生野長屋大学

 昨年の暮れにヒョンなことから、生野区にある「長屋大学、ぽんぽこキャンパス」という所に連れて行って貰った。娘の関係で、誘われて出かけたのだが、それは生野区の今里や鶴橋、有名なコリアンタウンからも遠からぬ所にあり、古い長屋をリノベーションして、ミモザ食堂と称し、昼はカフェ、夜はバーとして営業しながら、大人も子供も共に学び楽しめる場所を作りたいという思いから、コミュニティ・スペースを提供している所である。

 2階はボードゲームで常時遊ぶことが出来るスペースになっているそうだが、店をレンタルスペースとしても使えるようにして、料理教室や種々の部活動、その他の会合などが行われているようで、ごく最近には、近所に恐竜に詳しい子がいて、その子が先生になって、子供も親も一緒になって恐竜教室を開いたらしい。

 オウナーの女性の話によると、子育てで孤立し、色々問題を抱えて悩んだのを教訓にして、色々な世代の人たちが一緒になって、共に学び、共に語り合えるような場所を作りたいと考えて始めたものだそうである。

 今回は、そこで、もう亡くなった人であるが、旧日本海軍の兵曹長で、ミッドウエイ海戦にも参加し、その後トラック島で餓死寸前となった人の戦争体験を語ったユーチューブの映像を皆で見て、その後、戦争について語りあおうという企画で、もう戦争の体験者が少なくなってしまった中で、たまたま私を見つけて、お誘いがかかったものであった。

 始めは遠い所だし、寒いので、遠慮させてもらおうかとも思ったが、戦争のことなら、やはり若い人に少しでも語り継ぐのが老人の義務かと思い、出席させて貰った。しかし、結果としては行って良かった。最近は若い世代の人たちと話す機会など殆どないので、違った世代の人たちの話を聞けただけでも成功だったと思う。

 ミッドウエイ海戦やトラック島での飢えとの戦など、知らなかったことも含まれており、改めて戦争のことを思い出したが、それより後のフリートーキングで、来ていた人たちの質問や私の思い出話、戦争や当時の日本の国の態度、現在の政治や社会の話、若い人たちの考えなど色々聞けて面白かった。二十五歳から九十三歳までの人たちの話で、取り留めもないことでも一緒に話し合うこと自体が有意義なことだと思われた。

 今や人々がバラバラになって、社会の結びつきが少なくなり、孤独死や独居老人などが社会問題化し、政府も相談窓口を作るなりの対策に乗り出し始めたようであるが、この長屋大学のような、誰もが気軽に立ちよることが出来、お互いに笑って帰れるような場所があちこちに出来れば、社会的にも随分有意義なことではなかろうかと思われる。

 今では隣近所の人たちとの交流さえ殆どなくなり、同じマンションの住民同士でも、お互いに顔も知らない、挨拶も交わさないような状態なので、何か災害や不時の出来事が起こっても有効な助け合いも進まないのではなかろうか。是非こういった人々を結びつける任意の場所があちこちに作られ、そこで気軽に話し、気軽に聞いたり教えたり出来ると良いであろう。

敵基地攻撃能力

 最近は総理大臣までが敵基地攻撃能力だなどと物騒なことを言い出すようになってきた。憲法9条には、はっきりと軍隊は持たないとされているのに、今では世界でも有数の軍隊を持ち、憲法違反としか言いようがない。それどころか、明らかに自衛の範囲を超えた先制攻撃まで口にするようになって来ているのである。

 その上、中国の台頭による米国の戦略によって、沖縄や南西諸島の島々に自衛隊の基地を次々に整備し、米軍と共同運営すると言い、次々にアメリカの武器を大量に買い、着々と軍備を整えている。しかも、「台湾有事は日本の有事」などと言い出す者さえおり、戦争の準備が着々と進められていると言っても良いぐらいである。

 渡辺白泉の句をもじれば

    戦争が廊下の奥に戻って来た

 まるでかっての悲惨な沖縄戦や太平洋戦争のことなど、なかったかのようである。しかも一番危険なことは、今の自衛隊アメリカ軍の指揮下にあることである。この南西諸島の軍備増強もアメリカの指示によるものとしか考えられない。

 こちらからの敵基地攻撃があれば、当然相手からの反撃を受けることを考えなければならない。小さな島の基地が攻撃を受ければ、住民は逃げる場所もない。故郷を離れて島から逃げ出すしか生きる望みのない、悲惨な目にあうかしかなくなる。沖縄戦の二の舞である。

