東山魁夷展

 京都の近代美術館で東山魁夷展があったので見に行ってきた。これまでにもこの画家の絵はよく見てきたが、唐招提寺の障壁画はテレビで見せて貰っただけで実物を見る機会がなかったので、それが見たさに訪れたようなものであった。

 東山魁夷展とあらば、どうせ込み合うだろうと思って開館よりも早く行ったので、大勢の人が押し寄せる前に、目的の障壁画をまるで独占するようにゆっくり見ることが出来たのが最大の得点であった。この人の絵は墨と緑青だけの単色の静謐な感じのするものが多いが、その単純な画面が返って何かスピリチュアルな世界に引き込んでくれるような所が人々を惹きつけているのであろう。

 この作品の展示のはじめの方は、初期の赤みがかった山の風景や、緑一色の道、林や湖と馬などと、ユニークであるが見慣れた絵が続いている。ドイツの風景や建物もあったが、私も訪れたことにあるハンブルグに近い小さな町ツエッレにもこの画家が訪れていたことを思い出した。

 出品作品の数もかなり多かったが、何と言っても、今回の目玉は唐招提寺の障壁画であった。これらはかなりのスペースをとって部屋ごと再現されており、実物通りにゆったりと見ることが出来るようにしてあったので値打ちがあった。

 障壁画の中には、桂林の特徴的な山の風景もあったが、圧巻は最後の空間を占める日本の海岸の風景であった。盲目になって日本の土地を踏んだ鑑真和尚が経験したであろうという日本の海を和尚を忍んで描いた絵である。海中の岩に砕ける波から、海岸に打ち寄せる波、砂浜にゆっくり満ちては返す静かな波までを巧みに描いているのはさすがである。いつまで見ていても見飽きない。

 それに、私は薫風という揚州の建物の周囲の柳の絵も好きだ。風に吹かれてそよぐ柳の様を描いた作品は本当に五月の薫風を感じさせてくれる。スケールが大きいこともあり、臨場感が強く、本当にそこにいてそよ風を感じているようで、立ち去り難い感じがした。

 それにもう一点、今回の展覧会での思わぬ経験をした絵があった。「月こう(竹冠に皇)」という夜空の月の光りに照らされる竹林を画面一杯に描いた大作である。

 近くで大きな画面に向かい合っていると、周辺の竹の梢が揺らいでいるではないか。目の錯覚で揺らいで見えたのであろうか。じっと見ていると確かに周辺の竹の穂先が動いているのを感じる。確かに揺らいでいる。絵を見てそんなことを感じたのは初めてであった。

 念のため、一度離れて他の絵を見てから、もう一度見直して見ても、じっと見ているとやはりあちこちと竹の梢の先がそわそわと動いている。自分が静かな夜に、月明かりの下で、竹林の中に佇んでいるような感じであった。

 昔、雪舟が書いたネズミが本当に動いたとかいう話を聞いたことがあるが、静止した静かな絵の中の竹の梢が動くというのは、恐らくこちらの目の錯覚であろうが、作者の腕前の結果か、こちらの幻想かわからないが、初めての経験で忘れられない記憶となった。

 おかげで京都まで出かけた甲斐があったと思っている。