敗戦の日に

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 1945年8月15日は私の少年時代のあの長かった戦争が敗戦で終わった日である。もう72年も前のことになるが、未だに昨日のことのようにさえ思われる。

 この写真は「焼き場に立つ少年」という有名な写真で、戦争直後にアメリカの従軍記者が撮ったもので、委細は知らないが、すでに死んだ幼児を背負って、親か家族かわからないが、親密だった人が荼毘に付されるのを、直立不動の姿勢で、唇を噛み締めながら必死に悲しみに耐えて、眺めているところである。

 この写真は戦後に取られたものであろうが、この姿は戦争末期の少年たちの姿を象徴しているようで、似た世代の私には特に強く訴えてくるものがあり、忘れられない。

 敗戦間際になってくると、アメリカの飛行機は我が物顔で上空を飛び回るし、こちらの軍艦は皆沈められてしまって醜態を晒しているし、日本国中都会と言われるところは殆ど皆空襲で焼け野が原になり、沖縄まで占領され、広島、長崎の原爆投下も加わって、殆ど国民生活が成り立たないまでに追い詰められてしまっていた。

 いくら大本営発表で戦果が唱えられても、、ここまで来ては、誰の目にも戦いの帰趨は明らかであった。ラジオでも本土決戦、最後の決戦、一億火の玉、敵を本土の引きつけて一挙にやっつけるのだといっても、もはや誰も信じられない。

 しかし、大日本帝国に純粋培養されたようなもので、他の世界を全く知らない少年にとっては、天皇の国が負けるという考えは選択肢になかった。おかしなことをいうものだ。最後の決戦ならアメリカに攻めていってからのことではないか。もはやどう見ても勝つ見込みは見当たらないが、神州は不滅、負けるはずがない。そうかと言って神風が吹く可能性もない。結論としては「どうにかなるだろう」としか言いようがなかったことを覚えている。

 それでも、海軍兵学校の生徒として、「天皇陛下の御為には死を賭して与えられるであろう任務を果たさなければならない」と心から思っていた。その時の思いが上の写真の少年の姿に共通しているところがあるように思えてならない。極度に追い詰められてもなおじっと我慢して頑張り抜こうとしていたのであろう。

 この少年がその後どうしたのかは知らない。私の場合、その気持ちが消えていったのはいつだっただろうか。敗戦の報を聞いてもなお残念無念、「帝国海軍は最後まで戦うぞ。貴様たちは帰ったら最寄りの特攻基地へ行け」という上級生の声にも半ば同調していた。 

 しかし、敗戦の事実は変わらない。事実として次第に受け入れて行かざるを得なかった。ただ、本当に敗戦を身を以て感じ、自分のそれまでの精神的な支えが崩れていったのはもう少し先になってからである。復員して大阪に戻り、荒れ果て疲弊した町や近郊を見てからであった。

「国破れて山河あり」とつくづく思いながら、人々の行動や世の中の価値観の急変振りをみて、自分の中のすべてのものがまるで建物が崩壊するように崩れ落ち、虚無の世界へ突き落とされていくのを感じた。

 私にとっての敗戦は単にこの国が戦争に負けたというだけではなかった。それまでの自分の生存の根幹が全て奪われ、無くなってしまったのであった。神も仏も救ってはくれなかった。信じられるものは何もなくなった。

 どうせ人類も何千年先かは分からないが、いずれは滅びるものだ。どう転んでも大して変わりはないのではないか。どんな努力も所詮は無駄だというような自暴自棄のニヒリズムに陥り、あてどもなく闇市や焼け跡をふらつくこととなった。寂しい顔をしていたのであろうか、友人に孤児と間違えられたこともあった。

 自殺を考えたこともあった。当時は多くの若者が暴走したり、薬物中毒になったりし、自殺も稀ではなかった。ひょっとして途中で後悔するかもという微かな希望が自殺から救ってくれたのかも知れない。しかし希望もなく、何の努力をしようという意欲もなく、ただ呆然と生きているといった状態が長く続いていたような気がする。今で言えばPTSDといったところであろうか。

 こうした戦後の虚脱状態から立ち直るのには数年以上もかかったような気がする。同年代の人でも敗戦による衝撃の大きさはかなり違ったようで、敗戦をすぐに喜べた人もいるし、そうでなくても社会の変化にうまく適応して行けた人もいる。

 しかし精神的な発達が奥手で、表の大日本帝国しか知らなかった私は敗戦を契機にした百八十度の世の中の価値観の変動に戸惑い、新たな社会の変化に適応するのに時間がかかったようである。

 敗戦を契機に昨日まで熱烈に忠君愛国と言っていた人が急に民主主義を唱え、為政者の無能を批判して、自己の利益だけを追い、占領軍に媚びを売るなど、周りの人々の豹変ぶりに無性に腹が立ち、時代に背を向けていた時期も続いた。

 その傷はその後も完全に消えることなく続き、これまでの人生にもあちこちで影響して来たのではなかろうか。未だに何処かにニヒリズムの痕跡を残しているような気がしてならない。

 これが私にとっての敗戦であった。もうこんな経験を次の世代の人たちにして貰いたくない。戦争はするべきでないし、若い人たちには広く世界に開かれた知識や判断を養う教育をして欲しいものである。