私にとっては戦争と言えば、第二次世界大戦のことである。戦争が終わった時、私は17歳であった。当時は海軍兵学校の生徒であった。もともと背も低く、ひ弱で、不器用、運動の嫌いな子供であったが、ちょうど軍国主義の盛んだった戦前から戦中にかけての時代背景の中で、神がかり的な歴史や忠君愛国の教育を受け、「大日本帝国」以外の世界を全く知らずに、純粋培養されたように育った世代であった。
子供の頃は建築家に憧れていたが、戦争と共に忠君愛国を畳み込まれ、海軍への憧れもあり、親にも内緒で海軍兵学校へ受験したのであった。合格が決まった時に、父親が「お前が海軍に行くようになったら、もう日本もおしまいだな」と冗談めかしに言った言葉が忘れられない。戦争末期になると沖縄も陥落、国中が焼け野が原になり、軍艦は殆ど沈められ、最後の本土決戦の為として、海軍なのに陸戦の訓練ばかりさせられるようになれば、この先は天皇陛下万歳と死ぬのが名誉、その日がいつ来るかを思うようにまでなっていた。
「貴様と俺とは同期のさくら同じ兵学校の庭に咲く。咲いた花なら散るのは覚悟・・・」と本気で戦死することを考えていた。それしか先の希望がなかったというより、それが目標でさえあった。まさに死に向かって突き進んでいったのであった。それでも、まだその最先端まで行ったわけではなかったので、「どうにかなる」とした気持ちもあった。
ところが惨めな敗戦。兵学校がなくなり、大阪へ帰れたのは嬉しかったが、急激な世の中の変化についていけなかった。敗戦で、それまでの自分の全てが失われてしまった。周囲の環境の突然の変化に、それまで築いて来た自分の全ての世界が音を立てて崩れていったのを感じ、将来の希望も、何もかもが無くなってしまった。
周囲の景色が変わりなくあるのに無性に腹が立ち、「国破れて山河あり」というのはこういうことかとつくづく思ったものであった。行き着く先は戦後のニヒリズムしかなかった。全てのものはやがて崩壊して無くなってしまう。人は必ず死ぬものだし、人類も遅かり早かれ、いつかは滅び永久に続くものではない。そうした歴史の中で一人の小さな人間がどう生きようが死のうが、大きな歴史の流れの中では何の意味もない。
寄る辺もない戦後の世界では自殺する青年も多かった。キリスト教の牧師と「神はあるか」と議論したこともあったが、神にも仏にも裏切られたばかりの少年に、新たな神を受け容れる余地はなかった。戦に負けたこんな惨めなどん底の世の中に生きていても仕方がないではなかろうか。幾度となく死んだ方が良いのではないかと考えたものであった。かろうじて死なないで済んだのは、もうちょっとだけ様子を見てからでも良いのではないかという微かな心の囁きがあったからだったかも知れない。
何とか死を免れても、戦後の虚脱状態から抜け出すには何年もかかった。ニヒリズムの雲はいまだに尾を引いていて、完全には晴れてはいない。
それからもう77年、色々なことがあったが、曲がりなりにも何とかここまでよくぞ生きて来たものである。94歳ともなれば、もういつ死んでも天寿を全うしたと言ってもらえるであろう。今度こそは静かに平和裏に命を終えられることを願っている。