哀れな小学校教員

 新聞を見ていたら「購入費めぐり不正、少学教頭を免職、大阪市教委」という小さな記事が偶然目に止まった。「市立の小学校の男性教頭(43)が図書室用の椅子を購入する際、自宅用のベッドパッドとステップチェアも納入業者に買わせ、代金を大阪市に請求するよう指示したとして、市教育委員会がその教師を懲戒免職処分にしたと発表した」と書かれていた。

 先ずは、そんな小さなことで可哀想にという気分になったが、その教師は以前にも学校のパソコンや椅子などの購入などで業者に口頭で発注し、不適切な事務処理をしたとして停職1ヶ月の懲戒処分を受けていたとあるから、懲戒免職も当然だったのであろうと思い直した。

 新聞の短い記事だけからの印象なので、不確かな部分が多いが、今回の汚職の総額が約8万円とあるから、何と細かい汚職で懲戒免職になり哀れだなという感じがしないではおれなかった。

 つい最近問題になって議員をやめさせられた秋本衆議院銀のことを思い出さないではおれなかった。こちらは「政府が導入拡大を目指している洋上風力発電をめぐり、秋本真利衆議院議員が、事業への参入を目指す風力発電会社の元社長から、会社が有利になるような国会質問をするよう依頼を受け、その見返りにあわせて6000万円余りにのぼる借り入れや資金提供を受けた疑いがあるとして、東京地検特捜部は秋本議員を受託収賄の疑いで逮捕しました。」ということである。

 どちらも汚職汚職、片や国民の代表としての衆議院銀と、片や子供達へ見本を示すべき立場の学校の教頭先生という立場にありながらと、非難されて当然であろう。罪は罪で両者とも罰せられて当然であろうが、この両者の社会的立場と、汚職の金額の違いに驚かないではおれない。

 小学教師の庶民としてのささやかな自分の生活改善のための汚職に対して、風力発電業界の利権に関わる問題を利用して、賄賂で自分の趣味の競馬馬の関係の費用を賄おうという対比を多くの第三者はどのように見たことであろうか。同じ汚職と言ってもピンとキリではこんなに違うものなのである。

 両者の悪の程度を比べることも大事だろうが、それ以前に、同じ汚職といっても、その社会的な立場による汚職の金額の違い、社会的影響の大きさの違い、汚職における態度の違いなどに驚かされるばかりである。

 我々の社会はこの両者の汚職を、どう判断して、どう罰することになるのでろうか。

 

映画「こんにちは母さん」

 山田洋次監督の映画「こんにちは母さん」を見た。下町の長年続いて来た足袋屋の寡婦吉永小百合が「母さん」で、昔ながらに鍵もかけない古い店に一人で住んでいるが、近所に住むボランティア仲間らが勝手に上がり込むような生活の中で、教会の牧師などと一緒に、浮浪者たちの救援ボランティア活動などをしている。

 その一人息子は大会社の人事部長をしているが、妻とは離婚し、一人暮らしをしている。娘は大学生で、家を出ているが、学校へも行かなかったりしているといった家族の物語である。息子が会社の仕事で、同期入社の友人の首を切らねばならない羽目になり、紆余曲折があった後、最後には自分も首になって会社を辞め、母の古い店に転がり込んで同居することになるという話である。

 今年92歳になる山田洋次監督は、「寅さんシリーズ」をはじめ、数々の社会的人間ドラマ劇を作って来た人だけに、この映画も「流石に」と言わしめるだけの上質な仕上がりであった。「日本の監督で、品格と言えば、先ず山田洋次監督に指を屈しなければなるまい。芸術家を気取らないし、職人より万事意識的だ」という批評が朝日新聞にあったのも頷ける。

 映画の内容は実際に見て貰うこととして、柴又の「寅さんシリーズ」の頃からこの監督には何か関西の匂いを感じていたが、事実、この人は大阪の豊中市岡町の生まれで、3歳の時までそこで暮らした後に、父親の仕事の関係で、中国東北部に引っ越したのだそうだが、今でも生家の記憶を朧げながらも覚えている由である。

