悠久の世界

 まだ私が少年だった戦争中、殊に情勢がわが国にとって不利になって来た頃から、「悠久の大義」ということが盛んに言われるようになった。特に、特攻隊で死を覚悟して飛び立つ若者たちの精神的な根拠は「悠久の大義に死す」ということであった。この場合の悠久は、万世一系天皇制を指すもので、その悠久の持続のためには、その臣民は”鴻毛の如くに”軽い命を捧げるのが当然という理屈であった。

 1928年生まれで、当時17歳であった私は、生まれてこの方、天皇制国家に純粋培養されたように育ち、帝国海軍の海軍兵学校の生徒であった。万世一系天皇のもとで忠君愛国に尽くすのが当然の精神的な目標だった。戦況が不利になり、本土決戦、最後の決戦などと言われ、どう見ても勝ち目はない、「どうにかなる」としか言いようがなくなって、真剣に「悠久の大義」のために、自分の命を投げ出して、天皇陛下のため、国のために死ぬしかないと考える様になっていた。

 しかし、日本の敗戦によって、その「悠久の大義」なるものがあえなく消滅してしまったのであった。敗戦は私にとっては大きなショックであった。心の中心を支えて来たものが失われてしまうと、虚無しか残らない。全てのものが失われては、生きている意味すら見出せなくなってしまう。こんな夢も希望もない世の中に生きている意味がないではないかと、ただ呆然とするよりなかった。

 ここで「悠久の歴史」が思い出されてくる。今度は悠久につながる虚無の世界である。どうせ人類も、どう転ぼうと、遠い将来には必ずや死に絶える時がやってくる。悠久に続くわけではない。それが自然の摂理である。それなら今生きている、生きていかなければならない必然性はないのではないか。こんな疲弊し、滅亡しかかった希望のない末世にしがみついている意味があるのだろうか。おさらばした方がすっきりして良いのではないかという死の誘惑が迫って来たのだった。

 周りは闇市、浮浪者、傷痍軍人、行き場を失った特攻帰りの若者、やくざや暴力団などに溢れ、買い出し、貧困、盗み、売春、栄養失調、餓死が当然の風景、周囲でも次々に自殺する若者をも見た。覚醒剤や睡眠剤が流行り、坂口安吾堕落論などが流行った。抜け殻の生命には生きるエネルギーが見い出されなかった。希望は何処にもなかった。

 何度か本当に死のうと思ったこともあった。ただそれを引き止めてくれたものは、自殺のために薬を飲むなりして、もう不可逆的に死に向かう時になって、「待てよ、もう少し世界の様子を見てからでも遅くはなかったのではないか」と後悔しても、もう引き返せない。一寸だけ待ってみよう。死ぬのはいつでも出来るのだからといった考えが、かろうじて自殺を思い留まらせてくれたようだった。

 そのうちに混乱した世の中で、少しづつ新しい世界の様子も分かってきたし、失った自分を否定し、新たな世界を少しづつ構築して行くことも出来てきた。ほぼ空っぽの頭に入って来たのは戦後間もない頃の民主主義であった、虚無的な底辺の上に新たな民主主義が乗っかって来た感じである。

 しかし、それも朝鮮戦争に伴う逆コースによる戦後民主主義の転換、資本主義の復活とともに裏切られていくことになる。折角共に民主主義を議論していた仲間たちも、学校を出るや、いそいそと会社に就職し、企業戦士になっていく姿に、再び裏切りを感じさせられたことも忘れられない。

 その後も、色々な時代を経験させられて来たが、結局、残ったものは、根底のニヒリズムの上に乗っかった自由、平等、連帯の民主主義であった。それは今も変わらない。ただし、それは現在のアメリカのいう民主主義ではない。最も根幹になるのは平等である。平等な中での自由であり、連帯があるのが私の身につけた民主主義であり、「何人もその能力によって働き、その必要に応じて手に入れる」を理想とするものである。

 こうして、世の中もすっかり変わってしまったが、こちらはいつの間にか95歳になってしまった。ここへ来て再び感じさせられるのが、「悠久の大義」ではなく「悠久の自然」「悠久の歴史」である。人生は短い。やがて私は消滅する。霊界を信じない私にとっては、死は無である。「悠久の世界」の下で、それに比べれば、取るにも足らない私の生がやがて無に帰すのを静か認めたいと思っている。