老いの写真集:はかない生の伴侶たち

 年とともに酷くなる酷暑もようやく終わり、蝉時雨に続いて虫の声も消え、中秋の名月も過ぎ、心地よい秋風が吹くと思ったら、それもつかの間、季節はたちまち秋を通り越して、肌寒い冬の気配が近づいて来る。

 私もいつの間にか卒寿も超えてしまった。長く生きたものである。それでも、永久に続くであろう自然の中ではほんの束の間の時間に過ぎない。あとは永遠の死が待っているだけである。その儚い人生の最後の路程でたまたま出逢ったもの、力もない、見向きもされない、風化して擦り切れ、見捨てられた路傍の石や壁や道標など。それらがそっと語りかけてくれるのである。

 それらを撮り、自分になじむように切り取り、多少加工したものがこれらの写真である。ともに生き、ともに時代を共有し、またともに消えていく儚い仲間たちのある瞬間の記録である。

 今回はその一部で、猪名川の堤の上を散歩した折に見かけた、道の脇の低い擁壁に貼られた古い化粧タイルのストーリーである。もう経年変化を起こし、汚れたり傷んだりして、誰にも見向きもされない、傷んだタイルの擁壁がそーっと語りかけてくれたものである。

f:id:drfridge:20201017154817g:plain

f:id:drfridge:20201017155919g:plain

f:id:drfridge:20201017160015g:plain

f:id:drfridge:20201017160120g:plain

f:id:drfridge:20201017160213g:plain

f:id:drfridge:20201017160300g:plain

f:id:drfridge:20201017160346g:plain

f:id:drfridge:20201017160419g:plain

 

核兵器禁止条約を批准させよう!

f:id:drfridge:20201026105703j:plain

  国連の核兵器禁止条約の批准国がとうとう50ヶ国に達し、来年の一月にはいよいよ条約として発効することになった。これは核保有国がなかなか核兵器の縮小、廃絶に向かわないので、核兵器を持たない国が集まって、核兵器の廃止の国際世論を作っていこうとして始めたものである。

 日本が唯一の原爆被災国であるので、当然日本も始めから加わるであろうことをも念頭に、始められたものであるが、期待を裏切って日本は未だに参加していない。アメリカの核の保護下にあるからというのが参加しない日本政府の言い分のようだが、そこまでアメリカに遠慮する必要はないのではなかろうか。国連では、賛成国の会議に日本を招待し、欠席の机に写真のような折り鶴まで置かれているようである。

 岸防衛大臣は、訪問先の山口市で記者団に「核の保有国が加われないような条約で、有効性に疑問を感じざるをえない」と述べており、日本がこれに参加する可能性はなお少ないと思われる。しかし、その上で、「日本は唯一の被爆国であり、核兵器の廃絶に向け、リーダーシップを取らなければならない。核の保有国を含む国々が廃絶に向けた具体的な動きを示すことが大切で、国際社会が合意出来るような環境を作っていかなくてはいけない」と述べざるを得なかったのが政府の立場であろう。

 もちろん、この核兵器禁止条約が出来ても、核保有国が核兵器をすぐに廃棄することはないであろう。しかし、世界の核兵器禁止の世論が広がり、国連がそれを強調するようになるにつれ、核保有国も次第に核兵器を使用したり、脅しに使ったりすることが憚るられるようになるであろうから、この核兵器禁止条約の加盟国が50ケ国を超えてさらに多数になることは核兵器使用の抑止に大いに役立つことと思われる。

 それがやがては、核保有国の核廃絶運動に繋がることも期待出来るようになるであろう。そういう将来を目指しても、唯一の被曝國がこれに参加しない手はない。国民の声を大きくして我が国が一刻も早くこの条約を批准するよう政府に圧力をかけよう。そこまでアメリカに遠慮することはない。多くの国も国民も日本の加盟を望んでいるのである。人類の切ない願望として核兵器禁止条約に是非参加して欲しいものである。

秋の好日

 今日10月24日はとても快適な秋らしい一日だった。

 今年は9月のお彼岸を過ぎても、まだ猛暑が続いていたが、さすがの10月も半ばを過ぎると気温も下がり、朝夕など寒いぐらいの日も出てきて、もうセーターを着る季節になってしまった。もう芒の穂が風にそよぎ、コスモスの花も揺らいでいる。しばらく少なくなっていた秋の背高泡立草も元気を盛り返したのか、この秋は黄色い花があちこちで増えてきた感じである。

