治った”脊椎管狭窄症”

 先に書いたが、私は昨年の10月の末から、”脊椎管狭窄症”になり、間歇的跛行といって、休み休みでなくては歩けなくなり、もっぱらシルバーカーなる歩行器に頼って歩いていたが、最近、思いもかけずに回復し、また以前のように歩けるようになった。

 90歳を超えてから起こったものなので、最早、以前のように普通に歩けるようにはなるまいと覚悟していたが、約8ヶ月はかかったとはいえ、以前と同じように歩けるようになったのはラッキーととしか言いようがない。

 典型的な間欠的跛行の症状から、いわゆる”脊椎管狭窄症”には間違いないのであろうが、骨の変化によって神経が圧迫されて起こったものなら、骨に変化でも起こらねば治るわけはないであろう。それが回復したというのは、骨に変化がなくても、脊椎管を出た近くで、神経が周囲の靭帯なり、筋肉なりの軟部組織の圧迫などによって、同じような症状が出ていたためと考えるべきであろうか。”脊椎管狭窄症”と言われているものには、こういった症例も多いのではなかろうか。軟部組織の問題が主であれば治ったとしても不思議ではない。

 私の場合はMRIX-rayによる検査では異常は見られなかった。立位でのMRIなり、もっと詳しい検査でもすれば、あるいは病変を指摘出来たのかも知れないが、検査した範囲では、骨も年よりずっと若々しく、脊椎骨の老人性変化も殆どなかったし、MRIでも黄靭帯の肥厚なども見られなかった。

 こういう所見から見ると、いわゆる”脊椎管狭窄症”と言われるものには、本当に脊椎管の骨やそれを囲む靭帯など変化によって、脊髄から分岐して脊椎管から出て行く神経が圧迫されて起こる”真の”脊椎管狭窄症の他に、それと関連の深い、靭帯や筋肉、その他の軟部組織による神経の圧迫などによって起こされる”脊椎管狭窄症”も多いのではなかろうか。軟部組織の関与が大きいものであれば症状の変化も理解しやすい。

 そういえば、巷に”脊椎管狭窄症”の人の症状は、長い間に波が大きいと言われているし、人によって違うが、何かしているうちに良くなったという例も聞く。また、SNS を開くと、いわゆる理学療法士関係の人たちの、”脊椎管狭窄症”の治療についての広告や治療経験が沢山目に付く。中には、はっきりと整形外科医に行くべきものと、自分たちの治療の対象になるものを分けて説明している例も見られる。

 私の場合も、ひどい時には道を歩くにも、電信柱ごとに立ち止まって、休憩を入れなければ歩けず、夜に寝る時も仰臥位が取れず、得意だった右側臥位もダメで、無理やり我慢して、左側臥位でしか眠れなかった時期もあり、歳から考えて、もう二度と杖もなしに歩けることなど考えられなかったのが、時間は掛かったにせよ、症状がすっかり取れて、昔と同じように杖もなしに普通に歩けるようなったのは、無神論者も神に感謝すべきであろうか。

 世に”脊椎管狭窄症”と言われて困っている人は多い。その中には本当に脊椎管の骨の変化や、それを取り巻く黄靭帯などの変化で、神経が圧迫されて起こっている、”真の”脊椎管狭窄症もあり、そのような人は整形外科医と相談して、手術を含めた最適の治療を受けるべきであり、そうしなければ良くならないものも多いが、反面、私のように軟部組織による圧迫が主で、治りうる”脊椎管狭窄症”のあることも知っておくと良いであろう。

 ”脊椎管狭窄症”と言われ、間歇的跛行に悩まされている人も決して悲観することはない。整形外科的な治療法も進んでいるので、よく相談して適切な治療を受けなければならない場合もあるが、そんな治療を受けなくても、私の場合のように、諦めずに運動や歩行を続けている間に、すっかり良くなることもあることを知って、希望を持って判断していただければありがたいと思っている。

 

 

 

私の見た広島の原子爆弾

 また8月6日がやって来る。いつの間にかもう75年も経ってしまったが、未だに、つい先日のような気さえする。当時のことを知る人も殆どいなくなったので、参考までに私の細やかな体験を記しておこう。

