曼珠沙華

 

 毎年秋の彼岸になると決まって咲くのが曼珠沙華彼岸花である。まだ秋の初めの緑豊かな草むらに、毒々しいまでの朱色の花がコントラストを強いて嫌でも目に付く。

 別項に書いたように、酷暑の影響のためか、今年の彼岸花は例年より少なく、小振りの感じだが、それでも、年に一度の彼岸には曼珠沙華彼岸花、はなくてはならない存在である。もう何十年も秋の彼岸の頃にだけ出会ってきた馴染みの花である。

 しかし、この花は私ばかりか、多くの人達にとって、ある種の特別な花であった。子供の頃から、この花には毒があるから触るなと教えられて来たせいか、毎年身近に見ながらも、何か毒々しい赤色に惹きつけられながらも、いつも少しばかり距離を置いて見て来たものであった。

 その昔には飢饉の時などの非常食として田んぼの近くに植えられたもので、水に晒して毒抜きをすれば、根っこは炭水化物が豊富で、非常食になるのだと教えられたことを思い出す。

 その上、この花には別名も多く、葬式花(そうしきばな)、墓花(はかばな)死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)などと聞かされて来たことも、この花が何か特殊で、得体の知れない近寄り難い感じがしていた理由であったのであろうか。

 そんなわけでこの曼珠沙華彼岸花が懐かしく思われるようになったのは歳をとってからであろう。この花は、花が咲く時には葉がなく、葉が出る頃には花はなく、葉見ず花見ず(はみずはなみず)などとも言われているようである。その特異性が忘れ難く秋の彼岸と結びついたのであろうか。

 曼珠沙華という呼び名からしサンスクリットから来ているらしいが、その宗教性と、独特なこの花の朱色と造形、茎と花だけの生態などが結びついて、その上、神秘な毒性までが加味して、彼岸に特有な忘れ難い花となっているのであろう。

 もう私にとっても年に一度の不可欠の季節の花となっているが、これから先どこまで付き合うことが出来ることであろうか。この花が葬式花とか死人花などとも言われる如く、いつの日にか、やがてはこの花に見送られて私もこの世から消えていくことであろう。

 その歳まで後何年生きることであろうか。

        曼珠沙華あと幾度の逢う瀬かな

 

 

可哀想な彼岸花


 今年は地球の温暖化の影響かどうか知らないが、もう九月も終ろうというのに、毎日三十度を超える猛暑日が続き、熱射病の警戒警報さえ出されている。

 こんな猛暑が続いた夏の後では、お彼岸になっても、彼岸には必ず咲く彼岸花などはどうなるのだろうかと気になっていた。そこで、彼岸の日の朝の散歩の時に、例年彼岸花の見られる近くの公園に行ってみると、小振りではあるが、ちゃんと忘れずに咲いているではないか。

 安堵の上、彼岸花にしても、地中の温度の変化を感じて芽を伸ばし、花を咲かせるのだろうが、こんなに暑い日が続いていたのに、如何にして季節を見計らうのだろうかと不思議な気がした。

 ところがやっぱりどこでもそういうわけにはいかなかったようである。彼岸が過ぎてから、朝の散歩の時に注意して見ていくと、毎年見られる川沿いの道端にも彼岸花が咲いてはいたが、その小振りで貧弱なこと。それにまだ開花に至らず、茎だけが伸びて、先端に少しだけ赤色を見せた何とも哀れで寂しげな彼岸花があちこちに2〜3本ぐらいの小集落を作っているのも見られるではないか。

 同じ彼岸花と言っても、個体差も大きいだろうから、季節に敏感なものから鈍いものまで色々あろうが、やっぱり今年の猛烈は酷暑の影響は彼岸花の成長に大きな影響を与えたのではなかろうか。

 何とか茎だけ伸ばしたものの、まだ花を咲かせるには至らない彼岸花の姿は可哀想としか言いようがなかった。酷暑の連続にもどうにか耐えて、わずかな温度の変換にも気付いて、ようやく茎を地上に出したものの、まだ花を咲かせる前に、もう彼岸も過ぎてしまったのであろう。

