端午の節句

 今ではゴールデンウイークという言葉に覆われてしまって、端午の節句などという言葉もあまり聞かれなくなってしまったが、私の子供の頃は5月5日は楽しい男の子の記念日であった。

 五月は牛の月で、その最初の牛の日なので端午の節句と言われてきたのだそうである。男の子の成長を祝う日とされ、鯉のぼりがあげられ、兜などの武具が飾られ、柏餅やちまきを食べ、菖蒲湯に浸かることなどが習わしであった。

 近隣でも、あちこちの屋根の上に鯉のぼりが泳ぐのが見られ、我が家でもポールを立てて鯉のぼりを上げ、得意になってハンドルを回して上げ下げしたこともあった。しかし、そういった近隣の風景だけでなく、今も懐かく眼前に浮かんで来るのは、大阪の城東線(現在の環状線)の車窓から見た景色である。

 旧制の中学生の頃は、毎日、天王寺から梅田まで城東線を使って通っていた。車窓から眺めると、今のようにビルは殆どなく学校など鉄筋の白い建物がいくつか見られるぐらいで、あとは延々と生駒の麓まで続く瓦屋根の海であった。

 この季節になると、その屋根の海のあちこちに鯉のぼりが見られ、五月を感じさせてくれたものであった。端午の節句の歌の「甍の海の鯉のぼり」の歌そっくりの光景であった。しかし、時代が変わり、戦後になると、鯉のぼりも影が薄くなり、一頃は団地のベランダからミニチュアの鯉のぼりが覗いているのが見られた時代もあったが、今はそれも滅多にお目にかからない。

 その代わり、古い家の昔の鯉のぼりを譲り受けたりして、川原や広場に大量の鯉のぼりを一斉に泳がせるのが流行って、あちこちで見られるようになった。無数とも言える鯉が一斉に空を覆ってはためく姿は、それはそれでなかなか壮観で、我が家の近くの猪名川の河原でも一頃毎年行われていたが、コロナ以来か消えてしまった。

 しかし、私にとって鯉のぼりより身近な端午の節句の出来事はちまきを食べることである。一年に一度のことであるが、この季節になると不思議と思い出して、忘れずにちまきを食べてきたものである。一頃は丁度この時期にあったびわ湖ホールの音楽祭に毎年行っていたが、その会場で有名な老舗がちまきを売っていたので、毎年忘れずに買い求めていたものだった。

 ちまきを外の笹をむいて食べた後、むいた笹で笹舟を作り、ゴールでウイークで賑わっている猪名川の子供の遊び場へ持って行って、子供にあげたものであった。

 ちょうど端午の節句で昔を思い出したが、もう今では鯉のぼりも、テレビやスマホで見るだけだし、近くの菓子屋でちまきを求めて食べたものの残った笹は捨てるよりなかった。時はどんどん経っていく。

 

 

 

 

 

 

 

チマキと鯉のぼり