 たまたま10年ほど前に、その家が当時の外観のまま残っている事を知り、以来、地元の人が「とよなか山田会」を作ってくれてたりして応援してくれて、繋がりが出来、今は毎年のように映画の放映会などもしてくれているそうである。勿論、今回の「こんにちは母さん」の先行上映会もあったそうで、監督もしばしば豊中を訪れているそうである。

 ところで、その昔の外観のまま残っている家の住人というのが、たまたま私の知人なのである。阪急の池田の駅舎の一室を凝りて、もう30年以上も前から、私も加わって続けて来た毎月一回の裸婦のクロッキーを描く会があるのだが、いつだったか、このグループに何年か前から参加されるようになった女性の画家がその家の今の主人であることを知って驚いた次第である。

夏は出張った腹が見だつ

 街の広場で何かの催しで、店が出て人が集まっていた。何ということもなく、通りがかりに眺めていると、中にそれほど太ってもいないのに、腹だけが出張っている中年の男が目についた。Tシャツの腹の部分だけが妊娠した女性のように異様に突出しているのである。夏なので皆薄着である。冬であれば、上着でも着ているので、それほど目立たないのであろうが、夏は薄着なので隠しようがない。

 その人が目についたので、他の人も観察してみると、他にも似たような人が2−3人すぐに見つかった。日本でも肥満だの糖尿病、高脂血症、高血圧などと、生活習慣病と言われるものが問題になってからすでに久しい。

 同じ日本人と言っても、その体型は戦争のあった頃と今ではすっかり変わってしまった。昔は平均して背が低く、痩せていて身が引き締まっている感じであった。

 顔も丸顔で鼻が低く、ぺちゃんこの感じの人が多かった。特に西日本ではオカメのような顔貌が多く、北日本などに多かった凹凸のはっきりした般若型と対比されたものであった。

 それがどうだろう。人の顔貌や体型がこんなに短年月に、こんなに変わるものとは思わなかったが、現実には「こんなに」と言って良い程変わってしまっているのである。

 背丈だけ見ても、昔の徴兵検査の合格点が152センチとされていたことからも分かるようにチビが多く、160センチあれば人並み、170センチではもう「のっぽ」の方であった。戦前はお相撲さん、戦後は西欧人ぐらいしかいなかったが、電車のドアに頭が支えるような人を見たら、思わず「高いな」とびっくりさせられたものだったが、今ではそんなのは当たり前、女性でも、ドアに頭が支える人も見るようになった。

 私の経験でも、昔は満員の通勤電車に乗っても、周りが女性だったら向こうが見えたが、最近はもう背の高い男たちに囲まれると、周りの男たちの背中しか見えない。道を歩いていても、背の高い男はコンパスが長いので、必然的に歩くスピードもそれだけ速くなるので、歩くのが速いのが自慢だった私も、年と共についていけなくなってしまった。

 顔貌も変化した。戦後日本人の鼻がいつしか高くなって、今では尾翼と鼻口しかないような低い鼻の人を見るのも滅多にな胃ことになってしまったし、いつの間にかオカメ顔が減って、般若型が優勢になっている。その上、近年はメイクが発達して、どの女性も皆一様に「明眸皓歯」で、区別がつきにくくさえなっている。

 そこへ、昔とはすっかり変わったのは肥満気味の体型の人が多くなったことである。身長や体重よりも形態の変化である。日本人は今でも欧米人ほどひどい肥満の人はそれほど多くない。しかし、昔と比べて一番違うのは体の引き締まりようではなかろうか。昔の人は痩せていて肉体労働が多かったからか、身が引き締まった感じであった。それが今ではどうだろう。それほど太っていなくても、体に締まりがなく、だらりとした感じである。

 この傾向は既に、ベトナム戦争の頃から感じられたたことである。テレビや新聞に出て来たベトナム人を見る毎に、日本人も昔はこうだったなと思ったものであった。それからも随分年月が経ってしまったが、日本人の体型は欧米人によく見られるような肥満はそれほど多くないが、それほど太っていなくとも、体全体がだらりと締まりがなく、腹が少々出ていると言った感じの人が多くなったような気がする。

