かれたものだったが、それがないと何だか大切なものを無くしてしまったような気がして。心細い感じさえする。

 女房に聞くと、二、三回ぐらいは聞いたと言うし、朝日新聞の歌壇にも「法師蝉ひねもす鳴きて鳴きたらず」という高知県の人の歌が載っていたので、絶滅したわけでもなさそうだし、そうかと言って、私の耳の聞こえが悪くなったので聞こえなかった訳でもなさそうである。

 それでも、夏を通して一度も聞けなかったことは、絶滅していなくとも、個体数が減少したため、たまたま我が家の庭には来なかっただけかも知れない。それにしても、こんなことは初めてである。夏の初めのニイニイゼミを見なくなって久しいが、ひょっとすれば、法師蝉も同じ運命を辿るのかも知れないという不安に駆られた。だとすれば、少し寂しい気のするのは私だけではなかろう。

 地球の温暖化など人類の活動が自然の変化をもたらし始めているこの頃の地球では、最早、自然は不可逆的な変化を起こし始めているとも言われるようになって来ている。我々を取り巻く自然にも、あちこちで微細な変化が積み重なって行っているのかも知れないと、ふと思った。

 

近くの散策

 80歳を超えて毎日は仕事に行かなくなってからは、天気の良い日にはなるべくかかさず散歩に行くようにしてきた。仕事に行っている間は、近くの事情にはあまり関心がなかったが、時間的な余裕が出来ると、近在のあちこちを探索したくなり、歩いて出かけることが多くなった。

 池田市内は勿論、箕面や能勢、豊中などの北摂は勿論、兵庫県の川西、伊丹、宝塚あたりはもう殆ど歩き尽くしたといっても良いぐらいあちこちへ行ったものである。

 箕面は子供の頃に住んでいたこともあり、箕面の滝までは月に一度、秋の紅葉時には2〜3度は必ず行くことにしていた。箕面の山は裏道まで殆ど歩き尽くした程である。昔は遠方からも昆虫採集に人が集まったのに、今や殆ど昆虫を見なくなったのが寂しい。

 また、池田の五月山はすぐの裏山なので、いつの間にか殆どのルートを行き尽くすぐらいに登っている。あちこち猪が掘り起こしていった山道が懐かしい。

 気候の良い時には、よく朝早く女房と一緒に、五月山の緑のセンターまで登り、景色を見ながら朝食を取り、ラジオ体操に間に合うように急いで家へ帰るようなことを繰り返したこともあった。

 家から箕面まで歩いて行ったこともあったし、川西へは駅前の阪急や、絹延橋の方に出来たショッピングセンターへは買い物や散歩で手軽に歩いて行っていた。川西から福知山線に乗ってあちこちへ行ったことも多い。

 また阪急の石橋までは、いつも歩いて行き、馴染みのギャラリーや市民センターへ行っていたし、途中から少し北によった水月公園も散歩の目的地だった。観梅や菖蒲鑑賞には欠かせな居場所であった。落ち梅を拾って帰り、梅酒を作ったこともあった。時には石橋の阪大キャンパスや辺りを彷徨いたこともあった。古い屋敷を引き継いだ料亭を訪れたこともあった。

 伊丹へは昔は池田からバスがあったが、その後はJR川西池田駅から行くようになったが、時には猪名川の河川敷を通り、猪名川大橋を渡って南下し、緑道を通って歩いて行ったことも何回かあった。途中の寿司屋へはよく行ったし、蜂蜜を求めたこともあった。

 宝塚へも良く行ったが、途中に中山観音もあるし、古い巡礼道が続いているので観梅ばかりか、奥之院を経て清荒神へも抜けたし、売布神社駅には行きつけの映画館もある。勿論宝塚の花の道やその奥にある美術館へ行くことも時々あった。

 こういった散策が老後の日常の楽しみの一つであったが、もう白寿を過ぎ、歩行補助器に頼らねばならなくなってはちょっと無理、行動範囲もすっかり狭くなって、思い出だけが残っている。それでも近くは今も毎日散歩出来ているのでそれでよしとするべきであろう。