近頃、街に行ってつくづく感じるのは、この半世紀ですっかり人々の様子が変わってしまったことである。一言で言うならば昔と違って、最近の日本人は、同じ日本人と言っても、昔と違って随分体格が立派になり、しかも多様になったような気がする。服装なども様々になったし、外国人も普通に見られるようになって、余計に多彩である。
昔より平均して随分背が高くなったのが顕著な違いであるが、それが若い人だけでなく、次第に高年令層にまで広がってきている。もちろん、昔ながらの背の低い人もいるので、身長のバラツキが大きくなったとも言えよう。私が子供の頃は、日本人は平均して背が低く、今より均等であり、戦後に占領軍が来た時には、彼らの巨体を見て、よくこんな大きな奴らと戦ったものだと思ったものだったが、もうその頃とはすっかり変わってしまった。
以前にも書いたが、昔はたまたま電車に乗って、入り口のドアに頭がつかえるような背の高い人を見たら「ウヘー、高い人もいるものだなあ」とびっくりしたものであるが、今ではそのぐらいの背丈の人はいくらでもいる。昔なら、私でも満員の地下鉄に乗っても、周囲が女性であれば、頭越し、肩越しに向こうが見えたものが、最近は背の高い人ばかりで、男女を問わず全く見通せない。
それどころか、周りを若い男性に取り囲まれたりすれば、まるで壁の間に挟まれたようで、何も見えないし、窒息しそうな感じさえする。肩の高さが私の背丈より高い若者がいくらでもいる。ただ、そうかといって、今でも時には私と変わらないぐらいの男性もいるのが私を救ってくれている。
高さだけでなく太った人も増えたが、これについては、今でもアメリカ人のように太った人は少ない。それでも、昔と比べると太ってブヨブヨな感じで、腹だけ出ている男性が多くなったことは確かである。日本では、20台ではむしろやせ気味の男性が多いが、30歳後半ぐらいから肥え始め、40過ぎになると、中年太りになる人が多いようであるが、肥満の面から見ても、昔の日本人とは違って多様になってきている。
昔アメリカの漫画で、太った男と痩せた男のコンビや、大男と小男の組み合わせなどを見て、あれは漫画だからわざと誇張しているのだとばかり思っていたが、アメリカへ行ったら、本当にそれぐらい極端に違った人たちが普通に見られて驚かされたことがあった。
こういった体格のバラツキが大きくなったっだけでなく、服装も昔と比べると隔世の感がある。昔はどこへいっても制服が多かった。軍人や警察官などは勿論だが、小学校から大学まで学生は皆制服を着ていたし、サラリーマンも制服のごとき黒っぽい背広にネクタイ姿と決まっていた。冬服と夏服の衣替えが一斉に行われるのも見事であった。夏の男性は一斉に白の開襟シャツ姿であった。来日したドイツの知人が、日本では皆が一様で、色がないと言ったことを思い出す。
女性では昔から男より服装にバラエティがあったが、それでも制服姿も多かったし、そうでなくても、勤め人は地味な上着にスカートで、季節により一斉に衣更えをするのが普通であったし、一般の人も模様などは多彩でも、基本的な服装は一様であった。
そのような昔のことを思い出すと、今では街で見かける服装もすっかり変わり、それぞれの人の好みに合わせて好きなように着ている感じになった。学生の制服も殆どなくなったし、サラリーマンでも昔のように背広のネクタイまでしているのは、今ではセールスマンか、会社の幹部クラスぐらいになってしまった。
背広を着ていても、クールビスがはやるようになってからネクタイ姿が減り、背広でないカジュアルな服装の人が増えた。昔なら行楽の時にしか着ないような格好で会社へ行く人もいる。自由業が増えたこともあるし、退職後の高齢者で出歩く人も増えたのであろう。昔には考えられないぐらいのばらつきが服装にも見られる。
1961年に初めてアメリカへ行った時には、先ずは、すべてが大きいことに圧倒された感じであった。国も大きければ、人間も大きい、背が高いだけでなく、体重も私の二倍もある人がいくらでもいる。建物も大きければ、車も大きい。冷蔵庫も、食べ物や飲み物の容量も、果てはスイカや茄子などまで大きいのにびっくりさせられた。
しかし、もう一つ驚かされたのが、人々の外観のばらつきが大きなことであった。初上陸した港(当時はまだ船で行った)が5月のサンフランシスコであったが、道ゆく人を見ると、白人系から、メキシコ系、東洋系、黒人系と、人種も違えば、大きい人、小さい人、痩せている人から太っている人まで様々であった。
その上、服装もはるかにバラエティに富んでいる。女の人では、毛皮のコートを着た人のすぐ横を水着姿のような女性が歩いていく有様に目を見張ったものであった。当時は日本ではまだ衣更えの風習も残っており、制服が流行っていて、5月までは冬服で6月になると一斉に夏服になるといった風習があり、だいたい皆社会的に決まった同じような服装をしていたので、あまりの違いに強烈な印象を受けたものであった。
それが半世紀遅れて、今や日本もそれに近づきそうになってきていると言えば言い過ぎであろうか。天候の不順、温暖化などの影響も関係しているのか、一年の四季が二季になったかのようで、合服(間服)がなくなり、日本でも真夏の格好と、冬の服装が同時に見られるようなことさえ珍しくなくなってきた。
その上、最近は日本に住んでいる外国人も増えたし、外国からの観光客も多いので、街で見る人々の外見も昔と違って、ばらつきが大きくなったことも確かである。テレビなどで見ても、外国出身の日本人や、外国人で日本語の上手な人も多くあったし、スポーツ選手でも国際的に活躍する混血の日本人も多くなっている。
今でも単一民族にこだわる人もいるが、最早、日本人自体が変わり、混血も増え、文化もますます国際化し多様化して行きつつある。男女同権から始まって、LGBTの受け入れ、障害者や高齢者など弱者の権利の尊重なども進み、少子高齢化で人口減少のこの国では、外国からの移民もいずれ受け入れざるを得ないであろう。この勢いを止めることは出来ない。必然的にこれからの世界は多様化を支え、推進する時代になって行かざるを得ないであろう。
多くの移民を受け入れた先では、やがてヨーロッパのような問題も起こるかも知れないが、それを乗り越えた先の多様な人々こそがこの国の将来の発展の元になるのだと思う。この国では、未だに単一民族にこだわり、同調主義を唱え、「郷にいれば郷に従え」「 赤信号みんなで渡れば怖くない」といった傾向が強いが、入って来た異文化との対立を乗り越え、その先の多様性の融合こそが新しい世界を築くもとになるのではなかろうか。
縄文時代や弥生時代などの渡来人を受け入れた歴史などを見ても、多様な人々の融合こそが未来の発展を約束してくれるものであろう。