 もう暑くもないし、まだ寒くもない。その上天気が良い。しかも今日は土曜日。となると、

誰しもちょっと何処かへ出かけてみたい気になるであろう。しかし、まだコロナが怖いので、人の多い街へは行きたくない。必然的に近場の郊外ということになる。家族などで車で出かけるのが一番安全だということにもなるのであろう。今日は道路はどこも車の渋滞である。それも大阪の市内に向かう車より反対方向が俄然多い。

 我々もこんな日に外へ出かけない手はない。さて何処へ行くか。電車やバスに乗って行く所は込み合うだろうからと考えて、近くの五月山に行くことにした。昼前に近くのスーパーで弁当を仕入れて女房と一緒に出かけた。最近は毎日下から眺めるだけで、もう長く登っていない。

 昨年の秋から脊椎管狭窄症になり、コロナの猖獗と重なり、今年の初めから夏の初め頃までは、シルバーカーを押さなければ歩けず、年を考えれば、もうこのままで行くよりないかと思って諦めていたが、幸いなことに、また歩けるようになって、なるべく毎日歩くようにして、少しづつ距離も伸ばしてきた。しかしまだ山道は危ないし、疲れるので敬遠してきたのである。

 元気な頃は気軽に始終登り、我が家の庭のようなものだったので、いつかはまた登ってみたいと思っていた。ただ、先日は麓まで登っただけで、もうしんどくなり、公園で休んで帰ったこともあったので、今日はゆっくり上がってみようと考えた。

 今日は五月山も家族連れなどで結構賑わっていた。まだ紅葉には早いが、それでも部分的には紅葉している木もあり、秋の風情が感じられた。元気な子供づれに道を譲って、ゆっくりと山道を登り、展望台まで上がって一休み。ベンチはすでに家族づれに占領されていたが、しばらく立ち止まって景色を眺めたりした。何度見ても山から見下ろす景色は気持ちが良い。マスクを外して清々しい空気を一杯吸い込んで見る。

 そこからハイキングコースにもなっている山道を通り、階段を上がって、ドライブウエイを横切って公園に出て、そこから今度は北側の遠景を眺める。この方向は昔は山ばかりだったのに、今は能勢の住宅がぎっしり詰まって、遥か遠くまで白い家屋が続いている。いつか行った遠くのダムや、山の上の住宅地につながる長い陸橋なども見える。ここも休憩小屋は家族連れに占領されていた。

 仕方がないので、そこからすぐ上の愛宕神社へ登り、境内で一服する。女房が拝殿にお参りし、元気にここまでまた来れたからというので、千円札をお賽銭箱に入れていた。私たちの後からタクシーで神社へ来る人があったので、どういう人かなのかと思ったが、お参りして社務所の建物に入っていったので、どうも神社の人のようであった。

 我々は境内の端にあったベンチに座って、弁当を食べて休憩した、この神社は古い神社で、毎年、夏にはガンガラ火祭りと言って、大きな松明を大勢で担いで山を降り、池田の街を練り歩くお祭りがあり、五月山には二ヶ所に大文字の篝火が焚かれるのである。

 この神社の歴史は古く、大昔からここの住人であった佐伯部氏の祖神を、愛宕神社の火の神様などとともに祭り、火伏せ、すなわち防火の神様として受け継いできているそうで、五月山も昔は佐伯山と言われていたのだそうである。

 愛宕神社からさらに日の丸展望台の方まで行こうかとも考えたが、下山と距離を考え、無理はすまいと思って、少しだけ回り道をして帰ることにした。下りは登りよりも怖い。しかも下り道には木の根っこや、枯葉、小石などの多い自然の小道である。以前はどうということもなく、大股で降ったものだが、今やそうはいかない。下を見て注意しながら、慎重にゆっくり降りていった。途中で登ってくる人や、後から降りてくる人が、老人と見て道を譲ってくれるのだが、時間がかかるので、ことらが立ち止まって、先に行ってもらうようにして、後からゆっくり降りるようにした。

