朝方まだ目が覚めきれない夢うつつの中で思っていた。いつの間にかもう百年近くも生きてきたことになる。何も知らなかった軍国少年が、国が敗れて、全てをなくし、神にも仏にも裏切られて、戦後の長いニヒリズムに陥り、ようやく掴んだ民主主義や共産主義も、横暴な資本主義や帝国主義に押しやられ、国や社会の発展にも同調出来ないままに、いつしかここまで来てしまった。
過ぎれば短い人生であった。もう死はそこまでやってきている。これまでどうして生きてきたのだろう。振り返ってみれば、結局は、果てしもない曠野を彷徨い、いつの間にかここまできてしまったような気がする。良かったことも悪かったこともあるし、楽しかったことも辛かったこともある。共に語り合ったり一緒に仕事をした仲間たちも、もう殆ど皆死んでしまった。太閤秀吉の「なにわのことも夢のまた夢」と同様、今は全て思い出だけしか残っていない。
悠久の世界に比べれば人の命はあまりにも短い。人の歩みは一方向で死なない人はいない。やり直しは効かない。七十億人もいると言われる人々も、皆それぞれの人生を経て、誰しも死に、やがて忘れられていく。人だけではない。全ての動物も植物も、はたまた微生物さえ生まれては死んでいく。
無限の空間に無限の時間。そのほんの一隅に、ほんの一瞬現れては消えていく人生である。それでも、そこに生きている間はそれが全てであり、そこでの葛藤や平和、成功や失敗、喜怒哀楽からも逃れられないが、視座が変われば価値観も変わるが、全ては人生と共に消えていく。儚い人生には神も仏もいない。もうジタバタしない。悠久の自然に任せてそれに従おうと思ったところで目が覚めた。