 彼岸に何とか間に合わせようとしたのだが、どうにもならなかったかのようで、か細い茎の先にほんのちょっぴり朱を覗かせた姿が、必死に努力したのだが間に合わなかったと言っているようで、何だか哀れというより、可哀想な気がしてならなかった。

 地球の温暖化が進み、毎年のように夏の酷暑が続けば、やがて彼岸花もどうなることであろうか。もう2−3年も経てば、彼岸には彼岸花は見れれなくなって、曼珠沙華は十月の秋の花ということにになってしまうのであろうか。

早朝の散歩・・同病相憐む

 歳を取るとともにますます早寝早起きになり、4時にはもう起きている。それに今年の夏は単に例年より暑いと言うのではなく、国連事務総長も「地球が沸騰している」と言ったごとくに、これまでで一番暑い夏となった。九月になっても連日、三十五度を超える猛烈な暑さの日が続いている。熱中症警戒情報まで続いている。老人は昼間は外へ出かけず、家にいる方が安全である。

 そんなことで、毎日朝早くに散歩することにしている、しかし、九月も半ばを過ぎると日の出の時間も遅くなり、5時半を過ぎないと、まだ夜で外へ出るには足元がおぼつかない。従ってこの頃は朝食を済ませ、夏よりは少し遅い目に家を出ることになる。

 朝の散歩の醍醐味は何と言っても朝焼けの雄大な景色である。日の出よりは少し早い時刻の空は朝焼けに染まるが、一日として同じ朝はない。刻々と変わる空と雲との雄大なドラマを見せてくれる。西の空まで空中を赤く染めて日の出を待つこともあれば、東にたなびく濃い雲の下を黄金に染めて陽が上がってくることもある。

 天空では白い雲に黒い雲、それに赤く染まった雲が重なり合って、雄大な絵を描きながら、ゆっくりと動き、微妙に変わっていく様はただぼんやり見ているだけでも心を惹かれる。日頃の細々とした生活とはすっかり切り離されたような天上の世界につい引き込まれてしまう。

 散歩のコースは一応家を出る前に決めてはいるが、そんな早朝の空を見ながら今日はどこへ行こうか、思い直して違った道へ進むこともある。

 一番よく行くのは近くの商店街を抜けて、五月山の麓にある公園や緑のセンターへ行ったり、日にによっては眺望のよい古墳の頂上へ登ったりすることもあるが、一番多いのは猪名川の河原を上流に向かったり、下流に行ったりするコースであろうか。

 川のほとりは川風があって涼しいし、眺望が開けるので気持ちが良い。堤防の遊歩道には

朝が早くても結構ぼつぼつと人が歩いているものである。週末は早くからサイクリングやジョギングの人たちを多く見かけるが、平日は殆ど老人の散歩である、

 まだ70〜80代の元気な老人が颯爽と歩いているのも見るが、杖をついたり、ダブルスティックスで歩いている老人も多い。中には女房の肩に手を置いて歩いている人もいるし、シルバーカーを押している人もいる。夫婦で連れ立って歩いている人が多いが、一人で歩いている人もいる。女性では2−3人が連れ立って話しながら歩いている例が多い。

 出会う人ごとに出来るだけ「おはようございます」と声をかけるようにしているが、その反応もまた面白い。間をおかずに返事の返ってくる人もいれば、慌てて返事する人、悪そうに頭だけ下げる人などさまざまである。中には耳が聞こえなかったり、音楽を聴いていて挨拶が聞こえなかった人もいる。一般に女性の方が愛想がいい。

 そんな中で、先日まだ薄暗い頃の商店街であったが、シルバーカーのようなものを押した大柄な老人と出会ったので声をかけたら、操行を崩さんばかりに満面の笑顔で答えるではないか。予期しなかった反応に、びっくりして手を振ったら、向こうもわざわざ手をあげて振って答えてくれた。

