6月23日は沖縄の決めた「慰霊の日」である。沖縄戦の戦没者の霊を慰め平和を祈る日として、1961年琉球政府が制定したものを引き継いできたものである。
沖縄戦で亡くなった多くの人々の霊を慰めるとともに、過酷な歴史の風化を止めて記憶を継承し、二度とこの惨禍を繰り返さないことを誓う日となっているが、今なお続く米軍駐留や、新たな対中国攻撃基地としての米軍や自衛隊の増強、それに伴う沖縄の人々の日々の生活への皺寄せなども改めて思い出す記念日となっている。
私にとっては、戦況ほもうどうにもならなくなってきていた沖縄戦当時、後は本土決戦で死を賭して戦うしかないしかないという追い詰められていった暗い状況だったことを思いだし、戦後にその悲惨な沖縄戦を知り、アメリカに占領された沖縄を見たくなかったので、沖縄復帰が済んでも、長らく沖縄には行きたくなかった。
後になって、ようやく行った時も、高台から遠くまで眺めた時の景色の異様さに目を見張ったものだった。緑に囲まれた良さそうな所は皆アメリカ軍の基地であったり、兵士や家族の住宅地帯で、その間の谷間のような所に密集した細々とした建物の繋がりが沖縄県民の生活場所なのを見て敗戦国の惨めさを感じないではおれなかった。
どちらが元々の住民で、どちらが駐留に伴って来た新参のアメリカ軍の占有地であるのか、全く主客転倒の棲み分けを見て屈辱を感じないではおれなかった。そのことがあったので、以来沖縄へは2度といく気がしないので行っていない。
テレビで沖縄の人が言っていたが、沖縄返還で皆が一番望んでいたことは、日本復帰によってアメリカの基地がなくなることだったと。なくならないまでも、もう少しは日本本土と同じようにアメリカの基地が減り、米軍による災害やトラブルも減るだろうとの期待は完全に裏切られたのだった。
それどころか近年は、対中国で基地は増強され、自衛隊による敵基地攻撃用の施設も作られ、非常時の住民の島からの避難訓練まで行われるようになり、再び戦火の匂いさえ感じるようになって来ている。
かっての沖縄戦の最後に、当時の牛島司令官が最後の報告で「住民たちはよく戦った、将来特別のご配慮を」とあったそうだが、今の政府の配慮がアメリカへの配慮ばかりで、住民に対してどれだけ配慮されてきたのか、もうすでに歴史が証明しているのではなかろうか。
日本政府はアメリカに対しては、米欧間との関係と比べても、これ以上ない配慮をしながら、国民である沖縄の人々に対しては苦しみを押し付けるだけで、何らの有効な人権や生活改善への配慮を欠いているのではないか。
沖縄の住民も同じ日本人である。最低限、日本本土の住民に対するのと同じか、それ以上の配慮があっても当然であろう。日本の政府は日本人のための政府である。対日本人優先の次に、対アメリカ施作も考えるべきではなかろうか。