 それでも思ったより快適に下の大広寺まで降りて、境内の椅子に腰を下ろして一休み。ここまで来ればもう安心やれやれである。何とか無事に登って来れた。ここも見晴らしが良く、遥か彼方の大阪の高層ビルの影が良く見えるので、あそこが梅田界隈、あそこが弁天町、あっちが南港などと確かめたりして楽しんだ。

 後はいつも歩く範囲なので、安心してゆっくり歩いて帰った。昔なら何でもない裏山だった五月山も、今や簡単に行くわけにもいかない。しかし、何とかでも、行けるようになったことはありがたい。シルバーカーを押してではちょっと無理である。

 街へ降りても、今日はどこも人出で賑わっていたし、車の渋滞もいつまでも続いていた。こうして秋の一日を十分楽しむことが出来た。万、万歳である。

 

 

能勢電の窓のブラインド

 電車の側面の窓(側窓=がわまど)には大抵ブラインドがついている。日除けとかカーテンと言ったりもするものである。電車の走る方向によって左右どちらかの窓から陽が差し込んで、暑かったり、眩しかったりするので、それを和らげるためにあるものである。

 今は大抵布性であるが、昔は鎧戸であったことを覚えておられる方もおられるであろう。また、東京の山手線などでは、96%紫外線をカットする窓ガラスを使っているので不要ということで、ブラインドは2002年から廃止されたそうである。やがて、この電車の窓のブラインドは消えていく運命にあるのかも知れない。

 しかし、私が利用する阪急電車には新しい車両にも、まだ皆ブラインドがついているようである。やはり陽が差し込む時など、紫外線の問題だけでなく、眩しかったりするのを防ぐ日除けの効果があるので、始終利用している。

 このブラインドのことで、この間、川西能勢口から妙見山方面に行っている能勢電車に乗った時に、この電車の側窓のブラインドがユニークなことに気がついた。時間外れで空いていたので眺めてみると、片側の窓がいくつも続いてブラインドが降りていたが、どの窓のブラインドにも、下の方に同じ田園風景の写真が印刷されているのである。いつから始まったのか知らないが、無地のブラインドと違って心を落ち着かせてくれるような気がした。

 能勢電車の沿線は、昔は初発の川西あたりは拓けていても、あとは殆ど山間の農村地帯を走っている電車だったのだが、近年は宅地開発などですっかり様変わりしてしまっている。川西能勢口の周辺はデパートやスーパー、銀行なども並ぶ大都会の風景だし、沿線にも住宅地が続き、今では、昔の面影は消え失せ、車窓の景色もすっかり変化してしまった。

 昔は、駅名からしても、絹延橋、滝山、鶯が森、鼓が滝と風流な名前が続いて、それからだけでもわかるように、風情に富んだ沿線であったのだが、今や山が近いので緑の区間も残ってはいるが、団地や、細々とした家屋、商店や工場などがごちゃごちゃ立ち並んでいるような所が多くなってしまっている。

 そんな所で、この電車のブラインドが効果を発揮している。この電車は今でも部分的には山合いも走っているので、直接窓から見る外の風景が雑多に混乱した所を走るようになっても、外の景色はブラインドが字のごとくに全てを消してくれるのである。

 かすかに影は残るものの、雑多な市街地を走っていても、車内で見るブラインドの世界は、どこまで行っても、静かな気持ちの良い田園風景なので、つい山合いの景色の続きのように見えて、いつまでも田舎の風景を見ながら走っているようなゆったりした気分にさせてくれるのである。

 これまでこんな電車のブラインドを見たことがなかったが、他の電車でも、それぞれに考えてみたら良いのではなかろうか。きっと乗客の心理面に良い影響が出てくるのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田園地帯の風景が下方に印刷されている。

 

外にいっぱい新興住宅がごちゃごちゃと立ち並んでいても田園地帯を走っている感じ

気持ちが良い、

能勢電では山下から妙見山の間里山を眺める田舎の風景やましたから日生中央の間も山沿いの田舎山下から川西能勢口までは新興住宅地帯。

田舎から都会に入っても田舎を走っている感じ、錯覚にとらわれ楽しい

Go To よりも困った人を助けて!

