百歳老人には生きていけない熊本地震

 熊本に大地震があり、熊本城が崩壊したのがまだそれほど古くないのに、またしても熊本に震度7の大地震が起こり、イオンモールの爆発などもあり、この酷暑の中で被災された人々はさぞ大変だろうと思う。亡くなられた人々のご冥福を祈り、被災した方々に同情申し上げる他に何も出来ないのが情けない。

 ただ日々のニュースを見ているだけだが、仮に98歳の私が被災し、家を失ったとすれば、どうなっったであろうか? 恐らくは、最早生きてこの災害を乗り切ることは無理だったのではなかろうかと思わざるを得ない。

 8月3日の朝日新聞の天声人語に91歳の車椅子の母親について書いている。本当は避難所へ行きたい。でも、人が多い。車椅子は迷惑になる。人目も気になる、硬い床での雑魚寝、夏の暑さ、トイレ不足、プライバシーのなさで躊躇している例が挙げられていた。

 災害のショックに打ちひしがれて、特別暑い酷暑の中に放り出され、休む所も涼む所もなく、食糧も水も欠乏し、老人にとっては不可欠で、人には言えない特別手のかかる排泄もままなければ、命の縮むのは当然であろう。精神的にも落ち込んで、命を縮めることになるのは必定であろう。

 これまでの災害を見ても、災害による直接の死亡者よりも、災害関連死の分類に放り込まれる人の方が多いが、このような死者は対策の如何により減らしうるものである。日本のような地震の頻発、災害多発国では、災害が起こってからではなく、あらかじめ、災害に対する予防的な対策を強力に備え、災害による被害を少しでも減らす平素からの努力が必要なのではなかろうか。被災者の援助など平素から全国的な視野で準備しておくべきであろう。

 地球温暖化により気温の上昇ばかりでなく、海水位の上昇、台風、山火事などの頻発も考えておくべきであろう。備えあれば憂いなし。今後はもっと天変地異に対する予防的な処置や対策を国レベルで平時から準備しておくべきではなかろうか。当然、軍備拡張より優先すべき課題ではなかろうか。