もうあれから83年

 今日は12月8日、日米戦争の開戦の日である。もう83年も昔のことにるが、昭和16年12月8日の朝は今でも忘れられない。まだ寝床の中にいたように思うが、特別ニュースとしてラジオが喋った。「大本営発表大本営発表、本日未明、帝國陸海軍は西太平洋において、米英両国と戦闘状態に入れり」と繰り返して報じた。いよいよ来たかと身震いしたのを今も覚えている。

 やるぞと言った覚悟だけでなく、あんな大きな国と戦って本当の勝てるのかと言った不安のおののきのようなものも含まれていたような気がする。なお、この時からそれまで英米といっていたのが米英になったことも覚えている。

 以来、真珠湾攻撃、9軍神。香港制圧、マレーシア上陸、プリンスオブウエールス撃沈、シンガポールを占領、昭南と命名などと、初めのうちは勝利の連続で浮かれていたが、やがて、「どうもミッドウエイ海戦では負けたらしいぞ」と言う噂が飛んだ頃から、次第に戦争は深刻になっていった。

 やがてはアツツ島の玉砕、キスカの転進から始まり、色々あったが、ガダルカナル島の激戦、転進が山場で、あとは国力の差で、どうにもならず、玉砕、転進の連続で、遂には日本国中、焼け野原となり、沖縄戦の敗北で、本土での最後の決戦にまで追い詰められてしまったのであった。

 それでも皇国、神国であるお国のためには、万世一系に現人神である天皇陛下のためには、鬼畜米英を倒すために命を投げ出して戦わねばと思い、十六歳の少年は親の心配も知らずに海軍兵学校に行ったのであった。もう半年も戦争が続いていたら、ほぼ確実に死んでいたところであった。

 日本では精神力ばかりが強調されたが、陣地一つ作るにも、シャベルとモッコの人力作業しかなかった日本は、アメリカのブルドザーには到底、太刀打ち出来なかった。米軍は占領した新しい島に瞬く間に飛行場を作るし、大本営発表では沢山撃沈しているはずなのに、またすぐ敵の大艦隊が現れる。圧倒的な力の差を見せられ、神州不滅、神風が吹く、鬼畜米英などと叫んでも、日本国中が焼け野が原となり、呉空襲で日本海軍は壊滅。広島、長崎に原爆がなくとも、あとは本州での最後の決戦を残すだけとなり、無条件降伏、敗戦と言うことになった。

 9月になってやってきた占領軍を見て驚いたものであった。栄養失調で痩せて肋骨の出ていた小柄な日本兵とのあまりにも大きな違い。栄養十分な大男揃いの兵隊が皆ジープで走り廻り、豊かな生活をしている。圧倒的な国力の差を見せつけられて、正直、よくこんな奴らと戦ったものだなと思ったものであった。

 闇市には浮浪者が溢れ、自殺する者も多く、買出しの芋や、アメリカからのララ物資などでかろうじて食い繋ぎ、生きるだけが精一杯で、日本は三等国、日本人の精神年齢は十二歳などと馬鹿にされても反論出来ないのが戦後の日本の哀れな姿であった。