「あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの はひふへほ まみむめも
やいゆえよ らりるれろ わいうえお」が今の平仮名であるが、私の子供の頃は 「わいうえお」は「わゐうゑを」であった。片仮名でも、「ワイウエオ」ではなく「ワヰウヱヲ」だった。
文章で書く時も「要る」は「いる」で「居る」は「ゐる」、「駅」は「えき」だが「絵」は「ゑ」だった。わ行の「ゐ(ヰ)「ゑ(ヱ)「を(ヲ)」は、もとはWを含んだウィ、ウェ、ウォような発音を持っていたようである。
我々の子供の頃は玄関をゲンカンではなく、はっきりとゲンクァン(genkwan)と発音している人が多かった。回転もカイテンではなくクワイテンと発音されていた。豪華絢爛もゴウクァクエンランだった。
発音は時とともに変わるもので、例えば最近は 敬礼(ケイレイ)は多く(ケーレー)と発音されるが、黎明(レイメイ)が(レーメー)、命令(メイレイ)がメーレーと言われることが普通になって来ている。
今でも和歌や俳句などではこの旧仮名や発音が用いられることがあるようである。また蝶々のことは「てふてふと」書くのが普通であった。これは中国語の蝶々の発音が「てふてふ」に近く、それから来ているらしいが、今でも「ちょうちょ」でなく「てふてふ」と描かれることも珍しくない。
最近得た知識では、今のハヒフヘホは奈良時代にはパピプペポだったそうで、平安時代になるとファフィフゥフェフォになり、室町時代から江戸時代にかけて次第に現在のハヒフへホが定着して来たのだそうである。
また、戦前の頃は、まだ普通に話している時のような日本語を口語体と言い、その他に書き言葉として、古くからの文語体がまだ用いられており、男子の書状などはまだこの昔からの候文で書かれることも多く、戦争中私たちも、海軍兵学校から故郷の大阪の父親に当てた近況報告などでも、この文語体を用いていたものであった。
「拝啓御父上様:時局益々多難な折、御父上様におかせられましては益々ご健勝の事と存じ奉り候。さて・・・」と言ったようなものであった。書いていて、何だか他所他所しい感じがしたものだったが、当時はまだそれが男の普通の手紙であった。
私が生きている間の短い時間の間にも言葉もずいぶん変わってしまうものである。
