万博公園のシンボルタワーである、太陽の塔の内部が復元され、公開されているので見に行った。
太陽の塔は千九百七十年の大阪万博の時に、そのシンボルとして岡本太郎の設計で作られたが、当時私は千里ニュータウンに住んでいたこともあって、万博の思い出が強いし、その後も万博公園へ行ったり、モノレールでその前を通ったりする毎に、いやでも目につくので、馴染みの深い塔なのである。
しかし、塔の内部は万博が終わってから一般には非公開になっており、もう長らく見る機会もなかった。万博当時の塔の内部の生命の木を囲って、下から三葉虫に始まって、魚類、爬虫類を経て哺乳類から人類に至る歴史の展示の記憶だけが残っていたが、それが復元されたのを聞いていたので、いつかもう一度見てみたいものだと思っていた。
復元されて展示が始まってから、しばらくは当然大勢の人だろうし、予約しなければならないので、時期を待っていたが、もう一年ぐらい経ったのではなかろうか。たまたま万博公園の広報誌の案内を見る機会があり、思い出して早速予約して、空いていそうな月曜の朝に出かけた。
万博の時は何処もいっぱいの人だったが、今はこの塔の内部の見学も、予約制で、十五人ぐらいを1グループにして、順送りの格好で、約30分ほどで見せてくれるので、混み合いもせず、ゆっくり見る事が出来て良かった。
来ている人は若い人ばかりで、万博の時に来たことのあるような人は、私ら以外には、一人もいなかった。展示の様子は、基本的には万博当時の姿を踏襲しているが、照明設備が当時より発達しているので、内部の印象は当時より原色がきつく、良く出来ているが、けばけばしい感じ。
生命の発生順に並ぶ魚や動物などの作り物は万博当時より少なくなっているようだし、エスカレーターで見ながら塔の内部を登ったものだったが、今はすべて階段で登るようになっており、万博の時には、塔の腕の部分から大屋根に降りるようになっていたと思うが、今は大屋根がないので、塔の中の外側にある階段を通って降りるようになっていた。
そういう違いはあるものの、生命の発展を示したコンセプトはそのまま残り、今見ても驚かされる構想の大胆さや、その規模にあの頃の時代の力強さを感じさせてくれるには十分で、昔懐かしい楽しいひと時を過ごせたと言っても良い。
あの頃は戦後の復興が終わり、高度成長の頂点に達した時期で、この国には勢いがあった。それを象徴するかのような万博であったし、それに乗った岡本太郎の勢いが感じられた懐かしい時代であった。
それに比べるとその後、殊に、最近の日本は少子高齢化で人口は減るし、経済成長も停滞、政府もパッとしないし、八方塞がりで、先行きの希望も見え難い。世界的な成り行きのためと言えるのかも知れないが、もう万博の頃の勢いは遠い昔の思い出ででしかない。
万博の頃の輝かしかった雰囲気を思い出しながら、新装太陽の塔の内部を見学し終えて、当時と今を比較しつつ、痛くなった足を引きずりながら出口を出て裏側へ回り、広場の椅子に腰掛けて、太陽の塔の裏の顔をゆっくり見上げたのであった。