 GO To トラベル、Go To イートなど、コロナで打撃を受けた、旅行業者や食物食堂業界に税金を投入して、コロナからの再建を助けようとするのは良いが、全ての人が旅行に行くわけではないし、全ての人がレストランや食堂を利用してGo Toイートを利用するわけではない。

 税金を使ってコロナの犠牲者を助けるのなら、Go Toより先にコロナで生活に困っている人を助ける方を先にすべきではなかろうか。

 コロナで困って自殺しようとして、自宅に放火し捕まった人の話が新聞に出ていた。今年の自殺者が増えているのはコロナのためではないかともいわれている。自殺まで行かないにしてもコロナのために職を失い、路頭に迷う人も多いと言われる。

 国民のために働く内閣なら、先ずはコロナで生活に困っている人を助けるのが先ではなかろうか、誰しも国民には生きる権利があるだから、税金を真っ先に使うのはそういう困っている人を助けるためでなくてはなるまい。

 旅行や食事で旅行業者やレストランなどを活性化させるのは良いが、あくまでも皆が普通に生きられるようになってからのことではないだろうか。時間がなくて旅行に行けない人も、食欲がなくてレストランに行かない人もいるだろうし、税金を公平に使うにはGo To のやり方は必ずしも適切とは言えないだろう。

 それにGo Toで旅行業者を支援するにしても、大きな業者ほど助けられて、中小業者はあまり恩恵に預かれないという不公平さもある。さらにこれに乗っかって税金の無駄使いをする輩までいる。GoToトラベルの事務所に出向している大手業者の日当が7万円だとかとも言われている。

 本当に困っている人に回せるお金がこんなところで浪費されているのは、いつも政府が民間委託で下請けに出す時に、必ずと言って良いほど、それに伴って起こっていることである。コロナ救済に税金を使うなら、思いつきでマスクを配ったり、利権に結びつくような特定業界の援助でなくて、先ずは生活困窮者の援助から始めるべきではなかろうか。

アイヌに取って大阪は良いところだった

 アイヌ民族共生象徴空間(ウポポイ)というのが北海道の旧白老村に出来た由である。アイヌ文化の復興と発展のナショナルセンターとして設立されたもので、国立アイヌ民族博物館や国立民族共生公園などといったものが作られたそうである。

 散々虐めておいて今頃になって共生とかいって、遅過ぎるのではという気もするが、世界の潮流が先住民族の尊重ということになって来たので、その波に乗ったものであろう。オーストラリアやアメリカ、ハワイなどでも見直しが行われ、次々と、先住民族の権利が尊重され、法的な裏付けや、一部の土地の返還などが行われた所もある。

 アイヌ民族に対しては、明治政府は北海道開拓として、屯田兵を先頭にして、次々と多くの移民を内地から送り込み、一方的に、色々な法律でアイヌ人の土地や権利を奪い、クマ猟や鮭漁などまで禁じて、その生活を奪ってきた長い歴史がある。

 こうして徹底的に搾取して、絶滅に近くまで追い込んだ挙句に、勝者は最早共生するだけの力もなくなったアイヌ民族に対して、先住民族の尊厳を尊重し、差別のない、多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いてきた象徴として、このウポポイが作られたと言っている。

 今更といった感もあるが、貴重な文化が消える前に保存し、出来れば復興と発展を図ることが出来ればそれに越したことはない。世界の潮流を見て、諸外国の例などを参考に、まるで古代の重要文化財の保護ででもあるかのように、保存していこうという動きで、復興や発展、共生にはすでに遅すぎるのではなかろうか。

 それどころか、実世界では未だにアイヌ人に対する差別は無くならないし、共生する対等な相手とならなくなったが故の、滅び行く者へのノスタルジアからの文化の保存、維持が現実の目標ではなかろうか、

 アイヌ人に対する差別は未だに強く、2016年の内閣府の調査でもアイヌ人の回答によると72.1%が差別があると答え、実際に差別を受けたという回答もアイヌ人の36.6%に見られたそうである。特に婚姻や教育、就職などに関わる差別が強いようである。ただ、年齢が上がるほど差別が強かったそうであるのは、アイヌ人の人口の相対的な減少を示唆しているのではなかろうか。

