サッカー狂い

 このところ新聞もテレビも、どれもこれもサッカーのW杯ロシア大会で持ちきりである。日本が決勝トーナメントに出ることが決まったので、日本が負けるまでは報道もますますエスカレートいていくことであろう。まだ試合が始まる前日に選手が移動するだけで、ニュースのトップに出て来たりする。

 これに熱中している人にとっては有難いかも知れないが、スポーツにあまり関心のない老人にとっては新聞がまるでスポーツ紙のようでがっかりさせられる。開いても開いてもスポーツ記事ばかりで、政治や社会の問題は片隅に押しやられてしまっている感じである。

 政府などはこれを喜び、国民の関心をそちらに向けさせ、これを議会における法案の強行突破に利用しているのではないかとさえ邪推したくなる。現に働き方改革法案やTPP法案などは多くの疑義を残したまま、日本の決勝トーナメント出場が決まった日に、強い反対を押し切って可決されてしまった。

 スポーツの国際試合も悪くはないが、「頑張れ、頑張れ、日本!日本!」などとの熱狂したシュプレッヒコールなどを聞くと、私にはかって何処にでも飾らされた日の丸や、一挙手一投足まで同調を強いられた大日本帝国の時代を思い出して、反射的に目を外らせたくなる。

 戦争を経験して来た私たちの世代と今の若い人たちの世代では、考え方も行動も違っていても当然であろうが、SNS を見ていたらこんなのもあった。

【非国民?ワールドカップを見ない人たちの本音】

「"見てないやつは非国民"みたいな扱いになる空気、ほんと嫌い」「は!?なんで見てないの?損だよ!みたいな反応に飽きました」「渋谷で大騒ぎするサッカーファンが嫌いなので、ワールドカップは憂鬱。頑張れ西野ジャパン」「興味無し!日本が敗退しようが阪神が勝てばそれで良い」

 サッカーが好きでたまらない人はサッカー狂いになってもよいかも知れない。しかしサッカーは一つのスポーツ競技に過ぎないじゃないか。好きな人もいれば嫌いな人もいる。関心のある人も関心のない人もいて当然であろう。

 自分が好きだからといって、嫌いな人にまで同調を求めるのは良くないだろう。国際試合だからといっても、試合の結果で国がどうなるわけでもない。好きな人は「日本勝った、日本勝った」と騒げばよい。しかし国中の人にそれを強制しないでほしい。サッカーには関心がなくてもタイガースが好きな人も多い。

 サッカーの好きな人だけで騒いで欲しい。周りの人にまであまり迷惑をかけて欲しくない。ましてや、ヒトラーがベルリン・オリンピックを政治的に利用したようなことは避けて欲しいものである。スポーツは皆で優れた競技をその人なりに楽しむ平和な祭典である。自分の贔屓筋を応援し、そこが勝てば歓喜するリクリエーションである。

 サッカーの好きな人の中にだって、日の丸振りかざして「頑張れ!頑張れ!日本!」を周りにまで強制する人ばかりでなく、静かに試合の経過を楽しみたい人も多いであろう。サッカーに熱狂はつきものだが、そうかといって、国家間の争いではない。単なる親善のためのスポーツである。試合が済んだら頭を冷やして欲しいものである。