この先日本はどうなるのだろうか

 先日稲田防衛大臣が文部省に教育勅語を教育に使ってどの部分が悪いのかという問い合わせをしたことが新聞に載っていたと思ったら、今朝の新聞には道徳や教育の基本方針として教材に教育勅語を用いることについて「憲法教育基本法などに反しないような形で用いることまでは否定されることではない」と政府が閣議決定したと出ていた。

 教育勅語明治天皇が臣民である国民に、天皇の命ずる教えに従うことを強いたもので、戦前の教育の基本理念とされてきたが、戦後、民主主義の日本になって、国会で排除、失効が決議されているもので、政府の都合で閣議決定などするべきものではないはずである。

 最近問題となっている森友学園が運営している幼稚園で園児が教育勅語を暗唱していたことがテレビだ報道されていたが、私は子供だった戦前の小学校で意味もわからず暗唱させられ、御名御璽で終わると最敬礼させられた当時を思い出し、身の毛がよだつ思いをしたばかりである。

 このような政府の下では、小学校で道徳教育が必須科目となったこともあり、教育勅語がその中に取り込まれていくことは必須であろう。近年の政府は法的には秘密保護法や、安保関連法、次いでは共謀罪の法制化を図って国民を縛り、北朝鮮尖閣諸島竹島などの問題を煽って周辺諸国との緊張を故意に高め、森友学園問題などでも馬脚を現した右翼勢力の伸長に手をかし、最近は過去の侵略戦争さえ全て正義の戦争とし、韓国の植民支配や中国侵略を否定しかねない主張までするようになってきている。

 ネットなどの右翼的な発言を見ていると、中国や韓国の悪口三昧で、戦争さえも辞さないような無謀な発言までが多くなってきているが、戦争の実態を知っているのか疑わしい。

 ここ数年、時とともに世情が戦前に似てきていることを感じてきたが、これ以上進むと戦前同様、もはや引き返しの効かない地点にまできてしまうのではないかと恐れる。戦前のあの暗い時代を知っているだけに、気が気でないこの頃である。

 戦前への復帰を望むのが右翼政府の願望のようだが、崩壊した大日本帝国と現在の日本国の違いも知っておくべきであろう。帝国の場合にはよかれあしかれ天皇陛下を中心とした独立国家であったが、現在の日本国は憲法よりも優先する日米安保条約に支配された従属国であり、最重要なことはアメリカの意向に従わねばならない仕組みになっていることが最大の違いであろう。

 次いで、日本を取り巻く周辺の事情も戦前とは全く異なり、特に中国が大きな存在になっていることも無視できない。国内的にも、今や少子高齢化が進み、戦争には向かない人的、社会的状況になっている。さらには核兵器やミサイル、AIを始め通信や電子関係の発達、宇宙関係その他、科学技術の発展が戦前とは比べものにならないことなども考慮しなければならないだろう。

 こういった状況の中では話し合いの解決か局所的な戦争しかありえない。それ以上の本格的な戦争は人類滅亡を結果するよりない。勝者のいない戦争になるからである。右翼の進む道に展望のないことは明らかで、それをできるだけ多くの人が認識することがこれから先、人々が平和で過ごせる唯一の道であろう。

 核戦争などで国土が全滅するようなことはもちろんだが、アメリカの政策に振り回されて局地戦などに引き込まれて故郷を再び灰燼に帰すようなことは、何としても避けて欲しいものである。

 私はもはやこの後そう長く生きることはできないだろうが、生まれ育ったこの国や地球の将来がどうなるかはやはり大きな関心事である。若い世代が正しい道を歩んでくれることを期待してやまない。