福沢諭吉が「文明論之概略」で、江戸時代の名残の幕藩体制の世と、明治維新によってもたらされた文明開化の両時代にまたがって生きたことを、一身にして二生と言っていたそうだが、そう言われればなるほど、私も一身にして二生だったような気がする。
もちろん時代はずれており、私に場合は、戦前の大日本帝国の時代と、戦後の「民主主義」的ではあるが、アメリカの従属国に成り下がった時代という、全く違った二つの時代を生きて来たことになる。
ただ、初めの大日本帝国の時代は、まだ子供で、わずか17年に過ぎず、戦後の70年以上と比べて、あまりにも短か過ぎるが、それでもやはり、その前後では、明らかに区別出来る違った世界であった。初めの一生は他の世界を全く知らなかったので生きられたが、もう一度やれと言われてもお断りしたい時代であった。
悪い夢を見ていた時代であったとも言える。父親とあまり歳の変わらない同じ人間が「現人神」という神様で、「天皇陛下」と言われて、恐れ多いので、近づく事も出来ず、遠くからでも頭を下げて拝むか、皆で日の丸を振って見送ることを強いられた。
名前を出すにも「恐れ多くも陛下におかせられては・・・」と言い出さねばならず、それを聞いただけでも、その場で、直立不動の「気おつけ」の姿勢を取らなければ、拳骨で殴られるのが普通であった。どの家にもその人の写真が飾ってあり、それを拝まなければならず、その人の言葉を聞くには最敬礼をしてからでなければならなかった。
何でもその人は二千年以上も続いた家系の後裔とされ、その人が中心でこの国が出来ているのであり、あとの人々はその臣下であり、一旦緩急ある時は、身を鴻毛の軽さにして、命を賭してその人のために忠義を尽くし、「天皇陛下万歳」と言って死なねばならないことになっていた。
今から思えば、馬鹿げた世の中であったが、それに異を唱えたり、違った行動をする者は捕らえら、処刑されてしまうので、誰もおかしいとは心の中では思っていても、公然と言う者はいなかった。
誰も言わないので、他の世界を知らない子供たちは、こんなのが世界だと思わされたままであった。時に何かおかしいのではと思うこともあったが、周囲の大人たちは「大人になれば分かるよ」と言うだけで説明してくれなかった。
それがどうだろう。戦争が終わると、昨日まであれほど確固たるものであった大日本帝国が一夜にしてふっ飛んでしまって、人々は一面の焼け野が原に、勝手にしろと言わんばかりに放り出されてしまった。
それまで天皇陛下万歳、天佑神助、忠君愛国、必死報国、鬼畜米英などと言っていた人が、一夜にして口を閉ざしたと思ったら、今度は自分のことしか考えず、大衆には「一億総懺悔」だと言ってごまかし、言い訳さえしないで、闇市場に群がり、儲けようとした。
国というものはこういうものかと思い知らされた。国が助けてくれなければ、もう誰も助けてはくれない。もう皆がそれぞれ勝手にするより仕方がなかった。他人のことなどに構っておられず、必死になって自分が生きることだけに精一杯であった。
時代の急転換に、身を翻してうまく乗れた人も、乗れなかった人もいる。多くの空襲の被災者、傷痍軍人や戦争未亡人、外地からの引揚者、復員軍人、浮浪児などの弱い立場の人々の悲惨な生活と、占領軍の支配による混乱の時代が数年以上も続き、日本人の精神年齢は12歳とマッカーサーに馬鹿にされ、日本も三等国で行くより仕方がないように思われていた。
ただ占領軍による大日本帝国の徹底した破壊の代替としての、占領軍の若手の理想主義的支配方針の主導による、民主主義の理想を掲げた憲法の制定、人々の間に芽生えた戦時中とは真逆の民主主義の萌芽が急速に拡がり始めたことも、この時代の特徴だったとも言えよう。
その後の世界やこの国の動きについては、よく知られているのでここでは省略するが、その後の時代の変わりようも激しい。冷戦の開始による占領政策の転換、朝鮮戦争の特需による日本の資本主義の復活に始まり、ベトナム戦争などを経て、いわゆる高度成長時代、JAPAN No 1、一億総中流の時代も束の間、バブル崩壊、それに続く長期に及ぶ経済の低迷、少子高齢化時代と続いて来た。
福沢諭吉は66歳で死んでいるが、私は今や90歳を超えて長く生きて来たものである。確かに私にとって1945年の敗戦は大きな変換点であり、その前後で、その人生は一身二生と言える変化であったが、その後の時代の変遷も見れば、一身二生と言うより、一身三生あるいは一身四生といった方が当たっているのかも知れない。
いつしか、また大日本帝国の復活を夢見る勢力が力を持ち始め、敗戦と共に獲得した民主主義の夢は次第に打ち砕かれようとしている。それも今度はあくまでもアメリカの属国としての歪んだ帝国の復活であり、人々の真の独立はますます遠いものになりかねない様相である。
そこへ少子高齢化が進み、経済の発展が望み難くなって来ている上に、構造改革とやらで外国資本に乗っ取られていくこの国の将来に、明るい夢は託し難いが、やがて終える我が人生がどこまで見えるかは神に委ねるよりあるまい。今後の同胞たちの独立と平和の維持、幸福を願うばかりである。