 同じ日本人と言っても、今と昔では外見だけでも随分違っているのである。テレビなどで時代劇を現代の俳優がやっているが、その時代の人物たちは、それを演じている現代の人たちとはかなり違っていたことも考慮に入れて見るほうが良さそうである。

 夏は皆薄着で体型がモロに外の現れやすい。そんな夏の薄着の人々を見ていると色々なことが思い出されて来た次第である。

 

 

 

アメリカのCNBCに載った私の生活

 8月8日のブログで「95歳の動画が大人気」というタイトルで、9月9日には「世界の人に見られた95歳の日常生活」と題して、孫が私の普通の日常生活をビデオで撮ってTiktokに投稿した動画が馬鹿ウケしたことを載せたが、アメリカの視聴者が多いからか、アメリカのテレビ会社CNBCに目をつけられて、孫に祖父の健康の秘訣のようなものを書けと言って来たようである。
 その結果、孫がCNBC へ出した原稿を元にして、局の記者が書いた文が、写真付きで、CNBC のオンライン版に掲載されたと孫から連絡してきた。
 TIKTOKの動画の視聴者が49万2千と35万1千という馬鹿ウケがどうしてなのか未だにわからないが、CNBCもHealth and Wellnessという欄で取り上げているようなので、アメリカの”馬鹿げた”健康志向問題の素材として目をつけられたもののようである。
 私から見れば格別、長寿の秘訣のようなものがあるわけはなく、大部分は親から貰った遺伝子の働きが大きい部分を占めているのであって、こちらは好きなように生きて来たら、たまたまこの歳になってしまったと思っているだけである。
 CNBCの文章は以下のページで見れると思います。

 タイトルは以下の通りです。英語ですが、私たちの写真も出て来ますので、もし興味を持たれたら見てやってください。(日本語の訳もあるようです)

HEALTH AND WELLNESS

My 95-year-old Japanese grandfather is a former cardiologist—his 8 ‘non-negotiables’ for a long, happy life

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美術館は危険?

 歳をとると人によっても異なるが、一般に転倒しやすくなるものである。

 私はこれまで何回転んだことであろうか。もう数えきれない。70代後半頃からであろうか。思わぬ所で転ぶのである。杖をついていても転ぶものである。私はいつもセカセカと早足で上半身が前のめりがちの姿勢で歩いていると人から言われていたが、足より気分が前のめりになって急ぎ足になるものだから、余計に転んだのであろうか。

 あちこちで転んでいるが、日本国内に限らず、イスタンブールロスアンゼルスでも転けたことがある。国内でよく覚えているのは循環器病センターからの帰途、北千里駅で倒れたことがあった。家の近くでも、いくつも転んだ場所を今でも覚えている。

 出来るだけ転ばないようにと、比較的早くからステッキを持つようにしたが、ステッキを持っていても、早足で歩く癖は急には治らない。ステッキでリズムをとって急ぎ足で歩いている時、道路の端の窪みにステッキがはまり込んで転倒したこともあった。

 流石に80代も後半ともなると、歩くスピードは遅くなったが、バランス感覚が年と共に悪くなるので、ゆっくり歩いていても、つい急に方向を変えた時や、わかりにくい段差をこえるような時などに、体のバランスを失って転ぶようである。

 ところが、最近転倒した場所を思い出すと、偶然にも、いずれも美術館へ行った時なのである。

 先ずは、昨年9月14日に国立京都近代美術館へ、清水九兵衛六兵衛展を見に行った時のことである。この時のことのついては、このブログの昨年9月18日の欄に書いたが、失神発作を起こしたので、「車椅子での美術観賞」ということになり、立って歩いて見るのと目線が違い、殊にに陶芸作品などでは、丁度作品を真横から見るような感じになり、珍しい感じの鑑賞が出来たことが印象深かった。

 次は、今年に5月3日、芦屋の市立美術館へ行った帰りであった。小磯良平や具体派など馴染みの芦屋の作家たちの展覧会があり、懐かしさのあまり見に行った。見終わるまではよかったのだが、帰途、市役所の横で転倒、入れ歯が割れたりし、救急車が来るやらで大変だったが、この時のことについては、やはりこのブログの今年の5月14日に「杖も凶器に」を書いているので参照していただければありがたい。

