六十七回目の結婚記念日

 5月の第2日曜日は母の日である。今年も例年のように、ニューヨークに住む娘からカーネーションの花束が届き、電話がかかってきた。下の娘はうなぎを買ってきて、我が家の庭の芝生で、三人でゆっくり野外の昼食を楽しんだ。まだ蚊などの虫はいないし、温かい日差しの下で、ベランダを囲んだ盛りを過ぎた木香薔薇や、庭に咲いた躑躅紫蘭、月見草などを眺めながら、楽しいひと時を過ごした。

 ところで、今年の母の日は5月11日である。5月11日といえば、何か引っかるものがある。そうだ、結婚記念日ではないか。平素はもうすっかり忘れていたが、娘が六十五歳になるから、今年で六十七回目の記念日ではないか。もう金婚式もとうの昔に住んでしまっているし、55年のエメラルド婚、60年のダイアモンド婚さえ済んでしまっている。

 ふと思い浮かんだ結婚式の場面。式場で、小出家、辻川家結婚式と書かれていたのを、小出鈴三、辻川博子結婚式と書き直させたのであった。それから、もう数え切れないぐらいの年が経ってしまったが、良くもまあ喧嘩もせずにここまで一種に来れたものである。二人とも、もう九十を過ぎているが、元気で一緒にいられるのが何よりである。

 今では殆ど全て女房まかせで進んでいる。三度三度の食事から、掃除、洗濯、家事は一切女房任せ。病院通いにも付き添い人だし、散歩に行くにも一人では心配だからとついてくる。家計のやりくりから、買い物、必要な手続きなど一切女房任せ。朝の体操や夜の坐禅も女房主導で、女房がいないと恐らく続かないであろう。こちらに出来ることは、雨戸の開け閉めや、新聞の取り込みぐらいのことしかない。女房が元気だから生きておれるようなものである。感謝しなければバチが当たる。

 それでも女房ももう91歳、いつまでもこういう状態が続けられるくわけはない。女房に死なれたらどうしようかと不安に思っていたら、2年前から下の娘がアメリカから帰って来て、近くに住むようになった。これで鬼に鉄棒。こんな有り難いことはない。こちらもただ感謝。

 終日、パソコンを見たり、このブログを書いたり、新聞やテレビを見、本を読んだり、午睡をとったり、散歩したりと、好きなようにゆっくりした生活を送らせて貰える程、有り難いことはない。こちらとて、もうこの後いくらも生きられないであろうが、最後にこんなにゆっくりと気軽に過ごさせて貰えることに心から感謝している次第である。