現代の資本主義は自転車操業のようなもので、常に儲けては前へ前へと進み、成長して行かなければ破綻してしまうようになっている。立ち止まればたちまち転倒する。
資本主義も最初の段階では力強く廻っていた。粗暴であったが、華々しい産業の発展により人々に大きな恩恵を与え、世の中は便利になり、生活も豊かになった。資本主義様様であった。
資本主義はとにかく物を作って売って利益を得て成り立つものなので、その時代その時代に、新たな分野を切り開いては儲けて進んできた。その時代により、繊維産業であったり、重工業であったり、化学産業、電器産業、コンピュータ産業等々と技術の発展に支えられながら、主要な産業となって社会を支えてきたが、今や金融の操作やIT関連を主流とする時代となり、それらが儲けの主な源泉となっている。
しかし、いずれもその分野が儲かるとなると、たちまち競争が激しくなり、やがて需要も飽和し、売り上げは伸びず、利益が薄くなるので、また新しい産業分野を見つけて主力をそちらに移さなければならなくなるのが資本主義の特徴である。
こうして資本主義が世界中に広がり尽くし、人々の生活に必要なものが一応満たされてしまうと、人々はもうあまり買うものもなくなり、次第に商売の新天地も見つけ難くなる。
しかし、そうだからといって作るのを止めたり減らしたのでは会社は儲からない。資本主義の進歩が止まる。止まれば資本主義が崩壊するので、必死になって何とか新しい需要を作って売り上げを伸ばさなけらば資本主義は生き残れない。
需要のないところに需要を作るには新しい分野を開拓するか、余分なものを売りつけるかして、新たな需要を生み出し、販路を拡げなければならないが、新分野といってもそう簡単に作り出されるものではない。金融の操作で利益を作ったり、ITのような分野の開拓のような幸運に恵まれもしたが、折角のこういった新しい分野も多くの人々の参入や競争の激化ですぐに満たされてしまう。
広告さえも巨大産業化し、宣伝だけで新しく見せかけたり、僅かな違いを大きく見せたり、詐欺まがいの広告までフルに活用して売り上げを増やして来たが、もうそれもやり尽くされてしまった。テレビのコマーシャルや新聞の折り込み広告などを見ても、如何に無駄な資源の浪費をしてでも、利益に結び付けようとする貪欲さに溢れている。
一例として、これまで盛んだった日本における電気関係の商売の歴史を見てもわかる。折角長時間寿命のある電球が開発されても、一巡すると新しい需要が減ってしまうので、買い替えて貰うためには、わざわざ寿命の短い電球が開発されたこともある。靴下も適当に破れてくれないと困るのである。どの分野でも絶えず新製品を作って、次から次へと買い換えて貰わないと利益を保つことが難しい。
電気製品について振り返ってみても、これまでに我々は如何に無駄なものを沢山買わされてきたことだろう。あなたの今見ているテレビは何台目ですか。これまでにラジオを何台使いましたか。真空管がトランジスターになり、アナログテレビも無理やりデジタルに買い替えさせられたし、レコードもSPからLPを経てテープがありCD、DVD、ブルーレイとかわり、ウオークマンからiPad へ変わるなど、時とともにどんどん変わり、どんどん買わされ、古い物はまだまだ壊れてもいないのに、どれだけ捨てられて来たことだろう。
洗濯機や掃除機、トースター、クーラーなどの白物家電もどんどん買い替えて新しいものになった。車など毎年のように新しいモデルが出て、古い車はまだまだ修理をすれば乗れるのに流行に乗せられ、古いものは何やかや難癖をつけられて捨てられていく。町中に溢れるスマホやケイタイ、パソコンなど世界中で見れば如何に資源の無駄使いをしているのか想像もつかない。
それでも、自転車創業の資本主義は止まることが出来ないので、新しい需要を無理にでも作り出して進んで行かざるを得ない。広告やスポーツ、趣味や娯楽の世界まで、全て資本主義に荒らされて、無理に需要が喚起され、人々はいかに無駄なものまで買わされていることか。
大量消費時代と言われる通り、あまい夢のような宣伝に乗せられて、膨大な資源を消費して膨大な物を作り、資源を浪費し、膨大な廃棄物を作っていくサイクルは最早持続可能な地球環境の維持のレベルを超え、人類の長い歴史からしても、どう見ても健全な人類の営みとは言えない。
かってテレビを見ていた時のことであるが、キューバでは1950年~60年代の車がまだ現役で沢山走っているようであった。ということは、手入れをすればそんな古い車でもまだまだ使えることが多いことを示している。それに比べればいわゆる先進国は何という馬鹿げたこと、資源の浪費をしていることであろうか。
その結果、地球上の炭酸ガスが増え、地球の温度が上がり、大気が不安定化し大災害があちこちで発生するし、プラスチックゴミが海洋を覆い、魚や海生動物の生活を脅かし、やがては大気も放射性物質の上昇などが進み、人類の生存にも影響してくるのではなかろうか。
もう人間の活動によって無限と思われた地球も人新世と言われる如くに決して無限ではなく、大気中のCO2濃度は上がり地球の温暖化が進み、気象条件の悪化や災害の多発を引き起こし、持続可能な地球を維持していけるのかどうかが問題となってきている。
理論的にはここで先進国がその発展を一時止め、その生活レベルを下げて、その分を後進国の産業発展に回すべきであろうが、競争社会を止められない資本主義にそれを求められるはずもない。果たしてこの人類の危機を人類は乗り越えられるのであろうか。
人類が最後にその叡智を絞ってこの資本主義のくびきから抜け出せるのか、あるいはこの悪循環の渦の中に消滅してしまっていくのか、今や人類は最後の選択に追い込まれつつあるのではなかろうか。