 私は当時、広島から約20Km南にあった、江田島海軍兵学校にいた。1928年(昭和3年)生まれで、大日本帝国に純粋培養されたようなものだったので、およそ軍人向きでない、チビでひ弱な少年だったにも関わらず、今では考えられないことだが、本気で天皇陛下の御為には命を投げ出してもと思って、海軍士官を目指し、敗戦の年の4月に入学したところであった。

 戦局はますます悪くなるばかりで、殆どの大都市が焼け野が原となり、沖縄も占領され、7月末の呉の空襲では、重油不足で周辺の島影に分散して係留されていた軍艦が殆ど皆撃沈され、アメリカの飛行機にわがもの顔に跳梁され、海軍なのに、殆どが陸戦の訓練ばかりとなり、「本土決戦」「最後の決戦」が強調されるようになっては、やがては自分も特攻攻撃で死ななければと追い詰められつつあった。

 そんな8月6日午前8時15分、雲一つない夏空が広がっていた。我々は朝の自習時間で、分隊毎に教室で、それぞれに勉強している時だった。突然、教室中にピカッとする閃光が走った。何だろうと思っていると、すぐに、今度はどーんという地響きするような音がして、地面が揺れる感じがした。

 これは空襲かと思って皆が外へ飛び出した。そこで見上げる空に見たのは、もくもくと立ち上がっていくあの原子雲であった。北方の広島で何かが起こったに違いなかった。その時には、まだ原子爆弾で大変な被害が起こっていることは分からなかったが、その巨大な原子雲の様は目に焼き付いて、未だに鮮明に残っている。

 原爆のことをピカドンと言うようになった由来は、実際に被害にあった人たちの体験によるもので、まさに、20キロも離れた江田島でも、ピカッと光った後にドーンと来たのだから、広島市内での体験が如何に強烈、悲惨なものだったかが想像出来る。

 教官のはじめの説明は、日本軍が台湾で特別な爆弾を使ったので、その報復に大型の爆弾を落としたのだという、訳の分からない説明であったが、やがて原子爆弾だということが分かった。そこで急遽準備されたのが、眼の部分にだけ穴の開いた白い袋が配られ、今度空襲があれば、これを被って逃げろと言われた。白い布で強い放射線の閃光を反射させて、壕に退避することぐらいしか手段が考えられなかったのであろう。

 それまでは海軍の夏の制服は白だったので、白は目立って標的になり易いということで、国防色に染められたのに、今度は急に真っ白な袋が配られたのを見て、何か違和感を感じたものであった。

 それからやがて敗戦、復員ということになる。敗戦の詔勅を聞かされた後も、日本刀を抜いて「帝国海軍は最後まで戦う。貴様たちは帰っても最寄りの特攻基地へ行け」などと檄を飛ばす上級生もいたが、8月25〜6日頃に復員ということになった。カッターに分乗して、曳航されて宇品まで行き、そこから原爆後の広島市内の焼け跡を通り抜けて広島駅まで行き、そこから無蓋の貨物列車に乗って大阪まで帰った。

 宇品から広島駅まで歩いた原爆で焼け野が原になった広島は惨憺たるものであった。右側にずっと続く比治山まで、何処までも一面に焼け焦げた赤茶色の焼け跡が見渡す限り続いていた。大阪などでの焼け跡と違い、何か微かな匂いが漂っていた。燐の焼ける匂いだという人がいた。誰も人のいない荒涼とした静寂が支配していた。

 原爆症で下血して死んでいった人を見て、赤痢と思ったのか、焼け跡に、焼け残って折れ曲がった鉄棒に「生水飲むな!赤痢が流行っている」と書かれた紙切れがぶら下がっていた。また、誰もいない焼け跡を、上半身裸で原爆光線にやられて赤と白のまだらになった皮膚をした二人が、肩を抱き合うようにふらふらと歩いて行く後ろ姿が見られた。「国破れて山河あり」という漢詩はこういうことなのかとつくづく感じながら歩いたことを覚えている。

 原爆をこの目で見た経験は、戦後、原爆について色々騒がれるようになったこともあって、いつまでも繰り返し思い出された。夏に入道雲が高く湧き上がって行くのを見る度に、つい広島の原子爆弾を思い出して目を背けたくなることが長年続いた。

 余談だが、それから数十年も経ってからの話で、何かの機会に、アメリカの友人と話している折、原爆の話になり、実際に見た経験を告げて、序でに冗談の積りで、そのためにこんなに禿げちゃったのだと言ったら、その友人が本気にとって、こちらが慌てたようなこともあった。

 もう75年も前のことになるが、未だに原爆のことは鮮明に覚えている。こういうことは決して繰り返されてはならない。しかし原爆の非人道的な特殊性を考慮しても、原爆が落とされるまでの経緯で、日本が侵略戦争をした事実も無視してはならない。原爆の被害を訴えるなら、南京の虐殺などの日本軍が犯した犯行をも共に考えなければ、世界の人々の賛同を得られないことも知るべきであろう。

 

この国は大丈夫なのかな?

