また三月十一日がやってきた。私にとっての三月十四日の大阪大空襲と同じように、被害に遭われて多くの人たちにとっては忘れることの出来ない日に違いない。
昨年はこの日に、津波当時の「頑張ろうなどいうな!」という津波被害にあわれた魚師の言葉を再録したが、今回は私が全く同感した下記の文章をここに再録させていただくことにした。
昨年の2月23日だったかのFacebookで見つけた、上田誠氏の2015年3月12日付の『「絆」「花が咲く」が分からない』という一文である。
毎年、繰り返される「絆」の唱和。私には、これがさっぱり分からなかったし
津波で子どもを失い妻を失い、祖父、祖母を失った者とその死者とのつながりなのか、
死者とのつながりを失うなということか。であれば、死者との交信はやすらぎではある。
被災した者を勇気づけるための「私たちはつながっているよ」という、
まさか、こんな意味で唱和するくらい他人の不幸に鈍感になってしまったのか。
残された人生を楽しく生きて行けるものか、前を見て生きていけるものか。
ましてや、私たちとつながっているよ、と他人が手をさしのべるのは、あまりに失礼すぎる。
被災者の、生きるほどに苦しくなっていく、その心が見えないのだろうか。
家族全員を失った男が「絆」の言葉なんか聞きたくないという映像があった。
そう思いたい気持ちは分からぬでもないが、福島ではほんとうに「花」が咲くのだろうか
悲しみに苛まれて、生きるのが苦しくて、もうどうしようもない絶望の淵で
どうしようもないことが起きたのであり、その悲しみは、容易に「前を見て」なんていえないほどにそれほどに苛酷な天災であり、福島であったとのだとしか私には思えない。
松本昌次さんには「花は咲く」という歌が戦時の『海行かば』にどうしても重なると言っている。彼はまた、
絶望の悲しみが「希望の涙」に変化するその変わり身がファッショに繋がるという直感もそうだが、「日本人」の、乗りこえるべき「心性」がまずは、ここにあるように思う。
かつて、障害児施設にボランティアに来た中・高生が2週間足らずの活動で
「障がい児は、みんな一生懸命生きている、純真な心をもつ子たち」と
障がい児は一生懸命に生きることを強いられ、純真な心をもつとの偏見に
時代は大きく変わってきたというのに毎年、3.11が近くなると
私のことはどうでもいいのだが、被災者、福島の悲しみを勝手に巻き込んではいけない、