老人は下を向いてゆっくり歩め

 数日前に、久し振りでまた転倒した。一駅先のギャラリーまで歩いて行った時、広い道の交差点で信号が変わりかけたので、すぐ横の駐車場の端を少し斜めにショートカットして、急いで渡ろうと踏み切った途端、見事に前方に転倒、指先と顎を地面に打ち付けた。ステッキを持っていたのだが、あまり助けにはならなかったのか、或いは、ステッキのお蔭で衝撃が少なくて済んだのかは分からない。

 近くを通りがかった二人の人に声をかけられ、心配されたが、恥ずかしさもあって「大丈夫です」と言って立ち上がり、状況を確認した。すぐ後ろに駐車場の黄色に塗られた車止めのコンクリートのバーが見えるではないか。前方の信号にばかり気を取られて足元を全く見ていなかったので、そのバーにまともに躓いて転倒したようである。そこまで歩いてきた歩道の続きで、駐車場に踏み込んでいることにも、全く気づいていなかったのである。

 幸い、起き上がっても、右の顎から頬辺りが少し痛いぐらいで、手足は動かしてもどうもなく、左の薬指の先と右の薬指の裏側に軽い傷があるだけである。良かったと一安心して、心配させた人へのお礼もそこそこにその場を立ち去った。少し行った所で、道端の商店の窓ガラスで顔を確かめてみたが、目立つような外傷はないようなので、安心してそのまま画廊まで歩いて行った。

 大した事故でなくてよかったが、また転倒したことにショックを受けた。昨年7月に酔って帰る時に、駅の階段を踏み外して前頭部を打ち、救急車で運ばれて以来のことである。その時も下の階段で手すりを持っていたものだから、頭を側壁に打っただけで、転げ落ちることもなく、足腰の怪我がなかったので良かったが、これまで何回転倒したことだろう。

 八十歳前後からであろうか。普通の道でも、時に躓いて転ぶことが起こるようになった。何でもないような所で転ぶのである。転ぶ時はまるでスローモーション映画を見ているようなもので、自分で転んで行くのがよく分かるのだが、どうにも止められず、「あ、あ、あ・・」と言っている間に地面にどっかりと倒れ込んでしまうのである。

 猪名川のほとりの道で転倒したこともあった。循環器病センターからの帰り道、歩いて北千里の駅にたどり着いた時に、駅の歩道の段差に躓いて倒れたこともある。外国でもロスアンゼルスの聖堂の前庭でこけたこともよく覚えている。どうも歩き疲れた時などに、つま先が上がりにくくなることに関係があるのではなかろうか。

 そう思って八十過ぎてからは、ラジオ体操を始め、2〜3年後からは、それに筋力体操も加えて、出来るだけ毎朝続けるようにした。その上、散歩に出たりする時には、出来るだけステッキを持つようにした。そのおかげか、最近は普通に歩いている時の転倒は殆どなくなっていた。

 ただ、ステッキを持っておれば転倒しないわけではない。ステッキは持っても元気なので、ステッキで調子を取って返って速足で歩くことになったりしていた。するとある時、ステッキの先が丁度道端の穴にはまり、そのために勢い余って前方にひっくり返ったことがあった。

 また、階段では、まだ現役の頃に、雨の日の地下鉄の下り階段で、濡れた階段で足を滑らせたことがあった。幸い、手すりを持っていたので良かったが、横向きに反対側の頬と腕を壁に強く打ち付けたのだった。それ以来、階段を降りる時には必ず手すりを持つか、持たなくても手すりに手を沿わせて、いつでも持てるようにしていたが、それでも階段での小さな事故も何回かあった。

 昨年の事故を別にしても、よく覚えているのはイスタンブールのガラタ塔に登った時である。暗い階段を降りる時、最後の一段を踏み外して転倒し、係りの人が椅子を持って飛んでくるなどの騒ぎになったことがあった。また、池田駅の出口の階段で、手すりを持って降りたのだが、もう終わりだと思って手を離したら、もう一段あって、前方に倒れ、右手の薬指一本で体を支えることになったこともあった。

 これらはバランス感覚が悪いということよりも、どうも視力が絡むようである。バリラックスの眼鏡をかけているが、階段を降りる時などは前下方を見なければならないわけだが、この種の眼鏡では丁度その辺りの視線が近眼用になっていて、遠くははっきり見えないようになっているのである。ただでさえ階段の下方は薄暗い所なのに、その上ピントが合わないのでは、つい最後のステップを見逃してしまい勝ちになるのではなかろうか。

 階段でなくても、視力が転倒に関係することもあるようである。昨日の転倒の場合にも、注意不足のためもあろうが、視力が悪くて周りが十分見えていなかったことも関係しているのかも知れない。私の左目は黄斑部分の障害で中心暗点があり、普通主に右目だけで見ているようなものなので、遠近感が鈍い。その上右目も老眼の上、軽い白内障もあることも関係しているかも知れない。

 自分では見えているつもりでも、大分見落としていることもあるのではなかろうか。昨日の他にも、以前に一度、やはり交差点の近くで、歩道わきに張られたチェーンに気がつかず、それに足を取られて転倒したこともあった。

 転倒が老人の命取りになることも多い。老人になるとバランス感覚が悪くなって転倒しやすくなっているのが普通である。その上に視力も悪く、視野も狭くなる。運動神経も鈍くなり、運動能力も落ちてくる。当然、老人はそれに応じた動き方をして、日頃から転倒には気をつけるべきであろう。

 老人になると自然と背骨が曲がり、前屈みになってゆっくりと歩く人が多くなるものであるが、それは老人に適しているのかも知れない。

 それに逆らって、自分は背骨も曲がっていない、歩くのも速い、などと見えを張って上を向いて急ぎ足で歩くのが危険なのではなかろうか。歩けば下を向いて、地面のデコボコや段差がわかりやすいし、ゆっくり歩けば倒れにくいし、倒れても衝撃が軽くなるであろう。

 歳をとれば、元気だと思っていても、見栄を張らずに老いの掟に従うことである。平地でも地面を見てゆっくり歩き、決して空を見て急ぎ足で歩いたり、慌てて道を横切ったりなどを考えないことである。

 骨折でもして寝たきりにならないためにも、これからは少し慎重に老人らしく歩くべきだと反省しきりである。