  こんないい加減なことばかり続いて、この国は大丈夫なのかな?最近、本当にこの先どうなるのだろうかと心配になることがある。

 コロナが流行するようになってからだけ見ても、先ずは象徴的なのがアベノマスクである。現在、この小さな布のマスクをしているのは安倍首相だけで、殆どの人がマスクをしているのに、全ての人に配られた筈のアベノマスクをしている人を、全くと言って良いほど見かけないのはどうしてだろう。

 それにもかかわらず、アベノマスクももう終わったのかと思っていたら、最近の新聞によれば、6月に発注した分が7千万枚も今頃また出来てきて、最早、配る所もないままに、結局、余った分は備蓄に回されることになったという。コロナで他にお金を使わなければならない所がいっぱいあるのに、全く無駄なことである。

 森友学園問題、加計学園問題、桜の会問題など、この内閣については、未だにうやむやのままの事件が続き、その他にも閣僚の収賄、辞任、検察の人事問題その他など、疑惑を持たれる問題があまりにも多すぎる。安倍首相はじめ政権幹部と一般国民の意識との間の乖離が大き過ぎる。政治家であれば、もう少し民意に鋭敏で、実際の施策がどうあるにしても、国民の生活や要望を斟酌して、言葉や行動を選ぶものだが、その乖離にさえ気が付いていないのではなかろうか。

 それに政策もうまくいっていない。2%物価上昇政策は2年の予定が、何年たっても達成出来ていないし、景気も良くならない。日本だけが平均給与も減少している。他の内政、外交問題もうまくいっていないが、今はそれには立ち入らない。最近のコロナの問題の経過を見ているだけでも、どうしてこんなにまずいのだろうかと思わざるを得ない。

 突然思いつたかのように常識はずれのマスクを、それも時期はずれに配布したり、国民がステイホームで収入が断たれて困っている時に、自宅で犬を抱えてのんびり座っている姿を、歌手の像と一緒に流して顰蹙を買ったりしながら、肝心の国民への10万円配布や、企業への支援金支給でも、散々もたついたりしてきた。

 そこへ、極め付きは今度の、GoToトラベルの強引な出発である。コロナが落ち着いてからの経済のV字型回復を目指すとして考えられたGoToキャンペーンを、予定を早めてオリンピックのための4連休に合わせて始めることにしたのは良いが、コロナの感染者が増え始めて、第二波が心配されるようになって来たのに、予定を戻して様子を見ることすら出来ず、そのまま始めるなど、誰が見ても常識はずれのことを、頑なに始めるなど、もうめちゃめちゃとも言える施策が行われたのである。しかも、その間、国会を早くに閉じてしまい、首相は会見も開かず、野党から憲法に基づいた国会再開の要求にも応じようとしない。

 コロナのような不時の出来事が起こった時は、本当なら政治家にとっては、自分を売り込む絶好のチャンスなのである。「政府はかくかくしかじかの施策をとって、この難局を乗り越える積りだ。国民はどうか協力して欲しい」とでも演説をぶって、名を上げるところなのだが、安倍首相にはそのようなことは無理なようである。

 折角の会見を開いても、プロンプターを見ながら、官僚の書いた文章を読むだけである。人を引き付けるような政治家ではない。それより、近くの補佐官からでも聞いたアイディアで、誰も望まないマスクを配ったり、俳優や歌手を宣伝に利用したり、政界、財界やメディアの首脳などと会食をして、根回しをしたり、影で物事を決めるスタイルを好むようである。

 GoToトラベルも経済との両立を考えたにしても、感染の再増加による国民の不安を無視して始めることなく、せめて原案に戻すことぐらいは出来そうなものなのに、そのまま無謀な出発をせざるを得なかったのは、いろいろな利権が絡むので小回りが利かないのであろう。