 昔の北海道ではアイヌ人は今より人口も多かったために、もっと排斥され、差別されていた。戦前の関西などにおける朝鮮人に対する差別のような、あるいはもっと酷かったのかも知れない。私の古い経験では、戦後まだ間のない頃、1953年に友人と北海道を旅した時の経験が忘れられない。

 阿寒湖の近くの宿に泊まった時、近くに泥棒が入り捕まったという事件があった。それについて宿の女将が話してくれたのは「犯人はアイヌではなかったが、アイヌの血が4分の1入っている」という説明であった。

 また、アイヌ部落を訪ねた時、クマの木彫りを彫っている、長い顎髭をした、見るからにアイヌの老人と話をしたことがあった。「何処から来たのか」というので「大阪から」と答えたら、急に懐かしそうな顔をして「私も長い間大阪にいたが、大阪は良い所だった」と色々話してくれた。

 大阪では釜ヶ崎に住んでいたと言うので、怪訝に思って「どうして大阪が良かったのか」と問うと、「北海道では、あいつはアイヌだと始終後ろ指を指されるが、大阪では誰も振り向きもせず、皆が同じように扱ってくれたから」と話してくれた言葉が忘れられない。

 ウポポイが掲げたスローガン通り、アイヌ人の先住権と民族の尊厳が尊重され、差別のない多様で豊かな文化の復興と発展が進むことを願った止まない。

警察国家への道

 8年半も横暴が続いて、もういい加減に辞めて欲しいと思っていた安倍内閣が、ようやく消えてやれやれと思ったが、次に生まれた菅内閣は初めから従来の路線を引き継ぐと言い、代わり映えがしないと思っていたが、この一ヶ月を見ると、これまでよりももっと酷い内閣になりそうである。

 引き継ぎ早々、「自助、共助、公助そして絆」と国民を突き放しながら、「国民のために働く内閣」と言い、それでも国会は開かず、所信表明もいつまでもしない。それよりも早く、日本学術会議の6名の任命拒否の問題を起こし、広範な反対が起こっているにも関わらず、その理由すら頑として明かさない。

 そればかりか、任命拒否の問題を学術会議のあり方の問題にすり替え、学術会議のあり方の検討会を立ち上げたりして、問題をすり替えようとしている。しかも、今回の特徴的な点として、右翼のコメンテーターばかりでなく、閣僚までがフェイクニュースを流して、任命拒否問題を隠し、学術会議の評判を貶めようとしていることである。

 防衛大学の卒業生を東大の大学院は採用しないとか、軍事研究をしないと言いながら中国の研究に関与しているとか、ウイルスの研究は軍事研究だと言って進めないので、コロナのワクチン開発が遅れたとか、いろいろな悪口を流布して、任命拒否を説明せずにやり過ごそうとしている。嘘がバレて後で訂正しているケースもある。

 この6名の任命拒否は、杉田副官房長官が取り計らって、首相がそれを了として判断したことが分かっているようだが、この杉田氏は警察出身だそうで、同じ内閣官房の 国家安全保障局長 の北村 滋氏も警察出身で、内閣府は安倍首相の時代には経産省の力が強かったが、菅内閣になって司令塔の勢力関係が変わって来ているようである。

 そんなことに関係があるのかどうかわからないが、最近の出来事としては、中曽根元首相の葬儀に関して、内閣府から文部省や各地の教育委員会宛てに、当日半旗や弔旗を掲げ、黙祷して弔意を表すようにとの要請文が送られたりもしており、何か気持ちが悪い。

 菅内閣のこの一ヶ月、デジタル庁の創設、不妊治療の公的支援の拡大、携帯電話料金の引き下げなどを推し進めて、国民の評価を得て、先に進もうという考えのようであるが、その裏で警察権力を強めていこうという思惑があるのではなかろうか。

 これまでの安倍首相の金持ちのボンの横暴に対して、苦労人?の陰険な策士である菅首相の違いがどう出てくるか、当分政治の流れを注視していかねばならないが、自民党政治のこれまでの流れを見ていると、どうもこれからは一層陰鬱な警察国家が徐々に作られていくような気がして、先行き憂鬱な気がするのは私だけであろうか。