 アメリカにとっては、沖縄も南西諸島も攻撃に便利な前線基地に過ぎない。自衛隊に戦わせればよいし、攻撃され破壊されても、逃げれば良いだけである。沖縄の住民の犠牲など、戦に伴う二次的な問題に過ぎない。

 基地がなければ攻撃されないだろうし、戦争が起こっても、孤島は戦力を持たずに無防備で中立を保てる可能性もある。アメリカ軍は日米安保条約があったとしても、決して日本を最後まで守って戦うようなことは考えられない。

 前線基地はその時の戦略によっては、放棄した方が良いことも起こる。太平洋戦争の初戦時に、マッカサーが ”I will return”と言って、アメリカへ逃げ帰ったことを思い出す。その後、フイリピンが戦時中どんな目にあったかは歴史が教えてくれている。

 朝日声欄に、私と同じ同じ93歳の老人が「戦争を知らない世代が今、国を主導していることに私は強い危機感を抱いた」として自分の戦時中の体験に基づき、「現今の国際情勢では自衛は欠かせないが、敵基地攻撃能力と改憲は、国民を再び不幸に陥れることになる。戦争の悲惨を体験した者の責務として絶対に反対する」と述べている。

 またその二週後の声欄には、戦争で父を亡くした八十三歳の老人も、「先制攻撃は侵略に他ならない。我が国の対応は他国の攻撃発射の後の自衛と迎撃の範囲にとどめねばならない。それが日本国憲法の認める限度である」として敵基地攻撃能力と先制攻撃は絶対に認めてはならないと訴えたい」としている。

 アメリカの言いなりでは、戦争が起これば、今度こそ日本は莫大な損害を被り、再起不能の破滅の不知に陥りかねないであろう。日米安保条約を廃棄してでも、日本はあくまでも、不戦、中立を保つべきである。

満年齢か数え年か

 今のように年齢を満年齢に言うようになったのは戦後のことである。昔は数え年で言うのが普通であった。そんなわけで皆年齢を二つ持っていることになるので、その場その場で、自分に都合の良いように使い分けることが出来る。

 若い時には他人に馬鹿にされないように、年齢を偽って実際よりも歳を多くいう傾向がある。私と同級生だった手塚治虫は若い頃、実際には昭和3年生まれなのに大正15年だと嘘をついていた。この頃の青年は満年齢より数え年を使いたがったものであった。

 しかし、成人して社会の働き手の中堅となると、次第に若さを強調したくなる。若さと能力が武器となる。当然数え年より少しでも若い満年齢の方が適している。人は嫌でも歳をとっていくが、年と共により若さを強調したくなっていくので自然と満年齢が定着して行ったのであろう。

 特に女性には年齢にこだわる人が多い。昔どう見てももう中年だった知人の女性と佐渡島へ行った時のことである。船に乗るのに申告書に年齢を書く欄があったので、何歳か確かめようとして盗み見をしたら、三十五歳と書いてあり、明らかな詐称に驚かされたものであった。

 五十代、六十代と歳を取っていくとともに、ますます少しでも若く見せたくなるのが人情である。髪を染めたり、かつらを被ったり、若作りをしたりして、年を誤魔化そうとするが、そのうちに還暦、古希、喜寿という年齢の節目と共に嫌でも自分の歳を自覚させられていくことになる。

 ところが、その先、男八十歳、女八十七歳の平均寿命のを超えて、米寿、卒寿も過ぎるようになっていくと、今度は逆に、それだけ長く生きたことが密かな自慢になってくるのである。

 元気なうちにと、米寿、卒寿は数え歳で祝う人が多いそうだし、九十歳も越えれば、自分の年も多い方が自慢になるので、数え歳で言いたくなる。私もここ一、二年、数え歳でいうことが多くなってきた。現在、満年齢では九十三歳であるが、この正月で数え年で九十五歳になったので、キリも良いので、九十五歳になったと言っている。

 そんなところに、朝日新聞に載っていたある歌人の記事が面白かった。短歌の投稿の書式に、名前はともかく年齢の記入は必須ではないが、高齢者には自らそれを記してくる人が多いそうで、その中には例えば91歳2ヶ月と月まで書いてくる人がいるそうである。これは七十代までの人では皆無で、全てそれ以降の人の特徴だと書かれていた。