 官邸に権力が集中されたために、官僚が官邸を見て仕事をするようになったのに、官邸に強力な政治的指導力がないので、官僚と、広範な民営化に群がって来た利権屋達が、官邸を上手く手玉に乗せて、甘い汁を吸っていると言ったら言い過ぎであろうか。

 昔のように、すべてを官僚に乗っかったような政治のあり方も問題であるが、力のある政治家のいない官邸主導の政治では、実質的に行政を握っている官僚が、首相に媚を売って、自分たちの思うようの振る舞おうとし、そこに民営化で、甘い蜜を求めて集まって来た悪徳業者たちの利権が結びついた結果が、今のような政治の強直化を引き起こしているのではなかろうか。

 政治や経済の詳しいことはわからないが、新聞やテレビ、SNSなどからの情報だけ見ていても、最近のこの国の政治の動向は多くの一般市民の期待を裏切り、先行きの不安に陥し入れるような気がする。 政治力が乏しいのに、国の首長だと思い上がった安倍首相が、官僚や、それに群がる利権屋に上手く乗せられて、漂流しているのではなかろうか。コロナの不安は強くなるばかりだし、このまま進めばどういうことになるのか。未来が恐ろしくなる。(8月2日)

視覚障害者の駅のホームからの転落を防ごう

 去る7月26日の午後、東京 のJR阿佐ヶ谷駅で、ホームを歩いていた視覚障害者の男性が線路に転落し、ホームに上がろうとしたが、間に合わず、進入してきた電車にはねられ、死亡するという事件がまた起こった。

 国土交通省によると、平成30年度の1年間に起きた駅のホームからの視覚障害者の転落事故は63件あり、3人が列車にはねられ死亡したということらしい。全く痛ましいことである。
こういう事故をなくすために、近年はホームドアの設置が進められているが、まだ一割にも満たない状況である。
 鉄道会社では「駅員だけでなく一般の客の助けも必要だ」と話していて、目の不自由な人を駅などで見かけたら、安全に利用できるよう気を配ってほしいと呼びかけている。しかし、視覚障害者団体の人によると、最近のコロナの時代には「外出控えで人が減っていることに加え、人との距離を保つことも求められていて、もともと少なかった声をかけられる機会が、さらに少なくなっている」そうである。

 駅のホームからの転落事故は一般の乗客をも含めると、 全国で2789件起きているので、ホームドアの設置が急務であるし、健康な人の視覚障害者やその他の弱者に対する思いやりも必要であるが、私が以前から気になっていることがある。

 昔はどこの駅でも「列車が来ます。危ないですからホームの白線からおさがり下さい」と放送されていたものだが、今はどこの駅にも、もう白線がなくなってしまっている。視覚障害者用の黄色いブロックがホームに導入されてから、白線と黄色のブロックが並ぶことになり、どこでも外側の白線が省略されて、黄色いブロックがホームの安全域と危険域を分ける境界となっているのが普通である。

 その頃から私は気になって仕方がなかったので、いつか何処かに書いたこともあったかと思うが、視覚障害者に安全と危険の境の最前線を歩かせても良いものだろうかと心配であった。しかし、いつの間にか、それが当たり前になって、どこの駅のホームでも標準的にこれが採用されているのが現状である。

 元の白線と黄色のブロックの間は10センチも空いておらず、黄色のブロックにはその目的のためにわざわざ作られた凹凸があるので、その上を歩くのは普通に人でも、僅かであっても、よろめき易い。よろめきやすい我々老人は安全のため、黄色いブロックの奥側しか通らないことにしている。

 黄色いブロックの線の位置がどのように決められたのかは知らないが、視覚障害者のホームでの安全を図るためであれば、ホームの端からもっと離れた奥の方に、ホームと平行なブロックの線が引かれて、そこから電車の各ドアの位置に向かって、それぞれに直角のブロックを引くようにした方が安全なのではなかろうか。

 一般の乗客のホームでの便利さや、混み具合など、それに経済的な効率なども考慮して決められたのであろうが、今のあり方はどう考えても、視覚障害者に健常者よりも危険性の高い所を歩かせることになっており、健常者よりホームから転落する危険性を大きくしているような気がしてならない。

