はかない

 若い時でも、桜の花があっという間に散ってしまっったり、人の死や、物事の消失などに遭遇して、世の儚さ、人生の儚さを感じさせられたこともあったが、齢九十六にもなると、つくづく人の世の儚さを感じる様になるものである。

 太閤秀吉の辞世の句とされる「露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢」が思い浮かばれる。もちろん秀吉の如く大事業を成し遂げたわけでなく、大衆の中に埋もれた一生であったが「夢の中で夢を見ているような 自分は露の如く消えていく はかない生涯だった」という人としての感慨は同じ人間として、似た様なものであったのではなかろうか

 長く生きて来たと言っても一世紀にも満たない。悠久の歴史から見ればほんの一瞬に過ぎない人生であった。かけがえのない自分だと思っても、百億からいる人類のほんの一人に過ぎない。自分では自分なりに必死で生きて来た積もりの人生であっても、巨視的に見れば、大河の流れの中のほんの一雫に過ぎない。悠久の歴史の中では、誰にも気づかれない様な、一瞬飛び散って、瞬く間に消えてなくなる一滴の様なものである。

 自分にとってはかけがえのない愛しい全てであるが、宇宙から見ればあるほんの一瞬の出来事に過ぎない。それが人生というものであろう。同時代を生きた友人たちもあらかた亡くなってしまい、喜びも悲しみも、愛も憎しみも、全ては過去のこととなり、思い出だけが語りかけてくるこの頃である。

 かように儚く思える人生だけに、全ての感情の果てに、己が命に愛おしさを感じるのであろう。それをつくづく感じるのが儚さというものであろうか。