世界が崩壊した時

 1945年8月15日に日本はポツダム宣言を受諾して戦争は終わった。

 私は17歳であった。戦争が終わり、唐突に世界が変わり、有形無形を問わず、周りを含めて私の全てのものが失われて、呆然とする中で、人々が踵を返すように急に方向を変えて歩き始め、余りにも急なことで、ついて行けず、待ってくれとも言えず、どうしたら良いかも分からず、ただ呆然と立ち尽くしているよりなかった体験は今でも痕跡を引っ張っている。

 それまでの世界では、豊葦原の千五百穂秋の瑞穂の国という神ながらの国に生まれ、現人神の大元帥でもある天皇陛下の臣下として、君に忠、親に孝の教育勅語を守り、この神国に生まれた幸せに感謝して、天皇陛下の御為には、一致団結、挙国一致して一命を投げ打ってでも、ご恩に報いねばならないというのが、”正当な”国民の良識とされて来た。

 生まれた時からそれまで、当時の普通の国民として育てられたので、この”正当な”良識を小学校の時からずっと教えられて来た。他の世界の経験が全くないので、忠実な生徒として、言われるままに疑いもなく、全てを信じて成長して来た。まだ物事を批判的に見るには幼な過ぎた。こうして、ようやく青年期に達しようとした時に、突然その世界がなくなってしまったのであった。

 人によって成長の遅速はあるが、十代の後半は批判的なものの見方が発達する時期である。私は少し奥手だったのかも知れない。また、もう少し年長であれば、大正デモクラシーの痕跡ぐらいは知っていたであろう。私にとっては公式に言われることが全てで、当時の表層的な政府指導の時代の流れに完全に乗せられていたのであろう。皆で一緒に旗を振って、時に流れの後ろにぶら下がって付いて行っていたようなものであったのだろう。こっそり反対のことを教えてくれる人は誰もいなかった。

 突然の時代の急変は恐ろしいものである。私からすれば、すべてのものが突然自分を裏切って自分の全てを否定するのである。正は悪となり、悪が正となったのである。そういう時の人々の動きを見ると、これほど興味深いものもない。敗戦直後には、大勢の国民が自暴自失している中で、宮城前に集まって涙を流し天皇に謝っている人もいたし、自決した者もいる。そうかと思えば、急に隠匿物質の横流しをしたり、闇市での一儲けに動き出した人もいる。

 昨日まで鬼畜米英、撃ちてし止まん、神州不滅、天佑神助、神風が吹く、天皇陛下万歳などと声高に行っていた人たちが急に押し黙り、どこかへ姿を消してしまった。それまでの独裁的な軍国主義から急に民主主義に鞍替えした人や、神に頼ってキリスト教徒になった人もいた。じっと秘匿していた元々の信念を表出した人もいたが、時代の変化に合わせて自己を急変させた人もいた。時代の変化にうまく乗れた人、乗れなかった人の違いも大きかったが、時はそんな人々の思惑とは関係なく非情に進んでいった。

 戦争の終わった晩秋に、何かの用で母校を訪ねたことがあった。教師たちが職員室でストーブを囲んで談笑していたが、一人の教師が言った。「儂なんか修身て教えたが、あんなこと今やっていたら生きていかれへんわ」と。横にいた皇国史観を教えていた真面目な歴史の教師が沈黙の中で、みすぼらしく、見るだけでも哀れであったのが印象的であった。

 また何かの機会に、キリスト教会の牧師と言い合ったことがあった。「先ず神を信ぜよと言うが、たった今裏切られて神を失ったばかりの人間に、なぜ神を信じられるのか」と反発したのだったが、「先ずはこれを読みなさい」と言って聖書を渡してくれた。家に帰って、ひっくり返って読み出したが、最初のページからアブラハムの子の何とかがどうだとか名前ばかりが続き、「こんな阿保らしいもの読めるか」と投げ出し、以来無神論者になった。

 こうして神も仏も失って、自暴自棄になっていた頃、思ったのは、人類の運命、地球の運命、宇宙の運命であった。自分がどう生きようが死のうが、この国がどうなろうと、人類がこの地球に現れてからせいぜい何万年、いろいろな歴史があっても、地球の歴史から見れば短いもの。ましてや宇宙の歴史から見れば取るに足らない時間に過ぎない。そんな時空の中で、地球の存在に限りがあれば、それに乗った人類も必ずいつかわ滅びる運命にある。

 そんな中で国や人々の争いなど、どうなろうと小さな問題に過ぎない。ましてや個人がどう生きようと、国がどうなろうと、無限の宇宙の時空にあっては問題にもならない。何も先の見えないこの世の中で、果たして生きている価値があるのだろうかなどと、ニヒルな思いに頭が一杯になっていたことがあった。

 そんな中で、あまり意味のないちっぽけな人々が、自分の欲だけでどうしてあんなに動けるのであろうか、何も信じるものもなく、何故そんなにあくせくするんだ。人は皆必ず死ぬのだ。こんな世の中で生きている意味があるだろうかと自殺を考えたこともあった。英単語のカードを作って一所懸命に勉強する友もいたが、どうしてこの時代にそんな勉強が出来るのか不思議に感じたこともあった。勉強しても意味がない。生きていても意味がない。

 そんな状態では、当然勉強など出来るわけがない。授業には殆ど出ず、友達に議論をぶつけたりしながら、悪友たちと組み、タバコを吸い、どぶろくを飲み、闇市を放浪して毎日を送っていたようなものであった。

 当時同じ年頃で自殺するものも結構いた。私もその近くにいた。ただその頃私を救ってくれたのは、いささかの好奇心が残っていたからではなかろうか。自殺が心に持ち上がって来た時も、自殺しかけて途中で「待てよ。もう少し周りの様子を見てからにすればが良かったのではないか、ひょっとしたら違った景色が観れるのかも」と後悔するかも知れないというような気がして思い留まったのであった。

 こういう時代には国がないに等しいのだから、誰も人々を守ってくれないし、助けてくれない。今で言えば、全て「自己責任」でそれぞれに工夫して、勝手に生きていくよりなかった。政府は天皇をはじめとするその中枢だけをなんとか守ろうとして、それ以外はもう頭から斬って捨てても良い覚悟だったのではなかろうか。

 戦後の闇市傷痍軍人や浮浪児、売春婦に暴力団などの運命に思いを致す。これらの人たちはその後どうなったのであろうか。戦後も多くの人たちが飢餓や伝染病、暴力などによって命を失い、多くの人たちが恥辱にまみれながら生きてきたことを忘れるわけにはいかない。