老人も身障者だから

 脊椎管狭窄症になってから杖を持って歩くようになると、杖に縋って歩いている人がこんなにもいるのかと思うぐらい多いのに気が付く。何処へ行っても、杖をついた老人に出会う。中には杖をついてない人でも、足が悪く不自然な歩き方をしている人も案外といる。それぞれ事情があるのであろうが、足が悪ければ、見えを張らずに、やはり安全と歩き易さを考えて、杖をつくことをお勧めしたい。足が悪いために立ち止まる時でも、杖があると助かるものである。

 杖つき同士は自然とお互いに譲りあうもので、狭い通路などでぶつかりそうになった時でも、同病相憐むで気持ちよく道を譲り合うし、階段を手すりに縋りつきながら登ってくる人があれば、降りようとするこちらも手すりを持っていても、反対側の手すりに移動して道を開けてあげることになる。若い人達も杖を持っていると、黄門さんのお札を見たかのように席を譲ってくれることが多い。

 若い人で足の悪い人に出会うことも案外多い。もう仕事も辞めて、時間にも余裕のある老人はゆっくり休み休み歩いて行っても良いし、時間を変えても良いし、行くことを止めることだって出来ることが多いであろうが、若い働き盛りの人だとそういうわけにはいかない。ラッシュアワーの人ごみの中を無理をしてでも、人の流れに乗って歩き、満員電車に乗って、人に押されながら立ちっぱなしで、最寄の駅まで行き、人に押されても、倒れないように安全を確保しながら、延々と続く会社までの道筋を、悪い足を引きずって歩き、やっと職場についても、また人並みに働かなければならないのは大変なことであろう。そんな人を見ると、つい「頑張って下さいよ」と言いたくなる。

 昔まだ60歳代の時、通勤途上に、階段でふくらはぎの肉離れを起こし、1週間ばかり杖に頼って通勤しなければならないことがあった。その時の経験では、よたよたと長い道のりを歩いて、やっと地下鉄の駅にたどり着いたと思ったら、そこの階段の近くにはエスカレーターもエレベーターもない。階段の上に立ってどうにもならない暗黒の地下の空間をを覗き込んで思わず、戦慄を覚えたことを思い出す。

 そこから悪い足を引きずって、設備のある出入り口を探して、また遠くまで歩いて行かねばならないのは大変であった。最近はどこの駅でもエレベーターやエスカレーターはあるが、大抵は後から作られたので、駅の一番端などの不便な所にあることが多い。ないよりは良いが、杖をついてはるばるホームの端まで歩いて利用し、降りればまた遠くまで引き返さなければならないことが多く、足は痛くなるし、泣きたくなるような情けない気分になったことを覚えている。

 また、足の不自由な人にとっては、登りよりも下りのエスカレーターが欲しいのだが、多くのエスカレーターは登り専用で、下りのエスカレータのある所は少ない。お金も、それだけの場所もいるものだから贅沢は言えないが、やはり足に不自由な人のことも考えて欲しいものである。私が経験したことは僅か1週間ぐらいのことであったが、それが半永久的に続く足の悪い身障者も、老人以上に大事な市民の仲間なのだから、他の健常な人たちと同じように気楽に利用出來るような十分な配慮が欲しいものである。

 歳をとって自分が足の悪い”身障者”になってみれば、働き盛りの身障者の方がどれくらい努力して無理な生活を切り開いているかが分かる。 足が悪くても、優れた能力に恵まれた人も多い。多様性こそ今後の日本社会の発展の基礎である。老人に対する配慮同様、あるいはそれ以上に、働き盛りの身障者の障壁が少なくなるよう、是非ご配慮をお願いしたいものである。