国に捨てられた日

 1945年8月15日が敗戦日であることは多くの人たちが知っている。しかし、国が国民を捨てた日であることはあまり言われない。終戦詔勅により、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」あとは占領軍の指示に従って身を処し給え。我々には、最早、国民を守ることは出来ないと言われたのです。

 その受け止め方は人により、異なったであろうが、それまで現人神の天皇が治め、神州不滅であった大日帝国しか知らず、それが生まれてからの全てであった私にとっては、あまりにも突然で過酷な、思いもよらない出来事であった。自分の全存在を否定され、絶対が絶対で無くなり、神がいなくなってしまったのであった。

 当時海軍兵学校の最後の生徒であった私は、神州不滅の神がかりな日本しか知らなかったしそれが全てであった。天佑神助を信じ、最後の決戦である本土決戦で、本当に天皇のために命を捨てようと覚悟していたのであった。

 万世一系の現人神の天皇制、それを元とした神国には天佑神助があり、朕の命令には絶対服従だと叩き込まれてきた国民は、殊に大日本帝国しか知らなかった若者にとっては、その絶対的な天皇に放り出されて、勝手にしろと言われても、どうして良いかわからない。全てを賭けてきた支えが急になくなってしまったのである。

 もうこの世の終わりだ。急に身の処し方もわからず、それでもなお天皇陛下には申し訳ないとばかりに、皇居前に集まって、天皇に詫び、自ら命を絶った人たちが何人もいたことも忘れてはならない。

海行かばみずく屍、山行かば草むす屍、大君の遍にこそ死なめ、返り見はせず」と心から思っていた人たちも多かったことも事実である。私もそれまでの世界が全て否定され、急に勝手にしろと放り出されても、どうして良いかかわ分からなかったし、海軍がなくなれば、言われるままに大阪へ戻るよりなかった。純粋に国のため命を捧げた特攻隊員などのことも忘れられなかった。

 この急激な世の変転、帝国海軍がなくなっただけでなく、生まれてからそれ迄の存在を全て否定されて、何も信じることの出来ない空虚な世界に放り出されて、途方に暮れてしまったのであった。戦後の人々は昨日までのことがまるで嘘だったかの様に態度を変え、自分らの生活を立て直すために精一杯で、他人のことにまでかまっておれない様であった。

 そんな中でどう生きれば良いものか、生きる目的を失い、生きる術もわからず、ただ呆然と月日を送るよりなかった。夢も希望もないこの世に、果たしてこのまま生きていて良いものであろうか。この人類自体、遅かれ早かれ、いつかは滅びてしまうものであろう。

 戦後に急に増えたクリスチャンはどれも薄っぺらな感じの人ばかり、教会の牧師が「先ずは信じなさい」と言って聖書をくれたが、アブラハムの子の誰それがなんとかと言ったとかの様なものなど読めるものか と諦めた。たった今神も佛も失った者には、何も信じられないのは当然であった。

 私と同じ様な人も多かった。世の中に絶望して自殺する人も何人もいた。私もこの世を見限って自殺しようと考えもしたが、実際の自殺者の反吐を吐き、あたりを汚した様を見て、薬を飲んで回復不可能になってからも、後悔しないで済む様、自殺の実行はもう少し様子を見てからにしてはという神の声が、何とか私を死への道を引き止めてくれたのであった。

 こうした戦後の世の中で夢も希望も失ったニヒルな青年は、ただ生死の隙間を漂うばかりで戦後の哀れな生活を何とか命を食い伸ばしていたのであった。

 戦争の被害は物質的なものや、外見に明らかな精神的のものが問題とされることが多いが、もっと多くの人の心の中に深く沈んだ私の様なニヒリズムが、長くいつまでも残った人たちも多かったに違いなかろう。

 今もなお神社仏閣などへ訪れることはあっても、手を合わせて拝むことはない。今でも、日の丸を見ると、大日本帝国を思い出し、目を背けたくなるし、君が代が鳴り出すと、自然にスイッチを消してしまうことになっている。

 それでもよくぞ負けてくれたものぞと思わざるをない。あの敗戦がなかったとしたら、どんな人間になっていたのだろうか?想像するだけでも恐ろしい。