何故4月29日が『緑の日』と言われ、祝日になっているのか知っていますか?この日はもともと昭和天皇の誕生日で天長節と言われた祝日であったのです。
昭和20年の敗戦の日まで、天皇は現人神であり、国を治める者であり、また、大元帥陛下でもあった。臣下である国民は天皇陛下の赤子であり、君に忠義を尽くすのが、親孝行に先んじる義務であり、天皇陛下のためには鴻毛より軽い己の命を投げ出して戦い、「天皇陛下万歳」と言って死ぬべきだとされていた。
日常でも「上官の命令は陛下の命令と心得よ」とされ、「陛下に置かせられては」と言われただけでも、直ちに直立不動の「気を付け」の姿勢をとらなければ、ピンタの手が飛んでくるのが当たり前であった。
昭和6年に満州事変と称して日本が中国大陸に侵略を始める少し前の、昭和3年に生まれた私は、そう言う軍国主義の真っ只中で育ち、教育勅語や百二十四代の皇統を暗記させられ、天皇は現人神で、天皇陛下、大元帥陛下のため、国のため、東洋平和のためならば、国民は草むす屍なろうとも、喜んで命を捧げるべきと教えられ、それを本気で信じていた。
戦時中には、天佑神助で神国日本は守られているともされ、米英何者ぞ、鬼畜米英とばかりに戦意をあおられ、他の世界を知らなかった私は、本当に心から陛下のため、国のために命を投げ出そうと、とうとう海軍兵学校生徒にまでなったのであった。
ところが17歳の夏、遂に神風は吹かず、天佑神助もなく、天皇の玉音放送で敗戦を告げられ、海軍もなくなってしまった。生まれてからそれまでの自分が全て否定されてしまったのである。平和を喜ぶどころか何もかもが消え失せて、空虚しか残らなくなってしまった。どう生きれば良いのかさえわからなくなった。
時代は急変して、焼け跡の闇市や飢餓の時代となり、皆は生きるだけで精一杯であった。あれだけ盡さんとした天皇も何処かへ消えてしまった。それについて誰も何も言わない。どうしてくれるんだと叫んだところで、生きることだけで精一杯だった人々は誰も助けてはくれない。路頭に迷うと言うのはこういうことなのかとつくづく思ったものであった。
あれほど決死で戦えと尻を叩き、大勢の人が天皇陛下のために死んでいったのに、踵を翻すかのように、アメリカ軍占領下では、政府は急に戦争については何も語らず、アメリカに言われるままに民主主義を唱え始めたが、民衆は勝手にしろと、悲惨な境遇を助けようともしない。戦争の責任を誰も取ろうとしなかった。
戦争は天皇が起こしたというより、天皇を神に仕立てた明治以来の日本政府が起こしたものであるが、あれだけ多くの国民が天皇陛下のためにと言って命をなくし、大変な目に遭わされたのである。戦後になって人間宣言をしても、神であった天皇に責任がないわけではない。戦後、昭和天皇は米国の思惑で戦犯にも問われず、軍服を背広に変えて「あぁそう」と言って地方を巡ったが、戦争責任については一切語らず、退位もしなかった。
挙げ句の果ては、あれだけ散々国民を痛めつけながら、神から人間になったのに、国民には何も言わずに逝ってしまった。1989年1月7日のことである。かえすがえすも残念であったとしか言いようがない。決して忘れることは出来ない。
こうした無責任であった明治維新体制の再発を防ぐためにも、時代遅れの天皇制は近い将来、国民の同意を得て廃止すべきだろうと思う。