今年の漢字”戦”

 毎年行われる京都の清水寺の「今年の漢字」は”戦”となった。これは今年の2月に始まったロシアのウクライナ侵攻によるウクライナ戦争を象徴しているのであろうが、”戦”はウクライナだけでなく、恐ろしいことであるが、日本でも、戦争へ向かう歴史的な転換点になった年であったとも言えるかも知れない。

 言うまでもなく、今秋、閣議決定された、予算の裏付けも後回しにした、防衛費の巨大な増額や、敵基地への先制攻撃を可能にした事である。アメリカの要請によるものであろうが、誰にもわかるように、先制攻撃をすれば、当然反撃が起こり、戦争になるということである。

 戦争にまでいかなくとも、先制攻撃可能をとするサインは、それで周辺国が攻撃を諦めるわけではなく、それに打ち勝つための準備として軍備を増やし、軍拡競争になるだけでなく、相手国も先制攻撃をも狙わざるを得ないことになり、国際的な軍事危機を増強することになる。

 もともと日本は平和憲法を堅持してきて、周辺国の信頼も得てきたのである。それを破り、先制攻撃可能と宣言することは、今後如何に平和憲法を守ると言っても、誰にも信用して貰えず、日本をわざわざ危険に晒すことになる。 

 しかも、今年は折角の中国との間の日中国交正常化50周年記念の年にあたり、相互に友好を広めるチャンスだったのに、表立った交流もあまりなかった。

 外交的努力の伴わない軍備増強は誤解を招き、決定的な関係破綻にも繋がりかねない。アメリカが中国の台頭を抑えようとして、日本を利用していることが見え見えになのに、それに乗せられて、これまで積み上げられてきた中国との友好関係をだいなしにすることは、日本の自殺行為にも繋がりかねないことを知るべきであろう。

 中国は日本のすぐ隣国であり、今やアメリカをも凌がんばかりの大国であり、強大な人口や面積を持ち、日本の最大の貿易相手国でもある。昔からの文化的な交流も深く、中国なしでは日本が立ち行かないと言っても良いぐらい大切な国である。 

 そんな国と仮に戦争をしても勝てるはずもない。かって日本が中国へ侵略した歴史を振り返ってみても、当時あれほど遅れていた中国であったにもかかわらず、日本軍は戦闘には勝っても、戦争にはついに勝てず、結局、太平洋戦争になって負けてしまった歴史を思い出すべきであろう。ましてや現在の発展した中国に日本が勝てる機会は先ずないであろう。

 ここらでアメリカの要請を断ってでも、日本独自の考えで平和憲法を守り、中国との友好関係を深め、平和を維持していくことが日本の生きていく道ではなかろうか。現在が日本の生き残りか滅亡かの分岐点となるのではなかろうか。そう言う意味で、今年の漢字”戦”は意義があるのではなかろうか。