人生でいちばん良かったことは「敗戦」?

『人生でいちばん良かったこと問われ「終戦」と言う百寿者あまた』(一月二十六日、久留米市 塚本恭子)と言う句が新聞に載っていたが、もう百歳に近いと言っても良い私にはどうしてもしっくりしない感を拭えなかった。

 確かに私にとっても、終戦ではなく敗戦であったのを別にしても、人生の中での何よりも大きな分岐点であり、冷静に客観的に見れば、戦争が終わったことは確かに人生でいちばん良かったこととも言えるかも知れない。

 しかし良かったかと問われると、どうしても引っ掛かるものが大きい。戦争が終わった時、私はまだ17歳の海軍兵学校の生徒であり、生まれてからそれまで神国あるいは皇国である大日本帝国しか知らず、本気で天皇陛下のために死ぬ気でいたのが、突然の敗戦の詔書で、世の中が急変し、それまでの私の全てが奪われ、空虚の中に放り出され、途方に暮れたのが敗戦(終戦)だったからである。

 良かったと言ってしまうにはあまりにも引っ掛かるものが多すぎ、これまで良かったと自分で思ったことなどなかった。戦後の混乱、闇市、買い出し、浮浪児、飢餓、自殺等等、世間の急変、価値観の急転に人々は混乱するばかり。占領軍にねだる子供たちや売春婦たち。「国破れて山河あり」が憎らしく、何もかも失った後のニヒリズムに陥った私がそこから立ち直るのにどれだけ時間がかかったことであろう。未だにその痕跡が残っている気がしてならない。

 百歳にも近くなった私の人生は、この敗戦を境にその前後で全く切り離されているようなものである。敗戦がいちばん良かったことだったと単純に言うには余りにももそれにつきまとうものが重すぎるのである。