6月21日付の朝日新聞のSNS「朝ニュースレター」に「蛍の光」の唱歌のことが載っていた。
今はどうか知らないが、長らくどこの小学校の卒業式でも、必ずと言って良いほど歌い継がれてきたこの歌と、大日本帝国の歴史との関係を、早稲田大学名誉教授の大日方純夫氏の「唱歌『蛍の光』と帝国日本」なる本から読み取り、歌詞の4番で沖縄が取り上げられていたのが、また消えていった歴史を語っていた。
ところが、今度は26日の朝日新聞に「『沖縄「蛍の光」に入って消えた』と題して、第一面にデカデカと同じ記事が出ていた。沖縄の日に合わせて、一面の特記記事になっていた。それによると、「蛍の光」は、最初1882年(明治15年)に文部省が小学校の「唱歌」として発表したものだそうである。
どちらの記事にも、1890年代に出版された「新編教育唱歌集」(教育音楽講習会編)に載った当時は「蛍」と題されていた歌詞が添えられていた。
かっては歌詞の4番に沖縄が出ていたのが、敗戦後4番は削除されて、なくなったことが書かれていた。4番の歌詞は「千島のおくも沖縄も 八洲のうちの守りなり 至らん国に いさをしく つとめよわがせ つつがなく」と書かれていた。
我々老人も戦前、小学校の卒業式には、この「蛍の光」を歌っていたのだが、先日のSNSの記事に載っていた「蛍の光」の4番の歌詞だけは、どうもしっくり来ない。確か最後に何かこんなような歌詞があった気もしたが、どうも記憶が曖昧で馴染みがない。もっと早くに4番はなくなり、我々は歌っていなかったのかも知れないとも考えたが、もう忘れているだけで、やっぱり歌っていたのかもと考えたりもした。
ところが、その疑問は今日(6月26日)の新聞で氷解した。戦後に、この4番が無くなるより前に、4番の歌詞はもっと早くに時代に合わせて変えられていたのである。二十世紀になってから4番の歌詞は「台湾の果ても 樺太も 八洲のうちの まもりなり」となっていたようである。
これなら確かに歌った覚えがあるので納得した。「歌は世につけ世は歌につけ」で、戦後に4番がなくなったのは当然であった。