危険な道へ進みかねない日米関係

 ウクライナの戦争以来、アメリカの代理戦争がアジアでも画策されるのではないかという恐れが言われてきたが、近年のアメリカは、アジアでも、日本や韓国だけでなく、オーストラリアやニュージーランドを巻き込み、インドやフイリピンなどにも働きかけて、いわばアジア版のNATOのようなものを作り、何かが起こっても、これら諸国で一致して対応できるようなシステムを構築して行こうとしているようである。

 かっての朝鮮戦争ベトナム戦争のような、直接米軍が関与する戦争は出来るだけ避け、米軍の犠牲を少なくしながら、指揮系統だけはしっかり確保して、実戦部隊は出来るだけ同盟国を利用して、侵攻したり、撹乱させようと考えているようである。

 実戦は現地国に戦わせ、儲かる武器の供給は潤沢にし、ウクライナ同様、長期にわたって混乱を続けさせようと考えているのではなかろうか。

 おそらくアメリカの思惑としては、第三次世界大戦に結びつくような中国との全面的な戦争は先送りし、中国と本格的に戦争するのではなく、台湾や南シナ海あたりでトラブルをおこし、中国の周辺を不安定にし、武器だけは潤沢に供給して儲け続けながら、周辺国に戦わせ、中国の発展を抑えようとするのでなかろうか。

 日韓、日比、日豪などの協力体制を構築し、指揮系統などは米国がしっかり保持する同盟関係を構築し、局所的には米国抜きでも対応出来るようにな組織体を作ろうとしているようである。そこではアメリカ抜きでも、例えば、日本がフイリピンのために戦うような組織が考えられているのではなかろうか。

 そう見てくると、日本は将来は益々危険にさらされてくる。仮に中国とフイリピンの争いが激化すれば、自衛隊も本来の周辺地域を超えて、それに関与しなければならなくなるし、それは日中の戦争にも繋がりかねない、

 そんなことを危惧していたら、上に掲げた新聞記事にあるように、政府筋でも当然同じような心配をしている記事を見て、私の心配もあながち的外れのものではなく、十分ありうるシナリオで、国民はもっと関心を持つべきだと言うことが分かる。

 そこで一番憂慮すべきは、日本と中国の間の外交関係が希薄になってしまっていることである。アメリカでさえ、対中国の外交交渉を重視しているのに、日本はアメリカの顔色を窺ってのことなのか、対中国の関係が今では対台湾よりも薄くなってしまっていることに注意すべきである。

 例えアメリカの犬であっても、もう少し自主的に考えて、、対中国との外交交渉を活発にして相互の理解を深めておかないと、取り返しのつかないことになってしまう恐れがあるのではなかろうか。この記事の執筆者以上に危惧するものである。

九十六歳の忙しさ

 

 今朝も恒例のように、朝起きてパソコンを開いたら、メールは読めたのに、Safariで自分のBlogやInstagramを開こうとしたら、「internet回線判別中」だの、「Face Time」のパスワードを入れろなどと、変な表示が出て開けられない。

 丁度、昨日が病院の外来受診日で、どうも血小板がまた減っているようだったので、万一

また入院だなどの場合を考えて、パソコンを「システム終了」にしていたので、そのためであろうかと考えたが、もう一度、初めからやり直しても変わらない。

 今日が丁度、私の満九十六歳の誕生日なので、昨日、娘が送ってくれたご馳走のカタログが届いたので、お礼をメールで送ろうとしたところへ、また、死んだ友人の娘さんで、オペラ歌手をしている人から誕生日祝いの大きな花束が届けられたので、その花を持った自画像を取り、それをつけたメールでお礼を言おうと思ったのだが、どちらもメールは読めても送ることが出来ない。

 娘の方は、ちょうどお祝いの電話をかけてくれたので、それでメールの代わりが出来たが、友人の娘さんの方には、どうしたら良いのだろう。折角送ってもらった立派な花を持って写真まで撮ったのにと思い悩んだ。