 歌人は自分の年齢だけでなく、月齢まで意識して生きる人々の存在を知って驚かれたようであるが、満年齢だけではまだ足りない生きてきた年月を誇りにしたい高齢者の自己表現なのであろうと思われ、同感するところであった。

日米地位協定の抜本改定の要求

 日本平和委員会が沖縄はじめ全国の米軍基地での新型コロナ感染拡大問題について、以下のような要求書を政府に提出しています。

 沖縄や岩国、横須賀などの米軍基地を通じての、オミクロン株によるコロナ感染の拡大、第6波により、再び国民は多大の犠牲を強いられることになったが、その原因となった米軍の感染対策を徹底させるには、日米地位協定を改定して対等な関係の条約にしなければならない。

 この不平等な日米地位協定は、単にこのコロナの問題だけに関係しているのではない。殆どの沖縄の人々の希望に反しての辺野古基地建設、米軍による沖縄の市民生活上の数々の不都合。羽田空港の歪んだ空域、ヘリコプターの低空飛行、本州の広い空域での米軍の自由な飛行、米軍機や米軍人による数々の犯罪や事故など・・・多くの問題の解決に欠かせないものである。

 憲法改正よりも、はるかに差し迫った国民の命や健康に関わる日米地位協定の平等な条約への改定が優先されるべきである。この日本平和委員会の要求をぜひ一人でも多くの人に読んでもらいたく、ここに転記させて頂く。

 

 

内閣総理大臣岸田文雄殿
防衛大臣岸信夫殿
外務大臣林芳正殿

 

沖縄はじめ全国の米軍基地での新型コロナ感染拡大問題

米軍関係者の入国制限を行い、日本の検疫を義務付けるよう、日米地位協定の抜本改定を改めて要求する

 

2022年1月4日 日本平和委員会

 昨年12月20日に私たちは、在沖米軍基地での新型コロナウイルス感染拡大の事態を受けて、「米軍関係者の入国制限を行い、オミクロン株検査をはじめ日本の検疫を義務付けるよう、日米地位協定の抜本改定を要求する」との要請を行った。2022年年頭の深刻な事態は、この要求がいっそう切実なものになっていることを示している。

 沖縄県では、在沖米軍基地9施設で昨年12月15日から1月3日までに、新型コロナウイルスの感染者がキャンプ・ハンセンでの512人をはじめ832人確認されている(沖縄県発表)。一方で、沖縄県民の新規感染者数も爆発的に増加している(3日に130人で1週間前の26倍増、年明け3日間の合計は233人)。オミクロン株感染者も計88人となっている。外務省によればキャンプ・ハンセンで発生したクラスターをめぐり、PCR検査を行った検体の47%がオミクロン株と認定された(12月29日。検体数は不明)。

 この感染拡大について玉城デニー知事は、「在沖米軍基地につきましては、昨年12月初旬、部隊移動により米本国から渡航前PCR検査を受けずに沖縄の米軍基地に来た部隊から感染が広がり」「基地関係者を中心に確認されていたオミクロン株が市中感染でも確認されており、デルタ株をしのぐ勢いで急速に置き換わりが進んでいる」と指摘している(1月2日)。

 米軍岩国基地山口県岩国市)でも12月29日に基地関係者80人が感染(30日には27人)。1月3日には山口県で感染した56人中44人が岩国市在住者で、山口県の村岡知事は「米軍関係者の影響の可能性が高い」と述べている(1月4日付、東京新聞)。米軍横須賀基地(神奈川県横須賀市)でも、12月30日、新たに米軍関係者75人の感染が確認され、うち69人は国外から日本に最近到着した者だった(共にオミクロン株感染状況は不明)。

 まさに、在日米軍基地が入国制限と検疫の抜け道となり、市中感染が広がっている可能性が濃厚な事態が各地で生まれているのである。しかも、在日米軍出入国時の米軍関係者にPCR検査を免除していたことも明らかになり、慌てて政府が要請し、12月30日以降、到着24時間以内の検査実施を行うという事態が生まれた。これは、「在日米軍は、日本政府の水際対策に整合的で厳格な措置をとっている」というこれまでの政府の説明が、何の根拠もなく、日米地位協定の下で、米軍任せになっていたことを浮き彫りにするものである。米軍が沖縄県の要請した日本の機器でのゲノム解析を拒否し、感染者の所属基地の内訳、陽性者や濃厚接触者の療養状況についての情報提供に非協力的であること。沖縄県などが基地外への外出禁止を求めている最中にキャンプ・ハンセン所属の米兵が酒気帯び運転で逮捕されるなど、マスクを着けぬ米兵が外出を繰り返している事態にも、厳しい批判が向けられている。