 ホームでは「黄色いブロックの上に物を置かないでください」というアナウンスはしているが、混んだホームでは黄色いブロックのすぐ奥に人の列が出来ているので、障害者は見えにくい目で、黄色いブロックの外寄りを歩かねばならないし、ブロックでどうしても足元がふらつきやすくなる。転倒の危険が普通の人より大きくなるのを避けられない。

 健常者が障害者を盾に、身の安全を図っている図のような気さえする。ホームドアの設置が全てを解決してくれるであろうが、それが完成するまでは、それほどお金もかからない黄色いブロックの誘導線を安全な位置に変えて、その上で健常な乗客の支援をも呼びかけるのが良いのではなかろうか。弱者に優しい鉄道の運営のために、是非検討してもらいたいものである。

 

ALSの女性の「安楽死」

 私の誕生日である七月二十四日の新聞の一面に、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性の安楽死で医師が二人逮捕されたことが出ていた。

 過去にも何回か、終末期医療を巡って、安楽死が問題になったことがあり、今回はどういうことかなと思って見たところ、今回の事件は終末期の医療ではなく、ALSで死を望んだ女性とネットで相談した、主治医でもない遠方の医師が、女性の所に訪れて、薬物を投与して死に至らしめたもので、嘱託殺人の疑いで逮捕されたものである。

 ALSの女性は自分を「惨めだ」「これ以上生きたくない」と言っていたようで、ネットで知り合った医師に相談し、何度かのやりとりの上で、「苦痛なく死なせることが出来る」と聞いて安楽死を依頼したもののようである。

 宮城県でクリニックを営む医師と東京都居住の医師が、二人で京都の女性宅を訪れ、介護人に席を外させて、女性と面談し、僅か10分余り滞在しただけで、二人が帰った後に、女性の容態が急変して死亡したということらしい。

 詳しいことはまだ分からないが、どうもこのケースは、主治医が死の迫った患者の苦痛を知り、最終的な決断で安楽死の道を選んだという、これまでのケースとは少し違うようである。当然、過去の東海大学大学事件(1992年)の裁判の判決で言われた安楽死の要件を満たすものではない。

 絶望的な未来に直面してしまったALSの人の苦しみは「どんなに辛い症状でも、生きることを否定してはいけない」という第三者の言葉で納得出来るような簡単なものではないことはよく分かる。この女性はブログに「海外で安楽死を受けることを望んでいる」と書いていたそうである。安楽死を認めている国もあるぐらいで、安楽死尊厳死などについては、それはそれとして、もっと議論がなされるべきであろう。

 しかし、今回の事件は、それとは少し違うようである。自分の死は生と同じく本質的には自分で決めるべきものであろう。しかし、社会的には、人の生命は極端まで支えるべきである。ALSである参議院議員の船後靖彦もいうように、「死の権利」よりも「生きる権利」を守る社会にしていくことが何よりも大切である。少なくとも、難病患者に「生きたい」と言い難くさせるようなことがあってはならない。

 難病に侵されたりした人が「死にたい」と考えることがあることは理解出来るし、その心情に共感することは大事である、しかし、社会はそういう人たちに対しても、あらゆる手段を講じて「生きたい」と思えるように支えるのが、人間社会のあるべき姿であろう。

 そう考えると、今回のケースはそこからは明らかに外れている。嘱託殺人と言われても仕方がない。新聞によれば、この医師は過去に厚生省の医務官を7年ばかり勤めていたようで、或いは、政策的な集団を対象とした健康や死の取り扱いに慣れて、個々の人間の尊厳に対する謙虚さが薄れ、優生学的な思想に傾いたことが関係しているのかも知れない。死亡した女性に死期が迫っていたとは言えないし、SNS で意思の疎通は付いていたとしても、直接の面接は初めてだったのである。伝えられる情報に間違いがなければ、これは明らかに優生思想にもとずく殺人行為である。

 かっての「やまゆり園事件」の犯人の「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和に繋がる」という優生思想に共通したものを感じないわけにはいかない。

 麻生大臣の老人につての発言「死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃかなわない。さっさと死ねるようにしてもらわないと」とか、「90になって老後が心配とか言っている人がいるが、『お前いつまで生きているつもりだ』」という発言でも分かるように、この資本主義の競争社会では、つい知らず知らずにでも、命の選別、優生思想が顔を出してくる。