 何とかならないかと、もう一度電源を切って、一からやり直しても変わらない。このままではお礼のメールが出せないだけでなく、明日からの私のBlogも送れない。パソコンが動かなくては、メールも読めないし、孫たちのInstagramも見えない。 XやFacebook 、Tikitokも開けない。困ったなと思いながら、色々試みてみるがどうにもならない。

 こちらも、壊れたパソコン同様、一つ一つの動作が遅く、何をするにも時間がかかる。その上、途中で階下へ行ってお茶を飲んだりすると、今度はそこへ眼鏡を忘れて来たまた取り直しに行かねばならないようなことが起こったりもする。階段の上り下りだけでも、「よいしょ、よっこらしょ」となって疲れるし、時間がかかる。仕事である。若い時のようには行かない。動作が全て緩慢で、おまけに何をするにも休み休みなので、少しの事をするにも時間がかかる。

 色々試してみてもどうしようもないので、J~comのサービスセンターに助けを求めることにした。親切な女性の応答で助かったが、今度は、こちらの耳が遠いので、親切に言ってくれることが聞きづらい。何とか半分ぐらいは応答できたが、何度も聞き直すのも悪いので、途中から女房に変わってもらったが、女房も九十歳で、パソコンなど私以上にわからない。仕方がないので、後刻娘に連絡して対応し直してもらうことにして、中途半端で終えてしまった。

 ところが、娘が来るまでと思い、繰り返しあちこち触っていると、あれ、今度はちゃんと行けるじゃないか。メールも送れるではないか。急いで花を持った写真もアップして送ることも出来た。かくて、午後になって娘が来てくれた時には、パソコンはいつの間にか従来通り動いてくれていた。

 恐らく、サポートセンターの指示でWiFiのケーブルを抜いたり入れたりしたことで、治ったもののようである。これでやれやれである。明朝の私のブログも送ることが出来る。娘には要らぬ心配をかけたが、こんなことで、瞬く間に一日が終わってしまった感じである。

 昨日は病院の外来受診で、診察が午後1時だったので朝からタクシーの予約をしたり、診察券その他の準備をしたりして、病院でも、受付から、検査室、待合室と長い時間を費やして、

診察はあっという間に済むのに、その後も、会計や薬屋さんへ行くなどで、殆ど1日潰れてしまったが、今日は今日で、今度はパソコンのトラブルで、一日潰されてしまった感じである。

 一日中家にいて、さぞかし時間を持て余しているのではないかと疑われる老人も、結構忙しいのである。ただ動作が緩慢で、疲れやすいので、間に何度も休みを入れねばならないなどで、何をするにも時間がかかり、時間が瞬く間に過ぎてしまうのである。その典型のような昨日、今日であった。

高山病

 血小板減少性紫斑病で入院中、届けられた医学雑誌をペラペラめくっていると高山病の記事に出くわした。暇なのでついそれの絡んだ自分の昔の経験などを思い出したりしていた。 

 学生の頃はよく友人たちと連れ立った槍や穂高駒ヶ岳などと山登りにも行ったが、その頃は山に登っても息切れはすることあっても頭が痛くなるとか、ぼんやりするとか、ムカムカしたなどと言った高山病の様な症状が気になることはなかった。

 ところが50歳代の後半の頃、四国にいる時に、女房と娘の三人で四国の剣山に登ったことがあったが、その時、山頂付近で息が切れて、頭痛があり、しんどくなってしばらく休まなければおれないことがあった。詳しいいことは忘れたが、朝早く何処かで落ち合って、山の中腹までバスで行き、そこから歩いて頂上を目指したのであったが、寝不足のところに朝早く、バスで急に高い所まで来たことが関係している様に思えた。あまり大したことはなく、しばらく休んで回復し、予定通り山頂まで行って帰って来たと記憶している。

 次に高山病かなと思ったのは、飛行機で日本からアメリカの西海岸経由でデンバーにつき、デンバー在住の友人が迎えてくれ、準備してくれていたので、休む間も無く、近くの山に登った時であった。その時は時差で日常のリズムが乱されているところに、寝不足なども重なり起こったものであろう。友人について行くのが大変だったことを思い出す。