 そして3回目が最近のことである。上の二回の時にはステッキで行ったのだが、その後トライウオーカーなる3輪の歩行補助機を買ったので、今回はそれを用いて行った。今回はモービル作品で有名な新宮晋とポンピドー美術館の設計を手掛けたレイゾン・ピアノの二人展で、場所は中之島美術館であった。

 トライウオーカーは軽量で折りたためるので、タクシーでもトランクに入れて貰わなくても、持ったまま座席に乗れるので便利である。美術館についてトライウオーカーを押しながらスロープを上がって美術館の建物の入り口へ行く途中、横のスロープへ行けるのかなとぼんやり横を見、後ろから来る女房を振りかっった時に、トライウオーカーの留め金が緩んでいたのか、三輪車が閉じた格好になり、こちらの不自然な体位と相まってバランスを崩し、突然トライウオかーとともに転倒し、顔面を地面で打って、メガネは割れなかったがメガネの留め金が眉間に食い込み出血した。

 思わぬ出来事にしばらく呆然としたが、大した傷でもなく、血もほぼ止まったので、そのまま美術館に入り作品を鑑賞することが出来た。広い展示室の天井や壁に映ったモービル作品の動く影が印象的であった。

 トライウオーカーを使うようになって、これで転倒とも縁が切れたと思っていたが、思わぬ伏兵にやられた感じである。トライウオーカーは三輪車で後ろの二輪の間の体が入れられるので三角形に重力が分散され安全快適な歩行補助具であり、使い始めてから今まで一度も事故を起こしたこともなかったが、油断大敵、思わぬ使い方の誤りがあった。

 本来三角形で安定しているのだが、三角形を畳めるようになっているのである。後輪二輪の間に体を入れて移動することになるのだが、階段を上がるときや、持って運ぶ時には後輪を折りたためる構造なっている、そのためタクシーの座席にも載せられるし、電車の中や収納時に場所を取らないで便利なのである。

 また歩行時には、後輪をすっかり開いて止金をかけて固定してから使うようになっているのだが、歩道の狭い所や、柵があって柵間の幅が狭い所などがあるので、道路や駅をスムースに進む時には二論の幅を自由にかえられる方が便利なので、止金をせずに臨機応変に後輪の幅を自由に変えながら使っていたが、時と共に止金がゆるくなって、自然に幅が変わりやすくなっていることを失念していたために今回の事故が起こったもののようである。

 やはり何でも細かい点までインストラクションに従って使用すべきだということを知らされたのであった。お気に入りの優れものの三輪トライウオーカーも、やはり正しい使い方をしなければ思わぬ事故も起こりうることを学ばせて貰った。

 それはともかく、もう四度目の事故は御免被りたい。三度の事故がいずれも美術館へ行った時に起こったということは、ゲンを担がない私にも、このために美術科へ行く足が遠のくことは考えられないが、何かの因縁でもあるのかと、つい思いたくなるところである。。

 

 

劣化したのか日本政府

 最近の日本の凋落ぶりは見るのも嫌なぐらいである。

 あの惨めな敗戦の後、日本中に焼けのが原が広がり、闇市、飢えと貧困、三等国だの、日本人は12歳だなどと馬鹿にされ、もう日本もおしまいかとまで思われかけたが、アメリカ追随のおかげ(?)で、朝鮮戦争ベトナム戦争のおこぼれ頂戴を契機に、驚くほどの復興をを果たし、ついにはJapan as No.1 ! 「国民総中流」などと言われるまでに復興したが、出る杭は打たれる。アメリカの従属国の必然で、その後はアメリカに色々と抑えられて、もう長らく停滞が続き、最早新興国にも押され、世界のトップクラスからずり落ちかけている。

 それにもかかわらず、かっての栄光が未だに続いているかのような錯覚に囚われ、世界の変化にも鈍感で、一貫してアメリカ追随を続け、そのおこぼれに預かるためには、アメリカの無理難題には憲法を無視してまで答え、国民の保護や利益よりも、アメリカ優先の政治を続けて来たが、アメリカ追随一筋の矛盾が次第に大きくなり、先行きの不安を募らせている。