 どうも、こちらがトライウオーカーなる歩行補助器を使っているので、てっきり同じ仲間と判じてくれたのであろう。身体不自由な老人の思わぬ朝早の出会いに、同病愛憐れむ感情に押されたものであろうか。

 きっと自分と同じような歩行器に頼って歩かねばならない孤独な老人が、偶然、朝早い商店街でばったりと同じ仲間に出くわして挨拶されたのが余程嬉しかったのであろう。

 犬も当たれば棒に当たると言われるが、散歩をして外をぶらついていると、思わぬ色々なことに出くわすのも楽しみの一つである。

先制攻撃をしても軍隊は持たない?国

 日本国憲法を一度読んでみて下さい。それがどんな経緯で作られたものであるにしろ、この憲法に書かれたことは、国民と政府の約束の根幹なのである。ここに書かれてあることに従って、国民は政府に政治を行なってくれと言っているわけなのである。

 ところが上の文章を見て、もう一度国民が政府としている約束を確かめて下さい。今更ながら、誰しもこの文章と現実とのあまりにも大きな違いに驚かざるを得ないでしょう。

 いつの間にか「新しい戦前」と言われるように、きな臭くなって来ている咋今であるが、上の通り「戦力は保持しない」と憲法にはっきりと書かれているのに、現実の日本には、戦車もミサイルや軍艦も、戦闘機やオスプレイもあるし、敵基地への先制攻撃が可能なミサイルの配置さえ進んでいる。軍事費も全国家予算の2%にすると言っている。あまりにも憲法の文言との乖離に驚化されるばかりである。新聞によれば米軍の宇宙軍にまで自衛隊は加わるようである。

 この憲法が出来た時には、日本には軍隊はなかった。それが1950年に警察予備隊が作られ、やがてその重武装化が進み、保安隊を経て自衛隊となった。自衛隊は戦車も持つようになったが遠慮して戦車と言わずに特車と言われていた。

 1954年には海外派兵禁止となったが、1980年には武力行使をしなければ海外派遣も可とした。1999年には周辺事態法で米軍の後方支援を可能とし、2014年には海外派遣を拡大した。次には、PLO協力法や国際緊急援助と次第に活動範囲を広げ、ついには集団自衛権まで可能とする憲法の解釈まで変えた平和安全法制を成立させるにまで至った。

 もはや誰が見ても、憲法の記載との間の乖離に驚かされないではおれない。常識的に誰が見ても、誰が読んでも「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と書かれた憲法と、現在の現実の日本の自衛隊やその戦力の実態とが合致しているとは思えない。

 しかも今や先制攻撃が可能なミサイルを南西諸島の島々に実際に配置し、軍事費を国家の総予算の2%にまで引き上げ、更には、今や殺傷能力のある武器輸出までしようとしているのである。普通の人の普通の常識からして、これでも憲法に従って軍隊を持たない国と言えるのであろうか。

 これが現在の日本の現実なのである。行き詰まった政府は、憲法を改正してこの矛盾を解決しようとも企んでいるが、まさに政府や国会議員こそが、憲法を守る義務を課せられていることを知るべきである。憲法の九十九条には以下のようにはっきり明記してあるのである。

第九十九条
天皇又は摂政及び国務大臣国会議員裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 国民は政府との基本的な約束である憲法を政府にきっちりと守らせ、軍隊を持たない平和な国の維持をどうしていくかを、アメリカとでなく、先ずは国民と政府で話し合って進めていくべきである。

 

 

 

 

 

映画「福田村事件」

 最近、関東大震災から100年というので、新聞でも取り上げられた地震直後の朝鮮人虐殺事件の時に、たまたま香川県から千葉へ来ていた行商の集団が、朝鮮人と間違えられて何人も殺された悲惨な事件の映画である。

 関東大震災の後の混乱の中で、「朝鮮人が井戸に毒を撒いた、放火した」などという噂が広がり、それを真に受けた人たちが、一部の村では総動員で警戒体制を敷き、朝鮮人を見つけては集団殺戮を行なったという恥ずべき歴史についての映画である。