 この根底には、「米軍に特権的な地位を与え、十分な感染予防対策に関する情報の共有もままならない等の状況を作り出している、日米地位協定がもたらす構造的な問題」(玉城知事)がある。私たちは改めて、日本政府に対し、米軍基地内での感染防止措置が厳格に実施されているかどうか自ら検証し、米軍関係者にも入国制限措置を厳格に適用し、米兵の外出や、日米共同訓練への参加をはじめ米軍の国内移動を禁止すべきこと。基地従業員の感染防止や、従業員家族のPCR検査の実施などを徹底的に行うこと。そして、根本的には、米軍関係者の出入国を管理し、検疫ができるよう、日米地位協定を抜本的に改定することを求めるものである。

註:日本平和委員会は、1949年設立、北海道から沖縄まで全国47都道府県で、草の根から平和を創るために活動しているNGO(非政府組織)。地域や職場、学園にいる3人以上の会員で作る基礎組織が全国に約500あり、約1万8000人の会員数。

「思想・信条・政派の違いをこえて、規約に賛同する個人をもって構成される個人加盟の団体」1人ひとりの自発的な思いこそ、平和を守り、つくる力の土台だと考えている。
 

卒寿翁の年賀状

 卒寿も過ぎれば、年賀状も年と共に減ってくる。近所のお米屋さんが郵便を扱っており、例年11月になると「今年は何枚のしましょう」と聞いてくれていたが、年と共に枚数が減り、何かお米屋さんに悪いような気がしていたが、昨年からお米屋さんがもう郵便の取り扱いをやめたので、今年は近くの郵便局で求めた。

 仕事を辞めてもう長くなるので、仕事関係の賀状が減るのは当然だが、九十歳代ともなれば友人、知人たちも多くが既にあの世に行ってしまい、アイウエオ順の名簿を見ても、殆どのページが上から下まで黒線で塗りつぶされていて、間に孤島のように残された名前が飛び飛びに見られるだけになってしまっている。全員が抹消されているページも増えるばかりである。

 出す賀状が減れば当然来る賀状も減る。例年、年末に喪中の挨拶が来るが、それも昔なら親とか年長者の喪だったのが、近年は連れ合いだったり、兄弟だったりが多くなり、間には本人の死を家族が知らせてくれるものもある。歳をとって年賀の挨拶をやめた人も何人かいる。

 正月に受け取った賀状も、普通の賀状も沢山あるが、息子さんの代筆のものや、息子の名前の横に小さく添えられているだけのものも見られる。施設に入ったも者もいるし、消息のわからなくなってしまった人もいる。元気な友人で、「お互いに少し歳を取りすぎたようだ」と書いてきた者もいる。ただ、もうてっきりあの世へ行ってしまったのではないかと思っていた人からの賀状は嬉しかった。娘さんと併記されていたので、やはり実態は心配だが、まだ生きていてくれたのかと少し安堵した。

 少し若い友人や知人からの頼りでは、仕事を辞めただの、役職を退いたなどの知らせが多かったが、七十五歳まだ頑張るぞとか、趣味のことなど羨ましい元気な姿を知らせてくれたものも多かった。

 もう少し若い人たちからの賀状では、昔、仲人をしたカプルの子供がもう三十三歳になったとか、なかなか子供に恵まれず、人工出産を希望したので産科医に紹介した後に生まれた子がもう成人したという知らせ、この間、生まれたばかりと思っていた子供がもう小学校へ行く等など、こちらの思いより遥かに早く年月は経っていくようである。

 スマホやパソコンの時代と共の年賀状が次第に姿をひそめ、デジタルの方に賀状も移って行っているそうだが、始終やりとりのある仲間内ならそれでも良いが、殆ど年に一度だけの、遠くからの賀状には捨て難い懐かしさや楽しみがあるものである。細々とになっても何とか続いて欲しいものである。

国民の命より米軍駐留が優先するのか

 以前からコロナ対策としての水際作戦の抜け穴として、日米地位協定による米軍人やその家族などの検疫なしの国内基地への移動や基地からの外出が指摘されていたが、それが現実の問題となった。

 12月上旬に1000人規模の兵隊が米本国などから日本の検疫を受けずに沖縄入りし、オミクロン変異種のクラスター感染が基地の米兵の間に広がり、基地からの自由な外出によって、地域住民に広がった。米兵やその家族には基地外に住む者もおり、マスクなしの飲酒運転で捕まった兵隊もいたとか。

