日の丸、君が代

 日本の敗戦によって、それまで大日本帝国に純粋培養されたような軍国少年が、国に裏切られたことを知ってから、その象徴であり、戦争中に嫌という程、見さされ、聞かされた、日の丸、君が代を忌み嫌う様になったのは必然のことであった。

 敗戦以来しばらくの間は日の丸も君が代も消えていたので良かったが、やがて日の丸を掲げ軍服姿で靖国神社へ参拝するような輩が現れたり、君が代を鳴らして宣伝カーを走らせたりする様になり、次第に日の丸や君が代を復活させようとする動きが強くなって来ていたが、そのうちにとうとう政府が国民の信をも問わず、勝手に君が代を国家に、日の丸を国旗に決めてしまった。

 こうして君が代も日の丸も復活してしまったが、もう今では戦争の体験者も減ってしまっているので、君が代にしても日の丸に対しても、それでアレルギーを起こす様な人は少なくなったので、今ではどちらも次第に定着してきてしまっている様である。

 最近では、オリンピックや国際的なスポーツ大会があると、大勢の日本の観客たちが日の丸を掲げたり、日の丸の鉢巻をしたりして応援し、勝ったりすれば、選手の表彰式などでは君が代が流れ、日の丸が掲げられたりする。

 本来なら民主国家であるからには、国旗は国民投票をするなりして国民が決めるべきものであり、日の丸はともかくとしても、国家の君が代は時代に合わず、君が代を君とは天皇ではなく友人としての君のことだなどと屁理屈で通そうとするのはあまりにも粗雑で強引と言わざるを得ない。しかし、国歌や国旗は国民が納得しているのであれば、何であってもそれで良いであろう。

 しかしそうだからと言って、私にとっては未だに君が代を聞くと背筋が寒くなり、日の丸を見ると目を背けたくなる状況は変わらないし、変えられない。早朝、NHKの始まりに出てくる日の丸を見ると、まずいものを見た様な感じがして思わず目を背けるし、オリンピックなどで日の丸を見ても嫌な感じがする。ましてや日の丸鉢巻を見ると、戦争が思い出されて気持ちが悪くなる。

 大相撲は昔から好きなので、ほぼ毎場所欠かさずに見ているが、優勝力士の表彰式で君が代が演奏されている間はテレビを消している。以前、病院の院長をしていた時には、何かの式典で国歌斉唱などもあったが、歌わないで口だけパクパクさせていたものであった。

 他の人が日の丸を愛で、君が代を歌うのをとやかくいう権利は私にはないし、それは各人の自由であるから、私がそれについて何かを言おうとは思わないが、そうだからと言って、私自身が皆に合わせて、君が代を歌ったり、日の丸を振ったりしようとは思わない。

 私にとっては、今だに君が代、日の丸は生理的に嫌悪の的であり、見ただけでも、聞いただけでも嫌な気分にさせられるのをどう仕様もない。大日本帝国に裏切られて全てを失った思いは、私が死ぬまでどうしようもなく私の体の中に入り込んでしまっているのである。

 今だにこの国には誰もあの戦争に対して公式に責任を取るなり総括をするなりする者がいなかったり、昭和天皇が国民に何も言わずに死んでいってしまったことは甚だ遺憾であり残念に思っている。