日本人、日本人といっても、いつでも、どこにでも、同じ人間がいるわけではなく、誰しも生まれてから成長し、やがて歳をとって死んでいく。こうして世代交代しながら、また居所なども変えながら、いつしか次の世代の人たちに代わって、日本人を継いでいくことになる。
また他所から入って来て、新たに日本人になる人もいれば、外へ出て行って日本人でなくなる人もいる。同じ日本人と言っても、かなり流動的で、世代交代も起こるし、内外の出入りもある。
その結果として、ある時代の日本人が出来上がるのだが、それでも、同じ日本人と言っても、生物学的な特徴にもばらつきがある。時代、時代によって社会も変わるし、生活も変化し続けている。それらいろいろな様子を考慮して、およそ平均当たりに入る多くの人たちのことを日本人と呼んでいるのである。したがって、日本人はこうだなどと言うような場合には、これらのことが前提となっていることを知らねばならない。
その上で、私の目に入った人々のおよその平均的な姿を日本人と呼んでいるわけだが、私の子供の頃の日本人の身体の特徴は、今と違い、背が低く貧弱な体格で、顔は頬が張り出し、のっぺらぼうで、鼻が低いとされてきたものだが、最近の日本人は背が高くなり、鼻も高くなって、昔の日本人とは隔世の感がある。
それもひと頃は、近頃の若い人は背の高い人が多くなったなあと思っていたが、近頃はもう若い人だけでなく、白髪の老人まで、すらっと背が高いのが普通になって来ている。それに、農業人口が減ったことに関係するのか、背の高くなった日本人で、昔のように強く腰の曲がった人はもう見かけない。
また昔は絶えず青っ洟を垂らしている低い鼻の子が多かったが、今はもう鼻水を出したり引っ込めたりしている子供はいなくなり、鼻筋の通った顔立ちの人ばかりになっている。
また、ヴェトナム戦争の頃にすでに、ヴェトナム人の引き締まった体格と比べて、だらりとした締まりのない日本人を見て、戦後までの日本人もあんなふうだったのにと思わされたものだったが、今はさらにそれが高じてじ肥満気味で締まりのないだらりとした体格の人が多くなっている。ただし、西洋人によく見られる極端な肥満の少ないのは救いのように感じられる。
こんなふうに同じ日本人と言っても、外観も、恐らくそれに伴って内部も、時代によってずいぶん変わってしまっているのである。テレビドラマなどでは、現在の俳優が時代劇なども演じているが、実際には物理的にだけでも、違っていたであろうことも考慮して見た方が良さそうである。
外形だけでなく、更に実際のその時代の人々の行動様式、考え方、社会のありようなども当然違ったであろうが、ここでは省略する。