 この事件があったことは、数々の証拠もあり、明らかなことであるにもかかわらず。小池都知事は例年行われて来たその追悼式への出席を固辞し、松野官房長官もそういう政府の記録は存在せず、調べる必要もないと答弁して問題となった事件である。

 政府はあくまでも、この忌まわしい事件をなかったかのように否定してしまおうとしているようであるが、この事件はかなり広範に行われたものであり、その記録も多く、今更政府が否定しても、歴史から消すことの出来ない汚辱に満ちた事件なのである。

 私は関東大震災の5年後に生まれたが、東日本大震災の話が10年後にもよく話されていたように、関東大震災の話をよく聞かされたものであったが、その中にも出て来た話であり、朝鮮人と日本人では外観からは区別が付かなかったので、朝鮮人が発音しにくかった「五十銭」などを言わせて、満足に言えない者は朝鮮人として殺されたたというような話を聞かされたものであった。

 その影響かかどうか知らないが、我々の子供の頃には、朝鮮人を馬鹿にした歌を何も知らないままに子供なりに歌ったりしたものであった。「五十銭、五十銭、拾って見たら、ビール瓶の蓋で、馬鹿みたい」というのを「コーチセン、コーチセン、ピロテミタラ、ピルピンノプータデパカミタイ」と歌わせられていたものであった。

 日本人がRとLとの区別がつけにくいので、Rice とLiceの発音の使い分けが困難なので、日本人は 米(Rice)でなく、シラミ(Lice)を食べていると言われるようなものである。

 福田村事件でも同じようなことが出てくるが、間違った噂に翻弄された民衆が、それに乗せられると、とんでもないことが起こりうることを、事実が示してくれた事件だったのである。これによって、その地方に住む朝鮮人が如何に多く殺されたことであろう。映画に出てくる香川県からの行商以外にも、地方の出身者などで、発音が悪かっただけのために、朝鮮人と見なされて殺された人のいたことも聞かされたものであった。

 映画は当時の風俗、風習などをうまく忠実な描写していたが、当時の日本が如何に遅れた野蛮な社会であったこともよく分かり、現在と大きく違っていたであろうことも分かるが、インターネットなどを介して昔以上に間違った情報や噂が広がり易い現状を知ると、この福田村事件のようなことは今後も起こりうることだと考えておいた方が良いのではなかろうか。

九十五歳の夏

 

 今年の夏に私は九十五歳の誕生日を迎えた。私の一生は天皇制の大日本帝国で始まり、十七歳で敗戦による全ての崩壊と消失を経験し、その後はアメリカの従属国家として、国民よりアメリカ優先の政府の下で、78年も暮らして来たことになる。

 最早、地球も人新世の時代となり、資本主義の活動は地球の温暖化ばかりでなく、その環境破壊の限界を越えつつあるようであるが、止れば転ぶ資本主義は最早滅亡に向かってまっしぐらに走り続けざるを得ないようである。

 幸か不幸か、私はこの夏、九十五歳の誕生日を迎えた。この先の命は短い。まさに「大洪水よ。我が亡き後に来たれ」である。それでも「後は野となれ山となれ」と突き放して考えられないのが悲しい。

 そんな私にとって、この九十五歳の夏は消えゆく光の最後の輝きだったのかも知れない。六月にイギリスにいた孫が南アフリカの友達を連れて我が家へ来てくれたのが始まり。七月にはロスアンゼルスとワシントンDCにいる孫が二人、一緒に訪ねてきてくれた。そして九月の初めには上の娘夫婦がニューヨークから戻ってきてくれた。

 もう二十年も前のことになろうか、全員が志摩のホテルで揃った時に、もう皆が全て揃うのはこれが最後になるかもと思ってそう話したことがあったが、幸い、その後も全員一度にというわけには行かないが、それぞれの機会を見ては訪ねてくれたり、こちらから出向いたりして会うことが出来ていた。

