平成はどんな時代だったか

 小渕官房長官が平成と書かれた紙を掲げて平成の時代が始まったのをつい先日のことのように記憶しているが、それから瞬く間に30年も経って、今度は令和の時代だという。

 世界中で年号を用いている国は今では日本以外にはないし、日本の外務省ですら、公式文書は西暦に統一しようという話が出たぐらい、年号を使うのは煩雑なだけでなく、間違いの元にもなりかねない。国民主権の世には時代遅れでもある。私も以前から出来るだけ西暦を用いて、昭和や平成はあまり使ってこなかった。

 それに今回の令和の元号の決定や、天皇交代の儀式、新紙幣の発行などは多分に安倍政権の仕組んだ世論操作の意味合いが感じられて気持ちが良くない。そんなこともあって、平成から令和へ変わるに当たっての世間の騒ぎには同調出来ないが、この際、過去30年の平成を振り返ってみるのも悪くはない。

 平成の時代はこの国が戦後の”繁栄”を終えて、新たな時代へと向かった時代といっても良いであろう。平成の初めはバブル経済で「JAPAN as No:1」とか、「一億総中流時代」と言われたりしたが、やがてバブルの崩壊、不景気となり、少子高齢化、人口減少の時代となって、以後ずっと景気低迷が続いて一向に良くなる気配も見られない。

 消費税導入、銀行などの統廃合 日銀の低金利為替抑制政策やアベノミクスと言われる景気浮揚策も効果なく、経済は停滞し、終身雇用制が崩壊し、不定期雇用が増え、国民の平均収入の減少などで明るい見通しはない。将来への明るい希望を持った人も少ない。

 そこへこの時代には、自然災害が多発、地震、噴火、台風、洪水、豪雪、酷暑などが頻発し、それにオウム真理教事件や原子炉爆発などまでが加わった。

 自然災害は主なものを挙げるだけでも、阪神淡路大震災新潟県中越地震原発爆発を伴った東日本大震災熊本地震大阪北部地震北海道胆振東部地震など、噴火では、雲仙普賢岳火砕流、三宅島噴火、新燃岳噴火、御嶽山噴火、それに台風は主なものだけでも、平成3年の18号、17年の14号、23年の12号、25年26号、28年の7、9、10号などがあり、その他にも、大雨、洪水、豪雪、酷暑なども加わった。日本人の傲慢を誰かが諌めているようだと思いたくなるぐらいである。

 特筆すべきは原発の爆発である。安倍首相は完全にコントロールされていると大見得を切ったが、未だに帰還困難地があり、故郷に帰れない人たちが何万人といる。しかも人災と判っていながら今まで誰も責任を取ろうとしていない。

 また沖縄の米軍基地の問題もずっと続いて来ている。沖縄県民の一致した反対を強引に押さえつけたままの辺野古基地建設の続行など、日米地位協定をめぐる問題については、政府には解決する意図も努力もないと言わざるを得ない。

 唯一良かったのは、天皇の言うように、30年間、近現代において初めて戦争を経験しないで済んだ時代だったことであろう。しかし、それも内実は、憲法遵守を盾に国外の軍事行動に参加することを拒絶してきた日本の立場が、大きく揺らいだ30年だったとも言えるであろう。

 戦争こそしなかったが、戦争の準備を着々と進めてきた30年だったのである。自衛隊の海外派兵から始まり、国連平和維持活動協力法、国際緊急援助隊派遣法、周辺事態安全確保法、テロ対策特別措置法などと次々に法律を制定し、やがて特定秘密保護法や安全保障関連法などに続き、集団的自衛権の行使を容認する国際平和支援法などまで制定され、最早、要請があればいつでも国外に行って戦える体制が確立しつつある。

 既にに自衛隊小泉内閣イラク派兵、安倍内閣南スーダンへの派遣などで戦闘に参加している状態にあるとも言えるのかも知れない。

 その上、アメリカの要請に乗って軍備を増強し、周辺国を仮想敵国化し、国境問題などを煽り、専守防衛の域を超えて攻撃できる空母や戦闘機、ミサイルなどの高度の武器を備え、先制攻撃さえ辞さない準備を整え緊張を高めている。

 もはや平成の時代には戦争はなかったけれど、戦争の準備は着々と進み、令和の時代も平成同様に戦争はなかった時代だったと振り返れるようになるかどうかかは甚だ疑問である。

 戦後70年以上も経って、戦争の悲惨さや、敗戦に惨めさを知る人も殆どいなくなり、日本会議神社本庁などをはじめとする右翼勢力による戦前回帰の趨勢が次第に力を増し、世間の空気も次第に戦前に似てきていることは極めて危険な兆候と捉えるべきであろう。

 私はそれまでは生きていないであろうが、今の世代が二度と戦争に巻き込まれることだけは何としても避けて欲しいものだと願うばかりである。