 せっかく岸田首相がさしあたりの目玉政策として、先頭に立ってオミクロン感染を何とか水際で食い止めようとしていたのに、思わぬ伏兵に足を掬われたのである。毎日新聞には「岸田首相も米軍に憤慨」などとも書かれていたが、米軍相手ではどうにもならず、たちまちのうちに第6波が始まってしまった。

 全国の感染者の分布を見ても、沖縄をトップに、岩国基地のある山口県や、すぐ隣の広島県、横須賀などに集中しているのである。国内でも、暮れから正月にかけての全国的な人の移動も重なっていたので、たちまち全国的にオミクロン株が拡がってしまった。

 沖縄の玉城知事は米軍に厳重に申し入れたが、米軍の反応は鈍く、日本政府に『米軍の入国停止』『基地からの外出禁止』を米国に要求することを申し入れたが、日本政府の反応も遅い。何日も経って、ようやく林外務大臣アメリカのブリンケン国務長官に申し入れて、米軍も日本の防疫対策にあわせて対処することになったらしいが、もはや手遅れである。

 これらの根本にあり、この十分な感染防止策や情報提供もない状況をつくり出しているのは、日本側がコントロール出来ない日米地位協定の構造的な問題によるものである。

 流石に国民の反発も強く、「入国の停止などのしっかりとした措置を米側に求めるべきだ。それができないなら、もう独立国とは言えない」とか、「日本政府はまず在日米軍の無責任なコロナ対応に抗議し(満身の怒りをもって)、少なくとも日本国内と同等の措置を約束させるべきです」「市民の安全を守らずして何が安全保障か」等と多くの声が上がっている。 日本平和委員会も1月5日に日米地位協定の改正を求めて政府に要望書を出している。

 それにもかかわらず、政府の態度は煮え切らない。岸田首相は在日米軍が感染拡大の原因となったとの指摘に関し「現時点で感染拡大の原因、あるいは感染ルートを断定するのは難しい」と述べているが、米軍と地域住民のオミクロンは遺伝子解析の結果でも同一だし、感染の経過を見ても、少なくとも沖縄などの状況は米軍からの感染であることは間違いないであろう。

 しかも、国民の強い要望にも関わらず、6日、岸田首相は在日米軍部隊の検疫や新型コロナウイルス感染拡大防止対策を米側に委ねる根拠となっている日米地位協定について「改定は考えていない」「現実的な対応が大事」と語ったそうである。

 国民の命より米軍の駐留が政府にとってはより重要だというのであろうか。政府は強く米軍に抗議し、この際、多くの国民生活の妨げとなっている日米地位協定を改定して、国民の健康を守るべきである、それが政府なとって何よりも優先すべきことではなかろうか。

初詣での行列

 いつの頃からだろうか。正月になると家の近くの神社から溢れた参拝客が神社に通じる道に延々と長い行列を作るようになった。今年も行列は神社の外だけでも70〜80米も続いていた。

 話を聞けば、このような行列は正月には、ここだけでなく、あちこちの神社でも見られる現象らしい。昔はこのようなことはなかった。それだけ参拝客が増えたわけではない。戦前、国民が半ば強制的に神社の参拝をさされた時代には、参拝客は今より遥かに多かったはずだが、参拝のために道路にまで溢れてこんなに人が並ぶことはなかった。

 考えてみると、昔の初詣などの時には、皆が一斉に神社の境内に入って、拝殿の前の広場は所によっては身動きもならないぐらいに人でぎっしり埋まることもあったが、参拝客が並んで順番を待って参拝するようなことはなかった。

 皆が一斉に我先にと拝殿を目指すので、混雑してなかなか皆が拝殿の正面にまで行き着けない状態ともなり、拝殿に近づけた人たちでも皆が正面ばかりでなく、横の方からも後ろからも一斉に参拝するような格好となったものであった。

 神社もそれに対応して、初詣の時にはいつもの賽銭箱ではなく、大きな布などで横幅の広い大きな臨時の賽銭箱?を準備し、参詣客は大勢が一斉にお賽銭を投げてお参りしたものであった。当然、大勢の人垣に阻まれて最前列までは進めず、人の後ろや横から遠くに賽銭を投げる人も多く、お賽銭が賽銭箱に入らず、神社の庇や階段などに落ちるようなことも珍しくなかった。