 3番目はスイスのアイガーの頂上へ鉄道で登った時である。頂上の駅で展望台に上がるエレベーターは混み合うことを旅行案内で知っていたので、駅を降りるや否や大急ぎで誰よりも早くエレベーターまで走って行ったところ、さすが高所である。エレベータに乗った途端、頭がふらつき、頭痛がし、気分が悪く、息も苦しくなってエレベーターの中でしゃがみ込んでしまったのであった。

 更には、メキシコ・シティに行った時は高地のためか、その上、時差で寝不足も加わっていたのであろう、ホテルでしばらくじっとしておらなければ動けなかったこともあった。

 平素は酸素不足など考えることもなく、意の赴くままに行動しているが、色々な条件下では、こんな経験も何度かして来た。嘔吐や吐き気までいったことはないが、あちこち旅行の途中で時々、こうした頭痛や息苦しさ、しんどさなどに巡り合うこともあったものであった。

 いずれも、高山病と言われるほどのことはなかったが、どうも私は低酸素状態には弱い様である。

このBlogも10年になりました

 このBlogもいつしか、もう10年続いたことになりました。

 もう今はなくなってしまいましたが、毎年7月には、長らく続いてきた私たちの写真のグループ ”SUN77"の例年の発表会のある月でしたので、誰や彼やが見に来てくれて賑わいましたが、その機会に作品をSNSに載せていましたので、2014年の丁度その頃にこのhatena-blogを知ったので、そこへも載せてみたらと思ったのが始まりのようです。

 以来今日まで、いつしか10年も経ってしまいましたが、初めの2014年7月はこの写真展の出展作品と、「徴兵検査」という文章の2編だけでした。その年はこの後、8月に13編、9、10月が9編づつ、11月14編、12月13編と、計60編だけでしたが、次の年2015年からは、年間140~150編、さらに2019年からは、略一日置きに書くようになり、年間で176〜182編ということになりました。これまでに総計では1598編を投稿していることになります。

 内容は、読んで戴ければわかるように、その時々に感じた周辺の社会の出来事の感想や、思い出、写真や絵、映画など趣味の記録や批評、あるいは社会や政治に関する希望や意見など、雑多なものが含まれていますが、根底に流れている想いは、私の青春を滅多切りにした”大日本帝国”の誤り、戦中、戦後の混乱、それ以来80年も続く、この国の哀れな米国への従属下での社会の浮き沈みでしょうか。

 この7月24日で、私もいつの間にか、満年齢で96歳になりますので、残りの人生は僅かしか残されていませんので、このBlogもいつまで続けられるかわかりませんが、Blogのことより何とか、そう遠くない日に、この国がアメリカへの従属を止めて、完全な独立国になり、人々が自分たちの生活を自分たちで作り直していける日の来ることを願って止みません。

 

 

 

 

Post SUN77展・5

 

 60歳の頃から30年以上も続いてきたSUN77展が終わったのが、まだつい昨年のことの様に思えるが、、記録を見ると2019年だからもう5年も前のことになる。あとに残された多くの資料の中には、まだまだ捨て切れない作品も残っているので、それらをボツボツ記録しておこうと言うのがこのPost SUN77展であり、それも今回で5回目となる。

今回は題して「幻の冥宮」。ご賞味あれ。

東京都知事選挙の裏

 今回の東京都知事選挙の結果は衝撃的であった。現職の小池知事に野党のおした蓮舫氏がどこまで迫れるかと思っていたのが、蓋を開けてみたら小池知事が3選されたのは仕方ないとしても、まさか蓮舫氏が2位でなく、泡沫候補の一人と思って気にも止めていなかった石丸伸二候補にも破れて3位という結果になったのには驚かされた。

