戦争放棄の平和憲法を持ちながら、最近の日本は軍事費を国家予算の2%にまで増し、専守防衛から、いつの間にか、敵基地攻撃能力とか、継戦能力保持だとか勇ましいことばかり言うようになったが、果たして、これまで軍備を増強して、平和維持どころか、本当に戦争が出来るのだろうかと心配になる。
戦闘能力が向上すれば、ある程度の戦闘は出来るであろうが、戦闘は当然戦争に繋がる。こうして戦争になったとしても、日本は戦争にも勝てる積もりなのだろうか。日本の抱える弱点についても知っておかねばならないであろう。
私が子供の頃、地球儀を見せられて、赤く塗られた日本列島が隣の中国やアメリカと比べて、如何にに小さな島国だと言うことを知らされた。
当時日本は中国に侵略していたが、その当時、はるかに発展の遅れていた中国で、日本軍は連戦連勝だったが、広い中国はどこまで行ってもキリがなく、とうとう日米戦争になって、結局日本は負けてしまった。
アメリカも大きな国土で発展した国だった。太平洋戦争の始まる前、祖母が「あんな大きな国と戦争して何が勝てるもんかね」と言ったのを未だに覚えている。
日本が小さな島国であると言う事実は変わりようがない。この小さな島国で、当時人口7000万だったが、「こんなに小さな島国でこんなに沢山の人を養えるわけはないだろう」と言われ、国策で南米への移民や、満蒙開拓団が進められていたのを納得したものであった。
戦後の発展のおかげで、今や1億2千万の人々が暮らしているが、平和で、産業の発展、海外貿易や交流が順調に進んでいるから可能になったのだと言うことを知っておくべきであろう。戦時中のように、海外との交流を絶たれると、忽ち国民は飢餓に見舞われ多くの人が餓死したことは、嫌と言うほど、経験させられたことである。
外国からの輸入で国民の食料を賄っているのが日本の現状であり、現在の食料自給率は30%に過ぎず、しかも、国内で育てられている農産物も、その種子は殆ど外国製で、それらも考慮すれば日本の食料自給率は10%ぐらいだとも言われている。もしも、戦争で外国との交通を遮断されれば、忽ち国民は飢えてお手上げなのである。
そうでなくとも、細長い小さな島国で、大都会に人口が集中している国では、関東、中部、関西、北九州あたりに水爆を4〜5発も落とされれば、それだけでもうほぼ全滅となってしまうであろう。
そうでなくとも、この小さな島国に原発が54基もあり、その原発は殆どが海岸線近くに固定されて存在しているのである。ICBMのようなものでなくとも、こっそりと近づいた潜水艦からのミサイル攻撃でも受ければ、もう防ぎよようもないであろう。若狭湾に並ぶ原発が攻撃され、破壊されて放射能が広がれば、もうそれだけでも日本は手を上げざるを得なくなるのではなかろうか。
しかも、日本は世界最高と言って良いぐらいな少子高齢化の社会でもある。現在でも65歳以上の人が全人口の30%近くを占め、今後更に増える。当然、兵士として戦える若者も少なくなり、先の大戦当時とは違って、兵員の確保も問題になるであろうし、戦いに対する社会の認容度も遥かに低い。今や日本は戦争には向かない国であることを認識すべきであろう。
それにもかかわらず、日本が惨めなのは、アメリカの属国である限り、自衛隊は米軍の指揮下にあり、米軍の意向に逆らって戦うことも、戦わないことも出来ないことである。米軍は米国の利害関係によって動くものであり、戦闘でも、有利な時には主導しても、不利とあらばいつでも逃げることが出来る。 それに対して、地元の国である日本の自衛隊は逃げられない。 嫌でもアメリカの代理戦争をさせられることになりかねない。
米国は自国の兵士が無傷で、大量の武器を売って大儲けのウクライナ戦争が忘れられずに、日本や韓国に代理戦争をさせようとする可能性が高い。現在の軍事費増強も、アメリカの指示によるものであろうし、第3次世界大戦を避けながら中国を叩くために、アメリカが日本に代理戦争をさせようとするのを如何に逃れるかが日本の今後の重要な進路となるのではなかろうか。
上述のように、日本はもはや戦争に耐えられるような国ではないことを知るべきである。米国の思惑をかわして、中国をはじめとする近隣国との善隣友好関係を維持し、経済やあらゆる交流を通じて共存共栄を追求していくことしか将来の発展のための道はなかろう。大事なことは軍備増強などより、外交的努力による善隣友好、共存共栄を図ることである。