庭木で家屋の建設年代がわかる

 現在私が住んでいる町は、明治時代に阪急電鉄の創設者小林一三氏が、がサラリーマン向けに分譲した所である。一区画が百坪から二百坪ぐらいの生け垣や板塀で囲われた住宅が並んでいたが、今では、古くからの住民は最早死に絶え、殆ど住民も入れ替わり、敷地も二分割、三分割が進み、所々に昔の面影のある家を残すぐらいで、殆どが、建て替えられ、新しい家並みに変わってしまっている。我が家も角から三軒目と言っていたのに、いつしか今や五軒目である。

 しかし新しい家と言っても、出来た時代によって、その時々の建築の流行に左右され、家の形も庭木なども違っているので、外観だけでも、いつ頃の建物か想像のつくことが多いのが面白い。昔の家は門があって、その奥に建物の玄関があり、建物の裏に庭があるのが普通だったが、最近の家は土地の分割によって土地が狭い上に、駐車場が必須なので、道路に面した空間をそれに当てるため、塀もないか、あっても申し訳程度で、建物は駐車の分だけ道路から引っ込んだ所に建てられることが多く、そのため裏の庭がなくなり、境界いっぱいにの家が建っていることが多い。

 隣家との境界が狭いと、広い開口部では家の中が丸見えになるので、どちらに向かっても広い開口部が造れなくなり、折角作っても、広い窓もシャッターを下ろしたままだったり、すぐ外に高い目隠しを作ったりしなければならなくなっているようである。

 その経験を生かしたのであろうか。最も新しい造りの家では、初めから人も通れないような縦細の窓しかない家が多くなったようである。日本のように湿気が多く蒸し暑い所ではどうかなと心配になるが、冷暖房の発達で賄えるのであろうか。また、あんな狭い窓では、いざという時に外へ飛び出すことも出来ないのではと気にもなるが、狭い家だから、玄関が近いので心配なしということであろうか。

 昔の日本の家には必須の構造であった縁側というものが、すっかり姿を消してしまったようである。それに準じた大きな開口部のある広い窓さえ少なくなった。道路側から見ているだけだが、人一人も通られないような縦細の窓しかないような家ばかり並んでいる感じである。折り込み広告で入ってくる建築屋さんの広告を見ても、新築の家はどれも広い開口部のない、窓の小さなさな家ばかりが載っているので、新しい建築のトレンドなのであろうか。

 それにしても面白いのは、新しい建物の玄関周りには何処でも一、二本の庭木が植えられることが多いものだが、その庭木が建物の造られた年代によって、その種類が変化していることである。逆に植わっている樹木から、その家の建築年代が分かろうというものである。

 確か千里にニュータウンができた頃には、新しい家やマンションには、ニセアカシアが植えられたことが多かった様な気がしているが、最近の近隣の様子を見ていると面白い。10年〜20年前ぐらいはハナミズキが多かった。これは米国ではダグウッドといわれたもので、ポトマック・リバーの桜を日本が贈った返礼に、アメリカから送られたのが初めと言われている木で、桜より少し遅れて咲く木である。

 この木は私にとって忘れ難い木なのである。昔アメリカに滞在していた時に、ボスの家の庭に大きなこの木があり、桜に似た満開の印象が強かったので、今の家を建てた時に、芝庭の真ん中に植えてもらったのであった。

 当時はまだ日本ではそれほどポピュラーではなかったことあり、毎年桜より少し遅れて満開になるので、隣家の人まで楽しませたこともあった。しかし、そのうちにこのダグウッドが流行するようになり、新しく建て替わった向かいの家にも植えられたし、あちこちで見るようになった。隣の川西市では街路樹になっている通りもある。

 ところが、最近建てられた窓の狭い新しい家の前に植えられている木は、殆どといって良いぐらい、今度はトネリコである。今がちょうど花盛りの季節らしく、近在を散歩してもあっちにもこっちにも白っぽい花を一杯咲かせている。

 新築の家と庭木はまるでセットで売られているかのようである。