 また、SNSで見ると、人気バンドの歌手である野田洋次郎が「大谷翔平選手や藤井聡太棋士芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思っている」というのもあるそうで、これはまさに恐るべきナチスと同じ考えであり、優生思想が案外広がっているのかも知れない。

 いかなる人も、他人を死に追いやることは許されない。どんな人の命も価値に変わりなく、全ての命が同様に尊重されるのが、本来の人間社会のあるべき姿であることを認識することが重要である。ALSの女性の嘱託安楽死の記事を読んで感じたことである。

補遺:石原慎太郎氏がこの事件についてSNSに書いている。優生思想は競争社会では捨て去れないのであろうか。

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どうなるGo To キャンペーン

  政府はコロナが流行しだして、オリンピックが中止になり、緊急宣言が出された頃からGoToキャンペーンと銘打って、コロナによる経済損失を一気にV 字型に回復させるという大掛かりな対策を企画した。

 ところがコロナ流行を軽くみていたのではないだろうか。緊急宣言などに続く経済の落ち込みが比較的短期間のものと見たのか、一旦立案した計画はあまり期間を置かないで実行に移さなければならないためなのか、時期を誤って実行する段取りに入ってしまったのであろう。

 コロナの流行が一時的には落ち着いたが、まだ収束には向かわず、第二波が起こる可能性が充分考えられるのに、具体的な計画を進めてしまったのが誤りであった。それも始め八月からの積りであったものを、オリンピックのために作られた4連休を利用して、前倒しして七月二十二日から実行することにしてしまったのが更に誤りに輪をかけたことになった。

 安倍のマスクの時もそうだったが、読みが浅すぎるのである。大きな予算を使うような計画はもっと慎重に、色々な先の条件まで考慮して決めるのが当然で、広い意見の集約なしに単なる思い付きで決めるべきものではない。官僚機構で綿密に計画するより、発言力が増している内閣府の発案が官僚を動かすことが、こうさせたのかも知れない。 

 案の定、コロナは七月になってから再び増え始め、一日の感染者数が先のピーク時を超え始めてきた。開始予定日は近づくし、新たな感染者数は増える。普通にに考えるなら、せめて初めの八月開始に戻して、対策を立て直すべきところだろうが、大きな予算を伴う計画で、色々な利権も絡むので、一旦決められたことを変えるわけにはいかないのであろう。

 結局感染者の多い東京だけ除外して、計画どおりに始めることになった。東京都知事はなるべく都から出ないように勧めるのに対して、国は感染防止に注意して、出来るだけ旅に出ろと矛盾したことを言うことになってしまった。

「どうするえ、旅行け、行くな、コロナ二波」

 ある人が言った。これは現代の「インパール作戦」だと。先の大戦の末期に、日本軍は中国の補給路を断つためとして、誰が考えても無謀なインドへ攻め入る作戦を行い、多数の餓死者などを出して敗退したが、それにも似た無謀な計画だと言うわけのようだ。一旦決めてしまうと、それがもうダメなことが分かっていても、最早変更出来ず、破滅まで行ってしまうことを意味しているのである。

 コロナの第二波がまさに起こらんとしている時に、「ウイズ・コロナだ」「経済と両立だ」などと言っても、既存の計画に固執するより、もう少し利口なやり方があると思われるのだが、今更計画の変更が出来ず、そのまま進めて行かざるを得ないのである。それを「インパール作戦」と言ったもので、言い得て妙である。

 もう少し機敏に物事に対応し変化の出来る組織にしておかないと、更に国の重大事に遭遇した時にも、的確に対処できず、戦前の大日本帝国の時と同様に国の進路を誤ってしまうのではないかと心配になる。

 こういう大きな計画には大きな利権が伴うもので、今回のGoToトラベルは首相官邸の今井補佐官などの立案らしいが、旅行業界の会の会長を務めるのが自民党の幹事長の二階氏であり、新聞報道によると、すでに旅行業界から二階氏側へ4,200万円の献金があったとか言われている。

 何れにしても、こういう政策の誤りで迷惑を被るのは国民である。4連休で割引もあれば旅行にも行きたいが、コロナも怖い。感染しても自己責任である。ホテルも観光業者も大勢の人に来て貰うのは嬉しいが、感染が怖いし、そのためまた閉鎖になったりしては困る。それに大手は良いが、中小の店は御利益は少ないことなどもあろう。この結果はどのようなことになるのだろうか。