 殊に、安倍首相の時代以降、その傾向が強くなり、日本の憲法は有名無実になりかねないまで無視され、国民の福祉は後回しに、沖縄に辺野古基地建設が象徴するように、矛盾の激しくなった中で、更にアメリカ中枢の世界支配の尖兵として、その要求に振り回されつつある。

 安倍首相のトランプ大統領へのポチのような追随、「こんな人たちに負けてはならない」という国民への恫喝、憲法無視、自己都合の政府機構や政策や法解釈の変更など、政治の乱れが常態化してきた。その現れが森友加計問題、桜を見る会、警察のトップ人事問題、統一教会問題などとなったが、いずれも安倍首相が辞め、殺された後も有耶無耶になり、政府はそのまま乗り切ろうとしている。

 しかも後を継いだ岸田首相は、聞く耳を持っていると言いながら、国民の要望を無視して、アメリカに言われるままに国民には何ら説明もせず、予算の裏付けもないままに、突然の軍事費のめちゃな増額をし、軍隊を持たない日本が遙かな遠方からでも敵基地を先制攻撃出来る武器を買わされ、それを急速に配置しつつある。現在そのような緊急事態が発生しているとは思えない時期にである。作られた危機に乗じた武器商人への対応としか思えない。

 それと対照的に国内では、これこそ重大な人口減少、少子対策には予算がないので、後回しにされてしまっているのは、どう見ても、政府の本末転倒の政治と言わねばならない。更には、マイナーカードの欠陥が次々に暴露されても、一旦決めたものはあくまで固守しようとして、国民の不安、不信に応えようとしない頑迷さもあからさまになっている。

 そんな中で行われた広島サミットでは、折角 G7の首脳が広島に集った機会であったにも関わらず、広島の人たちの心からなる核兵器廃止の希望を裏切り、世界の核拡散反対の声をも無視して、核の抑止力を認めるというアメリカの方針にただ追随しかない無様さを世界に露呈し、国民の切なる願いには一顧だにしなかった。

 これらの傾向は沖縄の辺野古埋立続行で象徴される、戦後揺れることなく続いてきたアメリカ追随が何より優先され、国民への政策は後廻しという、戦後の一貫した政府の政策が未だに寸分も動かぬ方針であることと同根である。

 このままアメリカ追随を続けるならば、米中対立が強くなる中、アメリカの尖兵として、対中国の台湾を巡るアメリカの代理戦争をさせられかねない危険が非常に高くなり、罷り間違えれば、日本は再び破滅を繰り返さないとも限らない。

 更には、最近の福島原発汚染水海洋放出問題を取り上げても、折角長い時間があったのに有効に活用することもなく、関係諸国への説明不十分なまま、海洋投棄という乱暴な行為に出てしまっているのも明らかに誤りである。何でもアメリカの了解さえあれば、近隣諸国など他の国についてはそれ以上に大きな問題はないとするような、傲慢で不注意な政府の態度と言わざるを得ない。

 国内の漁業者の同意さえ取れないで、どうして外国が納得すると思ったのか不思議なぐらいである。世界の共通の海へ自己都合の廃棄物を流すのである。原発の汚染水の処理にはこれまで随分長い時間もあったのである。当然その間に国内、国外ともに、最善の方法を選び、十分な説明で納得してもらうことが出来たはずである。日本外交の失策以外の何ものでもない。

 日本政府は科学的に問題がないと主張するが、処理した汚染水に問題が残っていないわけではない。汚染水を処理水と言い、トリチウム以外の放射性物質がゼロではないことには触れず、濃度ばかりでなく、30年にも及ぶ放出の総量や、トリチウムの運命についての未知の部分についてや、放出される処理水の総量の地球環境への影響などに対する対処法などについても、近隣諸国に納得してもらうだけの説明が不十分だったのではなかろうか。単にトリチウムの濃度などの数字だけの問題ではないのである。

 トリチウムだけのように言ったり、処理水といったりして誤魔化そうとしないで、他の放射性物質も含み、ALPSの具合によっては危険も考えれれるので、パイプからの放出に安全設備もつけられ、チェックもするようになっているなど、事実を懇切丁寧に説明する責任を果たすべきである。

