世の中が追いついてくる

 朝の新聞の折り込み広告に最近はやたらと葬儀屋の広告が多くなった。老人社会で死者が多くなったためであろう。今朝の葬式屋のチラシには「家族葬2日プラン」「同1日プラン」などに加えて、最もシンプルな形を顧望される方のためのプランとして「火葬のみプラン」というのも載っていた。

 私はもう随分昔から、私が死んでも葬式はするな。何も宗教に絡んだ儀式は一切行わずに、火葬だけして貰い、分骨などは受け取らず、墓は不要と言うのが希望だとして家族に伝えてきた。無神論者が宗教的な弔いをしたり、人々の異動の激しい時代に、先祖代々の墓に葬られることを忌避し、自然に還るべきだと考えてきたのである。

 但し、葬送は遺族のするものであるから、死者は希望を述べるだけで、実際の行為は遺族が決めることを妨げるものではないことも添えている。

 日本が戦争に敗れ、神国日本に生まれ、現人神の天皇のために本当に死のうと覚悟していた自分の全存在が否定され、神も仏も失って、虚無のどん底に突き落とされて以来、無神論者になったのが私のこの死後の希望の根拠である。戦時中あれほど神社へ参拝したのに、戦後は神社へ行ってもお参りすることはなく、お寺やお墓とも縁遠くしてきた。戦後に執拗に勧誘されたキリスト教をも頭から拒否した。

 そんなことから自分の死を考える時にも、命が終われば遺体は単なる物質であり、宇宙の物質代謝に組み込まれて素直に自然に還るべきだとしてきた。ましてや宗教のお世話にはなりたくない。魂が空を飛ぶようなことも考えることも出来ない。家族や知人に残すものは思い出だけで良い。知人も概ね先に死んでしまっている。

 死後の遺体の処理で一番良いのは自然に委ねる鳥葬や土葬の類であろうが、それが許されなければ火葬で処理した後に、全てを自然に任せることではなかろうか。残された遺族の心の安らぎは死者の残された記憶や記録などによるべきで、生前に宗教と縁を切った者の思い出に宗教は必要なかろうと思う。

 但しを繰り返すならば、これらはすべて残された人が決めるべきことであろう。最近では直葬だの散骨だのといった宗教色の薄いか、無い葬送が多くなってきているようである。

 私に出来ることは希望を述べることだけであるが、世の中の趨勢はますます従来からの私の考えに近づいてきているようである。