12月8日

 また12月8日がやって来た。太平洋戦争が始まった日である。当時私は中学校一年生であった。 朝早く、私はまだ寝床の中で聞いた様な気がするが、ラジオが繰り返し語った。確か「臨時ニュースをお伝えします。臨時ニュースをお伝えします。大本営発表大本営発表。本日12月8日未明 帝國陸海軍は西太平洋において米英両国と戦闘状態に入れり」と。「とうとう来たか」と、思わず身震いしたのを覚えている。

 この日があの戦争の始まりだったのである。それよりどのぐらい前のことだっただろう。母方の名古屋の祖母が「あんな大きな国と戦争して何が勝てるもんかね」と言ったのに対して、「婆さん何を言ってるのか」と思ったものだった。

 祖母の実家は名古屋商人で、安物の瀬戸物のなどをアメリカへ輸出していたので、伯父などもアメリカへ行ったりしていたので、日米の格差の大きさを知っていたのであろう。それに対して、こちらは生まれてからずっと純粋培養された様な軍国少年だったのである。

 戦争の初期には真珠湾攻撃マレー半島上陸、香港陥落、プリンスオブウエールス撃沈などと景気良く、大東亜共栄圏も本当に出来ていくのかと思われる様な意気軒昂さであったが、ミッドウエイ海戦あたりから次第に形勢が悪くなり。もう後はがダルカナル転進、アツツ島玉砕などと続いて目も当てられない有様となっていった。

 ラジオは敵の戦艦撃沈だの轟沈だのとい言って戦果を讃えていたが、アメリカはあっという間に飛行場を建設するし、いくら撃沈されても次々と攻めてくる有様。転進だ、玉砕だのを繰り返すうちに、とうとうサイパンから硫黄島まで占領され、国中焼け野が原となり、食料も底をつき、沖縄戦を長引かせて、せめて本土決戦を遅らせようとするだけとなり、最後の決戦、最後の決戦と繰り返すばかりで、どう見ても敗戦は必至の状態となり、ついに8月15日の敗戦となったのである。

 その忌まわしい歴史の始まりが、この12月8日なのである。その忌まわしい結果は80年経った今でも大きく我々の生活を縛り付けているのである。戦後、敗戦の惨めさをアメリカの戦争に加担して復興し、JAPAN as No.1とか一億総中流などと言われる迄になったこともあり、平素はあまり意識しないかも知れないが、日本はこの敗戦によってアメリカの属国となり、アメリカの命令には絶対服従する関係が80年経った今なお続いているのである。

 日本が完全にアメリカの属国であることは、総理大臣といえどもアメリカの意向に逆らえば生きていけないことでも判る。田中角栄が然り、鳩山、小沢内閣が然り、アメリカに反対すれば潰されて来たのである。それが安倍首相がトランプのポチとなり、岸田首相が国民に説明もなく、予算の当てもないのに、軍事費を国家予算の2%に増やし、南西諸島の基地化を進め、敵基地への先制攻撃まで可能とした所以なのである。

 沖縄の人々の一致した強い反対意志を無視してまで普天間基地建設を進めたり、ごく最近には、オスプレイの飛行中止さえ米軍に言えない有様なのである。

 戦後もう80年近くも経っているのである。憲法改正などより、もういい加減に、先ずは日米地位協定を改正し、安保条約を平等な相互協力協定に変更して、日本が完全な独立国になることを切に願うものである。