杖歩行も色々教えてくれる

 脊椎間狭窄症で右足が悪く、杖を使うようになってもう一ヶ月になる。大分慣れてきたというか、身についてきて、最早、杖は必需品で置き忘れるようなこともない。

 つい先日は、杖仲間という一文を書いたが、杖をついて歩くようになると、それがまた色々なことを教えてくれるものである。先に書いた杖仲間の一体感というか、同病愛哀れむというか、弱者同士の連帯感のようなものを感じるのも一つだが、他にも色々教えられることがある。

 まずは忍耐である。私はもともとせっかちな方で、年を取っているのに歩くのが早いと言われてきたが、足が悪いと最早そういう訳にはいかない。今や大勢の人の流れにさえ、ついていけない。そのためにイラつくこともあるが、足が悪くてはどうにもならない。ゆっくり歩くより仕方がないが、以前だったらさっさと行けた距離の所が、遠く遠くなり、前方を見ては歯がゆくなるばかり。

 そうかと言って、どう足掻いてみても、足が良くなるわけはない、そのうちに諦めて、じっと我慢して、自分のペースでゆっくり行こうと自分に言い聞かせることになる。昔の誰かの言葉に、「いくら遅くても、目的地に向かって、一歩一歩進んでいけば、時間はかかっても、必ず目的地に到達出来るものである。」というようなのがあったのを思い出した。幸い、今は時間もたっぷりある。ゆっくりでよいから確実に進もうと言い聞かせて、自分のペースでゆっくり歩くように心がけている。足が悪くなって、少しは忍耐力がついたであろうか。

 更には、杖は黄門さんの印籠みたいなものでもある。杖をついてヨタヨタ歩いていると、他人は必ず道を開けてくれる。電車に乗っても、杖を持っていると、席を譲ってくれる頻度がずっと高くなる。足が悪くなると、他人の善意がひしひしと感じられる。そんなことを経験していると、人間の性善説を信じたくなってくる。

 序でに言えば、杖のような目印のない、外見からは分かり難い、体の内部の障害者が気の毒になる。最近は身障者用の札などもPRされ始めているが、これなどは是非もっと広めて、わかり難い障害者の人たちが、もっと社会の助けを得られ易いようにしたいものである。