武器で国は守れない

 政府な最近「防衛計画の大綱」と「中期防衛力整備計画」を閣議決定した。「多次元統合防衛力を目指す」として、宇宙やサイバー空間まで含む防衛力の強化を目指すもので、最早「平和憲法」を完全に無視し、「専守防衛」の枠を超えて、自衛隊の攻撃能力を拡大するものである。

 最近の日本の軍備費の増強は異常である。今年初めまでは、北朝鮮の危機を煽って「最大限の圧力をかける」と言っていたのが、米朝会談が行われて、アメリカが北朝鮮と対話路線に転じると、今度は尖閣諸島南シナ海の中国の動きを取り上げて、中国の危険性を煽って、軍備増強を進めようとしている。どうも軍備を増強することが目的で、そのために北朝鮮や中国の外圧を煽っているように思えてならない。

  これもアメリカとの連携の上で行われているもので、トランプ大統領にお礼を言われる程に、アメリカに言われるままの大量の武器の購入を決め、その総額は5年間で27兆円にものぼるそうである。イージス・アショアが5000億円、オスプレイ17機で3500億円、F35戦闘機100機1兆円などが主なもので、その他にも、辺野古工事に2.5兆円を当てているようである。

 さらには我が国自体のものとしても、自衛艦「いずも」を、「多用途運用護衛艦」であり、常時は戦闘機を積まないのだから航空母艦ではないと、見え透いた言い訳をしながら、実質的な航空母艦に改造し、石垣島や他の南西諸島にも自衛隊を配備し、自衛隊のミサイル基地を建設するなど、最近の軍備増強には目を見張るものがある。 

 しかし、考えてみて欲しい。強力な軍備があれば、国防は安全であろうか。今や核弾頭のある時代である。日本の小さな国土は水爆の4、5発も落とされれば全滅である。そうでなくても、若狭湾の地上に固定された原発などは、日本海からの小型艦船からの攻撃も可能で、容易に破壊され得るであろうし、その結果の放射性物質の拡散だけでも広範囲の国土の荒廃を免れ得ない。しかも、少子高齢化で人口減少の続く日本が、およそ攻撃型国家に相応しくないことも明らかであろう。

 それに武器は一方的なものでなく、こちらが増強すれば相手も増強し、軍拡競争になるだけで、これで安全という所はない。更に武器は刻々更新されるものなので、大金を投じても、忽ち時代遅れになって、使い物にならなくなるものである。対艦巨砲時代の遺物である戦艦大和や武蔵が全く役に立たなかったことでもよくわかるであろう。

 軍備費は国を守るために不可欠だと言いながら、殆どが何の役にも立たないうちに捨てられる、大きな無駄遣いなのである。もしも役にたつ時があるとすれば、大規模な武器の使用が人類を地獄へ突き落とす時だけであろう。その対価が武器商人を儲けさせるだけのことなのはあまりにも惨めである。 

 国防で、武器より大事なのは外交である。利害関係国とは常日頃から政治的な話し合いによる外交で、平和的な友好関係を保持増進させておくことが、武器よりも遥かに優先すべき手段である。軍備費を削ってでも、外交に力を注ぎ、近隣国との友好関係を維持し発展させることが、戦争を避け平和を維持する本道であろう。

 武器のために、大金を無駄使いすべきではない。3000億円あれば、国立大学全学生の学費がタダに出来るそうである。また、大都会で定員90名の認可保育所が1け所2億円なので、F35一機分だけでも、50ヶ所4500人分の保育所が出来る計算になるようである。

 ところが、政府は最近、韓国との間にまたもや、些細なことで争いの種を蒔いている。国の将来を考えれば、ここらで、政府はもう少し慎重に考えて行動すべきではなかろうか。真に国を愛し、将来の明るい日本の展望を描くならば、ここらで国の現状を正確に分析し、近隣国との友好関係を重んじ、アメリカ追随や懐古趣味の危険なナショナリズムを再考して、民主主義路線に戻ることを切望して止まない。