 SNSを見ていると蓮舫さんの街頭演説風景ばかりなので、大勢の泡沫候補がいるのはいつものことなので、蓮舫氏がどこまで小池氏に迫れるかだけがが関心の的であったので思わぬ結果であった。

 小池知事は私的、公的に種々の問題を抱えているので、選挙中は出来るだけ外に出るのを控え、候補者同士の討論会にも出ず、本人の過去の履歴や、種々の問題点にも一切頬被りを決め込んで、もっぱら手なづけたマスコミやメデイアに依存して、表面に出ずに運動していたようである。

 したがって、投票日までは石丸氏についてはどういう人物なのか全く知らず、小池・自民党陣営が送り込んだ泡沫候補の一人ぐらいにしか思っていなかったので、その人が蓮舫氏を抜いて162万票を獲得して2位につけたことはある意味衝撃的であった。

 石丸氏について調べているうちに、彼が故郷の広島県の田舎の市で、市長となり、Twitterなどの「切り抜き動画」で格好の良いところばかりを載せて人々の関心を寄せ、政策などは二の次で、議会などと鋭く対立するなどしていたようである。それが中央の政治家に目をつけられたのか、ある時から東京の見知らぬIT業者に繰り返し自分のyoutubeなどの動画を作らせ、市長の任期を2ヶ月残して、今度の選挙に立候補しているのである。

 どうしてそうなったのかわからなかったが、彼の選挙の選挙対策本部長が萩生田自民党都連会長のやっている政経塾塾長代行の小田全宏氏となっているので、萩生田氏と小池知事の関係から見ても、その線の関与が十分考えられる。選挙事務所開きの時には統一協会の人たちが手伝っていたとか。やはり小池知事の選挙対策の安全弁となっていたことがわかる。

 ただ恐ろしいのは、その石丸氏の支持が二十代では40%にも及ぶことで、政策よりもIT利用の格好良さが大きく影響していることである。選挙後でも、石丸氏は色々な人の質問にもまともに答えておらず、今後どうするのか気になるとともに、こういった「かっこ良さ」だけで中身のない人物に若者が引っかかりやすいことが心配である。

 

武器の援助より和平の援助を

 アメリカとNATO諸国はアジアの日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドまで参加させてNATO会議をワシントンで開いたが、新聞報道によると、そこでウクライナの望むNATO加盟を今はまだ認められないが「不可逆的なもの」として承認することにしたようである。

 ウクライナが以前からNATO加盟を希望しているのに答えたものであろうが、これではウクライナに武器援助をしてやるから、もっと戦争を継続せよと言っているに等しい。

 最近ロシアのプーチン氏はインドのモディ首相との会談で「ウクライナ紛争の平和的解決が早急に必要だ」と共同声明で強調しているし、最近、ハンガリーのオルバン首相がゼレンスキー大統領と会った後に、ロシヤや中国にまで足を伸ばして、プーチン氏や習近平氏らに会って和平工作をしているところである。結果がどうなるかはまだわからないが、和平への手がかりを潰してはならない。

 現実を見ても、どう見てもウクライナが勝利して和平が訪れるなど考えられないのに、米国やNATOはまだまだウクライナに戦争を続けさせようとするのだろうか。欧米諸国が武器援助をして代理戦争をやらせるにしても限度がある。

 代理戦争でアメリカをはじめとする欧米の軍事産業は儲かるかも知れないが、ウクライナの国民のことを考えるならば、もうこれ以上に戦争を続けさせるべきではないだろう。戦争による直接〜間接的な被害は戦争が長期化すればするほどひどくなるであろう。

 この和平のムードを潰すために、ロシアがウクライナNATO加盟反対を和平条件としていることを知りながら、わざわざNATO加盟への「不可逆性の承認」などを打ち出したのであろうが、世界の人々も、恐らくウクライナの人々も、最早、戦争の早期終結を望んでいるのではなかろうか。

 軍事産業や戦争によって利益をうる人々の反対を押し切って、今こそ世界の常識ある人々は折角の和平への萌芽を活かすべく最大の努力を払うべき時ではなかろうか。