老人は忙しい

 若い時には、歳を取ればすることもなくなり、時間がたっぷりあるだろうから、大河の側にでも寝そべって、水が悠々と流れていくのを眺めながら、ゆったりとして休むことも出来るのではなかろうかと思ったりして、何か憧れのようなものさえ感じていたものであった。

 ところが、実際に歳をとってみると、そうはいかない。万事動作が遅くなり、する事、なす事に時間がかかるようになるので、そんなに悠々としている暇などないものである。依然として、時間に追いまくられて、しなければならないことをやっとこなして、忽ち1日が終わることになる。歳を取って暇になったら読んだらと思って買った積読(つんどく)の本を、開くところにさえ行かない。

 朝起きて、パソコンを立ち上げ、窓を開けて、朝食をとり、歯を磨くなどの身繕いをして、新聞を取り込んで目を通すところから1日が始まるが、近頃は、昼間はもう暑いので朝のまだ涼しいうちに、近くの散歩に行くことにもなる。

 およそ半時あまりで戻って来て、新聞を読んでいると、忽ち、ラジオ体操の時間となる。それを済ませて、最後に新聞に「数独」などをしていると、すぐにもう8時の薬を飲む時間となる。それが済めば、少しばかりナップをとる。これらが朝のルーチンである。

 それをを済ませば、あとは書斎に籠ってメールを見たり、ブログを書いたりすることになる。ところが、このブログを書くのも、若い時のようには行かない。タイプが遅くなり、誤りも多くなるので、今の若い人と比べるならば、2倍も時間がかかっているのではなかろうか。雨だれの如く、ポツンポツンとキーを叩いているうちに、たちまち11時、我が家の昼食の時間になってしまう。食後はゆっくりテレビのニュースなどを見て、もう一度、半時間ほど横になって体を休めたりすることが多い。

 午後はまたパソコンの続きを見たり、本を読んだり。天気が良ければ、トライウオーカー(歩行補助器)に頼って、近くへ出掛けて用事を済ませたりする。帰って一服、相撲のある時は、テレビの相撲などを見たりしていると忽ちもう夕食の時間が来る。それ最近は、娘の教えてくれた「座って出来る体操」とやらにも付き合わねばならないので余計に忙しい。

 娘がなるべく一緒に夕食を摂るるように来てくれるので、女房と三人であれこれ喋りながら食事を楽しむ。ただし、目も耳も悪いので、女房と娘の会話も半ばしか分からないし、テレビも近くでないと画面もぼけるし、聴こえも悪い。読書をしたりしてから、入浴したりしていると、もう忽ち、寝る時間。一日があっという間に終わってしまう。最後に女房と一緒に20分の座禅を組んでから寝るのも習慣になっている。

 百歳に近くなっても、老人は老人で、結構、時間に追われて、忙しいものである。 何も考えないで、ただゆっくりと大河の流れ行くのを眺めるような時間のゆとりはもう一生ご縁がないようである。