頓珍漢な話

 長らく裸婦のクロッキーを描く会で一緒にやってきた仲間で、男性がプロの写真家で奥さんの方は趣味の絵描きという夫婦がいた。

 私がひと頃、写真の団体に属していたこともあり、また、クロッキーの会にもその夫妻が共に参加していたこともあり、お宅にも時々お邪魔したりもして、親しくして戴いていた。ところが男性の方がもう数年前に亡くなり、今は奥さんの方が一人で猫と一緒に暮らしている。

 ある時、その奥さんの話の中で、私が戦中、戦後に長らく住んでいた、天王寺茶臼山界隈のことが出て来たことがあり、どうして彼女が茶臼山あたりのことに詳しいのか気になったが、その時は他の人も交えた会話の中だったので、聞きそびれてそのままになっていた。

 ただ、彼女は若い時、銀行に勤めていたことを知っていたので、ひょっとしたら天王寺公園天王寺駅前からの入り口のすぐ北側にあった住友銀行の支店にでも勤めていたのかも知れないなどと勝手に想像したりしたが、そのまま忘れてしまっていた。

 ところが、つい先日クロッキーの会場で隣り合わせになった時に、ひょっこりそのことを思い出したので尋ねてみた。「どうして茶臼山のあたりのことをよく知っているのか」と聞いたのだが、返ってきた返事は全く頓珍漢で、話は全く噛み合わない。

 以前にその話を聞いたのはそんなに昔のことの様には思えないが、コロナでクロッキーの会も休みが続いたし、ひょっとしたらもう何年も前のことだったのかも知れない。突然の話題に戸惑ってついてこれなかったのかも知れない。

 いつの間にか二人とも歳をとって、今や私が九十四歳、彼女が九十二歳ということになってしまっている。私も最近は耳が遠くなって、テレビの音も離れていると聞きづらいし、聞き違えなども多くなっている。

 そんなことも無視して、唐突に以前からの調子で話しかけ、尋ね方が悪かったのかも知れないと思った。彼女の返事は、それとは全く関係のない、以前にも聞いたことのある自分の娘についての愚痴などが延々と続いた。仕方がないので、しばらく話を聞いてから、再度尋ねたが、やはり頓珍漢な返事が返ってくるばかり。耳が悪いのであろうか。

 何度か言い直してやっと話が通じたらしく、彼女が子供の頃に茶臼山か、隣の堀越町あたりに住んでいたことが分かった。「大道一丁目」だとか、「雲水」だとか、思い出を分かち合える地名や場所も出てきたが、彼女のいう「キリスト教会」は私には記憶がなかったし、私の言った「高橋医院や辻肛門科」は彼女には分からない様であった。

 ところが、折角そこまで話しても、私も茶臼山に住んでいたことを話したのに、どうもうまく通じなかったようである。繰り返したが、聞こえたのか、聞き取れなかったのか、あるいは関心が持てなかったのか、昔近くに住んでいたという「思い出の共感の様な反応」が全く得られなかった。

 お互いの住んでいた時間的なずれがあるのかも知れないが、同じ子供の頃と言い、歳も近いのだから、もう少しお互いの思い出を共有出来るのではないかと思ったが無理であった。

 応答の様子からみて、彼女の方も以前と比べて、大分聴力が落ちて来ているのではなかろうか。それに一人暮らしが長くなるので、認知機能の問題も絡んでいるのかも知れない。

 こちらの五感も悪くなっているし、コロナや年齢のために、私の発音も若い時の様に流暢とはいかない。90代の老人同士の会話はどうもお互いに頓珍漢になって、理解がずれている様である。歯がゆいことだが、老人同士ではこんなことも多いのではなかろうかと、つくづく思った。

 また機会を見て、再度、挑戦して尋ねてみようかと思っているが、果たして何処までわかることやら・・・。