変化した電車の中の風景

 最近電車に乗っている時に、同じ電車の中の風景も、昔とは随分変わったなあと思わせることが多い。

 社会の少子高齢化の影響なのであろう、老人が多くなり、手押し車を押している人や、杖をついている人も普通に見られるようになった。外国人、それも東洋系の人たちも日常的な存在といっても良い。外見だけでわかる外国人もいるが、言葉を聞いて初めて判る外国人も多い。外国人の乗っていない車両はないと言っても良いぐらいである。

 それに、若い人の 背が高くなり、体格が良くなったのにも驚かされる。日本人は背が低いものだと思っていたが、最近では欧米人に勝るとも劣らないような人がいくらでもいる。それもそういう人もいるというより、むしろ、そんな人ばかりで、私のように小さい者が少なくなってきた感じさえする。以前にも書いたが、電車のドアに頭がつかえるような人も稀ではない。

 女性も同様で、昔、憧れとされた八頭身の女性も、今では当たり前の存在で、化粧も昔と違って上手くなったし、鼻まで高くなり、モデルのような女性が何処ででも見られるようになった。私より背の高い女性も多いどころか、女性でも、電車のドアに頭がつかえるような人までいる。

 都会の朝夕のラッシュアワー少子高齢化の影響か、以前のように超満員で、押し合いへし合いで、本も読めないというようなことは少なくなり、逆に老人層が多くなって、ラッシュを過ぎた時間帯での乗客は昔より増えたのか、ラッシュ時との極端な差が少なくなったのかなとも思う。

 昔は見られなかった乗客層で最近目につくのは、65歳から75歳ぐらいの前期高齢者の4−5人の男ばかりのグループである。定年を過ぎても、まだ元気なので、昔の友人と連れ出って、あちこち行こうという人たちである。この手の人たちは、仕事のストレスから解放され、体力はまだあるし、友人もいる。まだ金も時間もある。こういう人達の目を見ると皆輝いている。現役時代の、仕事に疲れ切って居眠りしがちなサラリーマンの眼とは明らかに違っている。

 乗客の服装も、いつの間にか随分変わってしまった。高度成長期の頃の日本の電車では、ネクタイを締め黒っぽいスーツを着たサラリーマンにあふれ、学生も黒い制服姿が殆どであり、その頃訪ねてきたドイツ人が日本には色がないと言っていたのを覚えているが、今ではサラリーマンの服装も変わってしまった。

 おそらく夏のクールビスなどの影響ではないかと思うのだが、最近はネクタイが減った。秋や冬になっても、スーツを着ていても、ネクタイをしていない人が多くなった。それに、スーツを着ていないカジュアルな格好で、仕事に行く人も増えたような気がする。今時、スーツを着てネクタイをきちんと結んでいるのは、営業マンと管理職ぐらいのようである。

 履き物も、昔は皮靴が優位を占めていたが、今ではズックの占める割合が多くなり、背広姿でさえ、靴がズックの人なども見かける。持ち物のカバンも同様で、革の鞄が減り、ズックのものが多くなった。また昔は珍しかったが、阪神大震災以後流行り、それがそのまま定着したのか、最近はリュックサックを背負った人がやたら多くなっている。大きなリュックは混んだ車内では邪魔になるので、車内放送で「リュックは前にかけて他のお客様の邪魔にならないように」という放送まで流れている。

 外観や持ち物だけでなく、車内での人々の仕草や行動も、昔と今では随分違っている。昔は夕方の電車の網棚は夕刊紙にあふれていたもので、電車に乗るなりそれを取って、また読む人も多かった。競馬や競輪の予想に熱中している人もいたし、その横では週刊誌のエロ写真を見ている人もいたものである。

 ところが今では、網棚は時に大きな荷物が乗せられているが、昔と違って、あまり使われていないようで空っぽのことが多い。戦後間もない頃に、人が網棚の上に寝ていた風景など、今では想像もつかないことであろう。

 昔は新聞と電車は切っても切れない関係で、朝の混んだ通勤列車内でも、その日の朝刊でビッグニュースを確かめる人も多く、あらかじめ半分に折り畳んだ新聞を、満員の車内で器用に扱って読んでいる人も多かったし、つり革に掴まり人に押されながらも、必死に?本を読んでいる人も少なくなかった。

 ところが最近はどうだろう。電車に乗れば殆どの人がスマホを見ていると言っても良い。夕方の電車で確かめて見ると、老若男女色々いても、皆がスマホを眺めているか、眠っているかと行っても良いぐらいである。本を読んでいる人は、時に見かける程度である。

 ひと頃のように、マンガ本や週刊誌を見ている人もいない。スマホで一体何を見ているのか、こっそり覗いてみると、一番多いのはゲームのようである。いい歳をした人までゲームに熱中している。こんなに一億総ゲームをしていて大丈夫なのかなと密かに心配になることもある。

 そのほか昔はなかったことで今見られる人々の車内での行動としては、車内での飲食と女性の化粧であろう。飲食から言えば、昔は携帯できる水分といえば、水筒か大きな魔法瓶ぐらいしかなかった。当然電車の中で飲む機会も少なかったであろうし、日本人の作法からも電車の中で水を飲んだり、物を食べたりすることは憚られた。

 しかし、最近では水はボトルで何処でもすぐに手に入るし、缶入りやパックの飲料も多い。日本人の作法も昔とは変わり、人前でも公然と飲んでも良いことになっている。この頃のように酷暑が続くと、水分補給が奨められる。社内でも、カバンの中からボトルを出して、水を飲んでいる姿も普通の景色になっている。

 それでも、私などには、車内での水分補給ぐらいは良いとしても、混んだ通勤電車内での食事となると少し抵抗があるが、最近では車内でコンビニで買ったパンやおにぎりなどを食べている人も結構多い。移動の間に食事を済ませて、生活の効率化を図っているのかも知れないが、食事ぐらい何処かでゆっくり食べるようにしてはどうかと言いたくなる。

 車内でのお化粧も同様で、時間の節約にはなるかも知れないが、昔は人前でお化粧するのは娼婦と決まっていた記憶からもお勧め出来ない。ただし、かって混んだ電車の中で、私の座っているすぐ前に立った女性が、次から次へと化粧道具をバッグから出したり入れたりしながら、揺れる電車の中で器用にお化粧していたのを見た時には、ただただその器用さに見とれるより他なかったことを思い出す。

 こうして見てみると、同じように電車が走り、同じように多くの人が乗り降りしながら、毎日同じような日常生活が流れていっているが、その内容はいつしか知らないうちに随分変わっていってしまっていることに気付かされる。こうしてこちらも歳をとっていくのであろう。