 我々老人たちは、わざわざ人の動きの多くなる4連休は、GoToトラベルには悪いが、家でひっそりとしているのが、感染の心配もなく、お金も使わず、一番良いのではないかと思っている。

 

光陰は矢より速し

 若い時から過去を振り返ってみた時には、いつも「光陰矢の如し」といわれる如くに、年月がいつしか経ってしまったことを感じたものだが、歳をとるとともに、時が経つのが、まるで加速度がついてくるかのように速くなる。

 歳をとると、若い時のように日々の新鮮な経験が少なくなり、毎日が同じようなことの繰り返しが多くなることや、歳とともに動作が緩慢になり、何をするにも若い時より時間がかかり、1日の内容が少なくなることなどが、時の経つのが速く感じられる原因ではないかなどと言われている。

 時の経過のスピードは歳とともに加速度がついてくるようで、90歳も過ぎると、もう急行列車にでも乗っているよう、光陰矢の如しよりももっと速く、恐ろしい程の速さで、あっという間に過ぎて行く。1日など瞬く間。1週間でも、昨日が日曜だったと思っていたら、気がついたらもう金曜日、明日はまた週末ということになる感じである。

 今年は殊にコロナが流行り出し、丁度どそれに一致するかのように、私は脊椎管狭窄症とかに罹り、あまり歩けなくなり、その両者が重なって、会合はなくなるし、遠くへは行けなくなるしで、仕事も辞めたので、嫌でも家にいることが多くなったせいか、時の経つのが余計に早くなったようである。

 毎朝ラジを体操をしているが、番組ののリーダーや内容が週日によって決まっているので、体操をする時に自然と週日を認識することになるのだが、体操をするたびに曜日の過ぎる速さに驚かされる。

 具体的に1日の出来事を書き出してみよう。歳をとって早寝早起きが普通になり、毎日4時前には目が醒めるようになり、起きれば、先ずはパソコンのスイッチを入れ、立ち上がる間に窓を開けたり、入れ歯を入れたりして、先ずはメールのチェック、内容を読んだり、返事を書いたりし、次いでFBやTwitterを開いたり読んだりしているうちに、忽ち5時近くになる。

 階下に降りていって朝食をとり、新聞を取り入れ、トイレを済ませば、もう6時前。テレビをつけて、腕立て伏せから始まる我流の筋トレ運動を始める。30〜40分かかるので、それが済むとラジオ体操の時間になる。

 6時35分にラジオ体操が終わると、新聞を読む。その日のトピックスや、関心のある記事、小説や論説などを読んでいる間に、小一時間ぐらい経ってしまう。

 それが終われば散歩の時間。夏は昼間は暑いので、この時間に行くことにしている。その日によって行く所を変えているが、多くは、近くを流れる猪名川の堤防や河川敷を歩き、おおよそ一時間から一時間半ぐらい費やすことが多い。

 家に戻って、少しゆっくりして、9時が朝のお茶の時間、それが済んで30分から1時間足らずナップを取り、その後、朝の続きのパソコンをいじっていたりすると、もう忽ち11時、昼食の時間となる。

 ゆっくり休んで、昼からもパソコンの前に座って、ブログを書いたり、撮ってきた写真のリタッチをして遊んだり、パソコンから離れて本を読んだり、大きな紙に自画像を書いたりしていると、いつの間にか時間が経ってしまって、もう夕方になる。5時には「ご飯だよ」との声がかかる。

 ビールなどを飲んで、ゆっくり食事をしていると、気がつけばもう6時半ぐらいにはなってしまう。テレビでニュースなど見ていると、もう7時が過ぎて寝る時間になる。こうして一日があっという間に消えてしまうのである。

 これが特別のことがない一日のおおよその経過である。この間に何処かへ出かけたり、誰かが訪ねて来たりすると、それに時間を取られて、ルーチンのことは省略されたり、変更されることになるが、最近はコロナのおかげで、出掛ける用事も減り、毎日が同じような内容になったので、余計に時の経つのが早く感じられるのであろう。

 時の経つのがこんなに速くなるのかと驚かされるばかりである。あまりの速さにめまいを感じる程で、それなら明日のためにもう早く寝ようということになり、余計に朝早くに起きてしまうことになってしまっているようである。