 西宮恵比寿の初詣の一番乗りの競争や、神社の大騒ぎのお祭りなどかららも分かるように、本来神社詣では大勢で賑々しくやるもので、その勢いに乗せられて個人もお参りするような感じのものであった。静かにお参りする時でも、大勢一緒であれば、皆が拝殿の前に並んでお参りすることも多かった。もちろん個人で参詣に行った時などは、個別にお参りしたが、それでも行列に並んでお参りしたようなことはなかった。

 そう言えば、最近は何でも行列して順番待ちである。知らない人と一緒にということも少ない。昔は電車に乗るにも押し合いへし合い、買い物でも早い者勝ちが多かったが、今は何処へ行っても、誰かに指示されなくとも、皆が黙って行列を作って順番を待つのが社会の自然なルールになっている。

 従って、神社の外で順番待ちに並ぶ人たちも、時代の趨勢で、他人が並んでいるからそれに従っているだけのようである。決して並んででも、是非とも参拝しなければという強い信仰心から並んでいるわけでもなさそうである。

 神社の氏子制度もなくなり、お祭りも廃れ、平素の神社とのつながりもない人が多くなった現在では、おそらく、神も以前の人たちの場合よりさらに遠いのではなかろうか。神社参拝も宗教というより漠然としたアニミズム的超越者への神頼みのようなものであろうか。

 ただ習慣としての正月の行事の一つとして、人並みに済ませるために、気軽に行列を作って順番を待ってお参りすることになっているのではなかろうか。それが日本人の神さまのようである。

トイレは外で

 年末の土曜日の朝、散歩して隣町のターミナルまで行った。10時少し前に着いたので、少し待って、駅の隣のビルの本屋に行った。新書版の本のコーナーを覗いてから、本屋の裏のあまり目立たない所にあるトイレに行った。

 先にトイレに歩いて行く人がいたので、その後について行った。トイレには、男子用の個室が二つあったが、片方はすでに誰かが占拠していた。先を歩いていた人は空いていた方の個室に飛び込むように入ったが、私がトイレの着いた時には、まだ扉も開けたままで中で突っ立ていた。どうしたのかと一瞬思ったが、その人はすぐにそこから飛び出して、廊下を引き返して行った。

 そこは和式だったので、諦めたようだった。私は小用だったので、それなりに済ませていると、すぐ後から若い男が入ってきて、その和式トイレを覗いて、すぐに諦めて引き返して行った、

 私がトイレから出ようとすると、またまた、別の男が入って来て、同じように個室を覗き込んでいた。私はそのまま出てしまったので、その男が個室を利用したかどうかは知らない。ただ、この短い間に四人もの人が、次々とビルの4階の、しかも本屋の裏にある余り目立たないトイレに、それも休日の開店早々に来ていることに驚いた。

 ビルは10時会場で、私は開くと同時に入って本屋に行ったのである。ビルが開いてからトイレに行くまで5分か10分位しかたっていない筈である。そんな時間に、続いて四人もの人がわざわざ4階まで上がって来て、本屋を通り抜けて裏のトイレにやってくるとはどういうことなのだろうか。

 土曜日の朝の10時である。この頃は家で朝食の後、トイレに行く習慣のない人が多いのであろうか、トイレは外で利用するものと決めているのであろうか。普通に考えて、ゆっくりした休みの日だから、出掛けるにしても、急ぐことはないだろうから、開店を待ってトイレに駆け込まなければならない人がこんなに多いのは不思議な気がする。

 思い出せば、最近は大阪駅新大阪駅などの大きな公衆トイレに行くと、男子トイレは個室に長蛇の列が出来ていることが多い。小用を済ませようとすると、その長蛇の列を通り越さねば、朝顔に辿り着けないようなことが多い。

 列車の待ち合わせ時間を有効に使おうとしているのであろうこともわかるが、最近は用を済ませるのは外でと決めている人が多いのかもしれない。昔はトイレが何処も不潔であったし、殆どが和式であったので、外で用を足すのは余程のことがないと躊躇されたものであった。ところが、最近はどこへ行ってもよく整備されており、清潔なので、そういう抵抗感もなくなり、気軽に利用する人が増えたのであろうか。

 何処へ行っても、公衆トイレが快適に利用出来るようになったことは有難いが、ただそれだけではなく、人々の生活様式が変わったためなのか、どうも私のような老人の常識では考え難いトイレの風景が続いているようである。