 今やごまかしでなく、事実を詳細に説明することが求められているのである。周辺諸国の納得もえないで、一方的に処理水を海洋に放出し続けるのは、国民としても恥ずかしい。

 誤魔化しと言えば、関東大震災に絡む朝鮮人虐殺の事件についても、これだけ事実が語られ,政府関係の文書さえ存在するのに、国会で複数の大臣が「事実関係を確認することのできる記録が見当たらない」と述べ、調査の必要性も否定している。ここまでして誤魔化そうとする態度はあまりいも情けない。

 ここらで長年続けられてきたアメリカ従属だけを考えずに、もう少し自律的に、独立国家として日本の周辺国や、その多くの人たちの生活をも真摯に考慮し、戦争の準備よりも、友好関係を強めるべきであろう。

 

世界の人に見られた95歳の日常生活

 この7月に孫たちが久し振りにアメリカからやって来た折に、孫が私の95歳の誕生日を祝うとともに、私の日常生活をビデオで取りたいというので、孫も成長したものだと思い、安請け合いし、内輪のことだとばかりに思って、孫の言うように、朝の散歩や体操、パソコンでの色々な作業やスケッチ、自画像などを描いているところなど、種々の場面を好きなように撮って貰い、更には、あちこちの壁面などに飾ってある私のガラクタ・アート作品などまで好きなように撮って貰った。

 ところが、それを孫がTiktokに投稿したのを見せて貰ったまではよかったが、それが何とバズって(英語では viralというらしい)あれよあれよという間に、視聴者が朝の分(My 95yr old Japanese Grandpa Morning Routine)が49万2千、午後の分(A Day in the life of my 95yr oldJapanese Grandpa)が35万1千に上り、びっくり仰天。

  全く内輪事だと思って撮って貰ったものなので、こちらの服装や格好も、背景の家の内外の様子も平素の日常のまま。こんなことになるなら服装一つにしても、一寸ぐらい格好をつけ、部屋だけでも少しは片付けておけばよかったのにと思ったが、もう時すでに遅し、もうありのまま開き直るより仕方がない。

 TiktokYoutubeなどで視聴者の多いものについてはテレビ局などでもチェックしているのか、このビデオについても、4〜5日経つと、アメリカのテレビ局のCNBC から、何か書けと孫の所に報酬付きで言って来たそうである。

 更に、孫がそれに答えたら、今度はアメリアのあるビデオ・リサーチ会社の人から、「老いの秘訣だとか、好んでやっていることだとか、若い人へのアドバイスだとか」を私に聞くよう、孫の所に言って来たそうで、メールが孫から回って来た。

 どうしてあの単純なムービーがそんなに馬鹿受けしたのか私には未だに理解し難いが、どうもコメントを寄せて来た人の名前などを見ていると、アメリカ人が最多だが、日本人や中国人など他の国々の人たちも混ざっているようである。私のイギリスにいるの知人も見てくれたようだが、どういう人が、どういう興味を持って見ているのか分からないが、興味は深い。

 そう思っていたところ、昨日、月に一度の近くのギャラリーでのクロッキーの会に出席したら、そのギャラリーの顔見知りの係の女性が私を呼び止めて話しかけてきた。何を言うのかと思ったら、その方のポルトガル在住の娘さんが、現地で私のビデオを見たそうで、私がギャラリーへ行った場面を見て、「これお母さんのギャラリーじゃない?」と問い合わせて来たそうである。その女性は早速スマホに私のそのビデオを入れているのを見せてくれた。

 まさか、ここまで拡がっているとは思わなかったが、Tiktokは恐ろしいものである。気軽に撮って貰った私のビデオが瞬く間にアメリカや日本、中国ぐらいまでは仕方がないとしても、

ヨーロッパはポルトガルでまで見られているのかと思うと、嬉しいような、恥ずかしいような、また情報のあまりにも早く広く拡がる情報伝達の速さに驚くとともに、いかなる秘事も暴かれれば、瞬時に世界中に広がりかねない恐ろしさをも感じた次第である。

 ひょんなことから、私にとって、今夏の思いもかけない忘れられないエピソードのひとつになった。

   註:映像はTiktokの検索で >mikacribbs< と引けば見られると思います。