国に騙されるな

  私の95年の人生は17歳での日本の敗戦の前後でプッツリと両断されている。生まれてから敗戦の日まで、私は全く忠実な大日本帝国の臣民であった。世界に誇る万世一系の皇統を継ぐ天皇陛下を現人神として崇め、よくぞこの国に生まれて来たものだと信じ込まされていた。

 日本の侵略戦争が始まったのが昭和5年(1930年)、私はその2年前の昭和3年生まれなので、日本の軍国主義の真っ只中で育ったわけで、他の世界を全く知らず、言わば皇国日本に純粋培養された様なものであった。

 学校では教育勅語や124代までの皇統を暗記させられ、君に忠、親に孝をたたき込まれ、この皇国に生まれたからには天皇陛下の御為には、民の命は鴻毛の如く軽く、一旦緩急の時には一命を捧げ、天皇陛下万歳と言って死ぬことを夢見て、海軍兵学校に進み、戦争がもう半年続けば、ほぼ確実にに死んでいたところであった。

 従って、私にとっての敗戦は、単に日本が負けたというものではなかった。それまでの私の全てが否定されてしまったのである。全てを失ってしまった。それまで一緒に忠君愛国と言っていた人たちが急に態度を翻し、まるで天皇も軍人も忠君愛国もなかったかのように、それぞれ、てんでばらばらに命を繋ぐために、買い出しや闇市へと動き、半ば無政府状態で、世は進駐軍と称された占領軍に支配されることになった。

 日本の経済は完全に破壊され、国民は塗炭の苦しみを強いられ、戦災孤児は浮浪児となり、餓死者も多く、芋の買い出しや、アメリカの牛の飼料であるララ物資でようやく飢えを凌ぐ有様であった。私は完全に孤立し、ただ生きているだけであった。生活が苦しいのではなく、生きて行く精神的な支えを完全に失ってしまったのであった。

 毎日当て所もなく闇市などを放浪し、誰も信用できず、ニヒルな生活に陥っていた。どうせ人類はいつかは滅びるものだ。生きる意味などあるか。自殺者も多く、死ぬことも考えた。もう少し様子を見てからにしても良いのではないかという好奇心がかろうじて命を繋いでくれた。キリスト教の牧師なとも言い合ったが、先刻、神にも仏にも裏切られた者には聖書を読む気も起こらなかった。

 こうした虚脱状態が長らく続いたので、旧制の高校時代は殆ど授業も受けず、巷を放浪するだけで、周囲に戦争孤児ではないかと思われたこともあった。医者になろうと思ったのも、自分の精神の歪みに関心が強くなり、精神科の医師になろうと思ったのがきっかけであった。

 医学部の一年の頃にはまだ虚脱状態が残っており、試験は一夜漬けの暗記で過ごしたが、病理の実習時には、当時まだ顕微鏡が足らず、交代で見る様な状態であったが、私はよいからと言って友人に見るのを譲っていたことを思い出す。

 医学に本当に興味を持ち始めたのは3年になってポリクリで患者さんに接する様になってからであったろうか。その頃になってようやく戦後の虚脱状態から抜け出し、積極的に勉強も出来る様になってきたのだった様な気がする。

 長い戦後であった。ようやく新しい夢も持ち、積極的に生きられる様になってきたが、根底にはニヒルな思想がどこかに続いている様な気がしてならない。人の精神はそう簡単に入れ替えられるものではない。子供に嘘を教えることの危険性を身をもって知らされた様なものである。

 過ぎた事は仕方がないが、政府は常に国民の利害のために動くものではない。自分たちのために、今も古い誤った日本の再現を夢見て、それを人々に押し付けようとしているる人達もいる。若い人達はどうか騙されずに、事実に基づいた歴史を知り、批判力を養い、二度と私たちの世代が経験した様な苦い思いを繰り返して欲しくないものである。