 ところが、歳をとると、海外まで足を伸ばすのが億劫になり、こちらに来てくれるのを待つしかなくなってきた。そこへコロナの流行もあり、しばらく途絶えた時期もあったが、今年は皆で申し合わせせたかのように、全員が順に来てくれて私の誕生日を祝ってくれた。それぞれどの組とも一緒に箕面の滝まで行くことも出来た。

 おまけに孫が私を撮って編集したショートムービーが馬鹿受けして、百万人近くもの視聴者をうみ、アメリカのCNBCが取り上げて文章にして拡げる等ということまで起こった。また下の孫は私のカトゥーンを描いてくれたし、上の娘は自作の壺を送ってくれた。

 もうこんな機会は永久にないであろう。喜んで冥土の土産にでもしよう。それに昔だったら一旦別れたら、せいぜい海外の電話で高い料金を払って「もしもし・・聞こえますか? 聞こえますか? zuzzzz・・・・」だったのが、今では時差はあるものの、スマホですぐ近くにでもいるかのように話せるのが有難い。

 それにもう一つ、今年の夏の取り柄は私がトライウオーカーなる三輪の歩行補助器を見つけて、手に入れて愛用していることである。杖歩行では次第に足が遅く、疲れやすくなり、何度も休みを入れないと、長距離は歩き難くなり、毎月の箕面の滝行きも止めざるを得ないかと思っていたのが、このウオーカーを手に入れたおかげで、上に書いたように、また箕面の滝まで人並みに行けるようになったし、日頃の生活でも快適に歩けて重宝していることも付け加えておくべきであろう。

 

哀れな小学校教員

 新聞を見ていたら「購入費めぐり不正、少学教頭を免職、大阪市教委」という小さな記事が偶然目に止まった。「市立の小学校の男性教頭(43)が図書室用の椅子を購入する際、自宅用のベッドパッドとステップチェアも納入業者に買わせ、代金を大阪市に請求するよう指示したとして、市教育委員会がその教師を懲戒免職処分にしたと発表した」と書かれていた。

 先ずは、そんな小さなことで可哀想にという気分になったが、その教師は以前にも学校のパソコンや椅子などの購入などで業者に口頭で発注し、不適切な事務処理をしたとして停職1ヶ月の懲戒処分を受けていたとあるから、懲戒免職も当然だったのであろうと思い直した。

 新聞の短い記事だけからの印象なので、不確かな部分が多いが、今回の汚職の総額が約8万円とあるから、何と細かい汚職で懲戒免職になり哀れだなという感じがしないではおれなかった。

 つい最近問題になって議員をやめさせられた秋本衆議院銀のことを思い出さないではおれなかった。こちらは「政府が導入拡大を目指している洋上風力発電をめぐり、秋本真利衆議院議員が、事業への参入を目指す風力発電会社の元社長から、会社が有利になるような国会質問をするよう依頼を受け、その見返りにあわせて6000万円余りにのぼる借り入れや資金提供を受けた疑いがあるとして、東京地検特捜部は秋本議員を受託収賄の疑いで逮捕しました。」ということである。

 どちらも汚職汚職、片や国民の代表としての衆議院銀と、片や子供達へ見本を示すべき立場の学校の教頭先生という立場にありながらと、非難されて当然であろう。罪は罪で両者とも罰せられて当然であろうが、この両者の社会的立場と、汚職の金額の違いに驚かないではおれない。

 小学教師の庶民としてのささやかな自分の生活改善のための汚職に対して、風力発電業界の利権に関わる問題を利用して、賄賂で自分の趣味の競馬馬の関係の費用を賄おうという対比を多くの第三者はどのように見たことであろうか。同じ汚職と言ってもピンとキリではこんなに違うものなのである。

 両者の悪の程度を比べることも大事だろうが、それ以前に、同じ汚職といっても、その社会的な立場による汚職の金額の違い、社会的影響の大きさの違い、汚職における態度の違いなどに驚かされるばかりである。

 我々の社会はこの両者の汚職を、どう判断して、どう罰することになるのでろうか。