戦後の汽車の旅

 昔の汽車の旅が懐かしい。戦後の混乱期の汽車は、それこそ超満員で、通路にも人がぎっしり座り込んで、人と荷物でギュウギュウ詰め。入り口からは一杯で乗れないので、窓から乗り込む人も多く、荷物用の網棚に登って寝る人までいた。列車の運行も不規則で、本数も少なく、時間も不定であった。

 当時、私は名古屋の学生で、休みの時には大阪の家に帰っていたが、名古屋から関西線で天王寺まで、およそ8時間かかり、列車が奈良に着くと、後1時間ぐらいで帰れるか、やれやれと思ったものであった。何年か後に、関西線の快速列車が出来て、3時間半で着くようになり、便利になったものだなあと感心したことを覚えている。

 食料事情がまだ悪い時代で、芋の買い出しが盛んで、芋でをいっぱい詰め込んだ大きなドンゴロスの袋が、車内の混み合った人と人との間の空間を埋めていることが多かった。そんな中での一番の思い出は、車内で、田舎の人が笹の皮から取り出した白米のおにぎりであった。

 周りの者が一斉に注視した。皆がまだ半ば飢えて、空腹を抱えている時代だった。ただの普通の白米のおにぎりだったのだが、その表面のえも言われぬ瑞々しい輝き、それを見ただけで、思わず唾を飲み込まざるを得なかった。今でも、その時の強烈な印象は忘れられない。白米が「銀飯」と呼ばれてれて重宝され、皆の憧れの的の時代であった。

 それから少し経って、もう少し世の中も落ち着いてから、学生時代に、友人と二人で北海道旅行をしたことがあった。日本海周りで、大阪を夜の10時に出て、丁度24時間かかって青森に着く夜行列車で行った。金沢が6時で朝が明け、午後2時頃が新潟、真夜中に青森に着く予定であったが、長時間の乗車に飽き飽きしていたので、乗り合わせた人との話に乗せられて、大曲で降りて温泉に泊まることにしたのであった。

 長時間、乗っていると、入れ替わり立ち替わり乗ってくる人たちと話をしたりして、その土地の話や、色々な情報を得るのが興味深かったし、また、窓からの外の景色の移り変わりを見るのにも飽きず、土地によって異なる田園風景をチェックして楽しむことが出来たものであった。

 それから後に、どれだけ汽車に乗ったことだろう。そのうちに、高度成長ともに、汽車がディーゼル列車になり、電化され、やがては東海道新幹線が出来、いつの間にか、国中を新幹線が走るようになり、高速で移動出来るし、車内も快適になり、すっかり変わってしまった。

 しかし、便利にはなっても、現在の新幹線などによるビジネスライクな単なる移動よりも、昔の時間をかけた汽車の旅は、移動の過程が楽しめただけに、その良さも今なお忘れ難い。それに、汽車で旅をした頃は、今と違って、まだ何処へ行っても、地方色が存分に残っていたので、窓から外を見ているだけでも、変わりゆく地方の景色を追って見ていくだけでも、結構楽しかった。

 同じような農村でも、地方によって田の形状や広さも違うし、稲作の時期もずれ、収穫後の稲の干し方なども異なる。部落や農家の配置、その構造、藁屋根や瓦屋根も地方により差異が見られるし、農作業の労力を背負う動物も東と西では馬と牛の違いがあったし、農作物や果物などの産物の地域による特徴など、車窓から眺めるだけでも、土地が変わればそれらも変わり、新しい発見に驚かされたりして、汽車の旅は窓から外を見ているだけでも飽きないものであった。

 よく通った東海道本線の風景では、京都の東寺の塔、東山トンネル、琵琶湖を遠望して後、関ヶ原の山を抜けると、長良川を渡って岐阜、名古屋。ついで豊橋、浜松で、浜名湖近在のうなぎの養殖池を見、静岡を経て、大井川の鉄橋を渡って富士山を眺め、丹那トンネルを抜けると熱海。そこから景色が一変して、横浜を過ぎて、多摩川を渡れば、もう東京のビルが続くということになっていた。

 東京までは、よく夜行列車でも行った。寝台列車もあったが、普通の車で、走り列車の中で翌日の会議の原稿を書き上げながら殆ど眠らずに行ったようなこともあった。東京駅に朝6時ごろ着くと、東京駅には、当時はそういう客目当ての温泉があったことも思い出した。

 また、帰りのの列車に乗ると、関西から上京していた学生たちの会話が、丹那トンネルを越えると、急に関西弁に戻るのが面白かった。また、昔の列車には暖房しかなかったので、窓の開け閉めによる外の風で調節したものであったが、走る汽車の窓から入る風の感触が忘れられない。山陰で松葉カニを買って帰る時には、開けた車窓からカニを入れた袋を車外にぶら下げて帰ったものであった。

 ただ、汽車の旅行で一番困ったことは、トンネルに出たり入ったりする毎に、窓を開けたり閉めたりしなければならないことで、トンネルの多い路線では開けたり閉めたりが忙しく、大変なこともあった。敗戦直後に、海軍兵学校から引き挙げた時には、広島から大阪まで、無蓋貨車で一晩かけて帰ったが、大阪駅に着いた時には、皆ススで真っ黒な顔になっていたのを思い出す。

 汽車の旅には、まだまだ色々な事があったが、いずれも今では、もう二度とは戻って来ない遠い昔の思い出となったしまった。