先日書いたように、同じ老人と言っても、もう戦争を知らない老人が多くなってしまった。考えてみると無理もない。女房が今年、丁度90歳になるが、下の娘が60歳、その長女が30歳になる。孫ははいつまでも幼い子のような気がしているが、もうすっかり大人。昨年来日時には、私の生活の観察レポートを書いて、アメリカの新聞に載せていたこともある。
私が若い次の世代だと思っていた人たちは、今ではもう皆老人の仲間になっているのである。つい先日まで、この頃の若い人たちは背が高くなったなあと思っていたら、もう今では白髪の爺さんまでも、背の高い人が結構多くなり、もう若い人たちばかりでなく、日本人全体が背が高くなってしまっているのである。
既に、次の世代がもう社会から引退しつつある時代なのである。私の長女も、もう64歳で第一線を引退して、ニューヨークで暮らしているし、次女も三人の子育てを終えてから、離婚して日本へ帰って来て、私たちを助けてくれており、子供等の方が毎年会いに日本へやって来ている。
二世代下と言っても、もう殆ど皆が30代になっている訳である。今度の総選挙の立候補者を見ても30歳代の人等も結構見られる。我が孫たちも、皆それぞれに独立して仕事を持ち、一人前に生きている。30代で社長や役員、重要な役職についている人だっている。
もう次の世代の年金受給もはじまり、二世代下の人たちが社会を牛耳る世の中になりつつあるのである。もう我々の同世代はあらかたこの世を去ってしまい、ヨタヨタしながら少数の者が生き延びているに過ぎないことを自覚するべきであろう。
それにしても、先日の朝日新聞の俳句に「いつまでも生きる気がする秋の空」(中間市・櫻井健一)という句が載っていたが、つい同感したくなるのである。そう思いながら、ある日ころりと逝くのが一番良いのだろうか。