2014-01-01から1年間の記事一覧

散歩と徘徊の違い

新聞に「徘徊に行ってきますと出る散歩」という川柳が載っていた。 この川柳の作者はまだ元気なようなので、諧謔を解して徘徊と言って散歩を楽しんでおられるようだが、老人によっては散歩も徘徊と間違われるし、認知症の場合には散歩に行くと言って出ていっ…

戦争責任を振り返る

映画監督の伊丹十三を憶えておられる方も多いと思うが、そのお父さんで大江健三郎の義父でもある伊丹万作も戦前に映画監督をし、脚本やエッセイなども書いた多才な人だったようである。この人が戦後に多くの人たちがずっとわれわれは政府に騙されて来たんだ…

人口減少社会

少子高齢化が進み、日本の人口は今後次第に減少し、このまま進むと五十年後の二〇六十年には八千万人ぐらいに減ってしまうそうである。それに対して知事会は地方の崩壊を恐れて非常事態宣言を出し、政府も危機感を感じ、その時にも何とか一億の人口を維持す…

皆既月食

昨夜は夕刻六時半頃から夜の九時頃まで三年振りかと言われる皆既月食を見た。初めはベッドの窓辺りから見ていたが、後半はベッドに横たわって窓越しに目をやった。昨夜は雲も殆どない晴天だったので良く見えたし、丁度風邪を引いて一日静養していた日だった…

アートは消費

毎年秋は美術の秋とかいって、どこもかしこも美術展で大賑わいである。専門家たちの美術館などでの大掛かりな美術展から、素人の画廊などを借りてのグループ展や個展まで数え上げれば切りがない。 もともと人はヘタでも何かで自分を表現したい欲望をもってい…

欲しがりません勝つまでは

昭和3年生まれなので、昭和6年の満州事件から昭和20年の敗戦まで続いた戦争の中でまるまる大きくなったような私にとっては、子供の頃の思い出は全てと言っていいぐらいどこかで戦争と繋がっている。 小学校一年の国語の本は片仮名で最初が「サイタサイタサク…

いじめはなくならない

1986年だったかにいじめを気にして中学生が自殺した頃から学校でのいじめが問題となり、文部科学省もその対策に乗り出したが、表面的にはともかく未だにいじめの問題は解決には程遠い。 いじめは昔からあったもので子供にいじめはつきものだというぐらい…

うらやましい死に方

私の住んでいる池田市で行われる例年の池田市展が今年は新しく建て替えられた公民館で開催されることになり見に行った。この新しい公民館には池田市の図書館の分室も出来たのでついでに覗いてみた。小さなスペースだが一応いろいろな本も並べてあり、本の貸…

自己欺瞞

どうも日本では具合の悪いことは違う言葉に置き換えて誤摩化してしまうことが他所の国より多いような気がする。 明治の時代にも、明治維新は英語でいえば革命と同じRevolutionであるのに、あえて「御一新」は革命ではないとして、古い言葉から探して来て維新…

離婚禁止法

最近某大臣が人口減少の対策として離婚禁止法を作ればと言ったことを耳にした。 誰が言ったのか知らないが、政治家でありながら社会や時代の変化の読めない人だなと感じたし、法だけで経済や社会のの基本的な流れをを変えられると思っているのかと少し呆れた…

最後の晩餐

私が生まれたのが昭和三年。この年は日本の関東軍が張作霖の乗った列車を爆破した年で、翌年には世界の大恐慌がおこり、昭和六年には満州事変が勃発、やがてそれが日中戦争から第二次世界大戦へと続くこととなる。そして昭和二十年の敗戦の時に十七歳だった…

百歳以上が五万八千人

昨日の新聞によると国の統計で百歳以上の人が五万八千人になったとのことである。確か一昨年は四万七千人になったとか言われてびっくりしたことを憶えているので、毎年四〜五千人ぐらいのペースで増えていることになる。これだけ多くの人が百歳以上も生きら…

一期一会

昨日は中秋の名月。一昨夜と昨夜と続いて良い天気で月を眺めることが出来ました。 一昨夜は雲一つない夜空に満月だけが浮かび周りも黄色く照らしていましたが、広い残りの空は真っ暗でなんだか月がひとりぽっちで寂しそうでした。それに対し、昨夜は空一面に…

病人の数は人口より多い

昔と比べて感染症が減り、平均寿命が長くなり、高齢者が増えるにつれて病氣を持った人も増え、今では各種のガンを除いても、高血圧や糖尿病、動脈硬化、慢性閉塞性肺疾患、それに骨粗鬆症や認知症など慢性で直り難く持病とも言えるような病氣が増えて来た。 …

日中戦争(支那事変)の頃

盧溝橋事件を契機に日本軍がまたしても中国で軍事行動を起したのが1937年、昭和12年7月7日のことであった。私が小学校3年生の時であった。政府は始めは不拡大方針と言っていたのにいつしかどんどん拡がり、そのうちに「蒋介石は相手にせず」などと…

バトンドールやグランドカルビー

この間、甥が来た時にお土産にグランド・カルビーなるスナック菓子を貰った。日頃菓子にはあまり縁のない私にはどんなお菓子なのか話を聞くまで知らなかったし、食べてみるまで実態も掴めなかった。 奇麗な外箱にはグランド・カルビーと書いてあり、外箱を開…

超ミニスカート

最近の若い女性は殆どと言ってもよいぐらい短い超ミニスカートか超短いパンツを穿いている。日本だけでなく、アメリカでも同様で私の孫たちもそうだし、心斎橋などで見かける中国からの観光客も同じ格好をしている。どうも世界的な傾向で、もうここ数年は続…

天皇は神様だった

日本が戦争に負けるまで天皇は神様だった。その神様が治める国だから日本は神国であり皇国とも呼ばれた。従って軍隊は皇軍、国民は皇民とされた。皇居は宮城と呼ばれた。 しかし天皇も現に生きている人間であったから現人神(あらひとがみ)と言われた。 神…

アメリカのために死ねますか

「集団的自衛権」の本質は「アメリカのために死ねますか」ということを考えてみるとよくわかるであろう。よその国のために、それも昔、敵国でさえあったアメリカのためにどうして命を捧げなければいけないのであろうか。 集団的自衛権の集団の主人はアメリカ…

広島の土石流災害

先日の集中豪雨によって広島郊外の住宅地で起こった土石流による被害は死者に行方不明者を合わせると百人近くにもなるらしい。新聞によると長さ11キロにわたって50ヶ所もの山裾が崩壊し、土石流が多くの住宅を押し潰したという。 まだ明けやらぬ真っ暗な…

二宮金次郎

戦前の小学校には何処にでも校門を入った近くに二宮金次郎の像が立っていた。私の知っている限りではどれもあまり大きなものではなく、身の丈一メートルばかりの像が台座に乗せられているものであった。一説によると子供に一メートルとはどのぐらいの長さか…

戦前への逆戻り?の不安

昨日の敗戦記念日の政府主催の戦没者慰霊祭で安倍首相は遂に戦争に対する反省や不戦について一言も触れなかった。 国民の多くが東日本大震災に続く秘密保護法や集団自衛権等の政治的な動きを戦前の関東大震災に続く治安維持法から第二次世界大戦への動きに重…

教育勅語

日曜以外の休みの日を何となく祝祭日と言っていたが、戦後法的に決められた祭日はなくなったそうである。今あるのは日曜か祝日だけである。 年間の祝日の数は2016年から8月11日が山に日になることが決まっているのでそれを合わせると年間16日になるら…

69回目の敗戦記念日

今日は69回目の敗戦記念日。あの日も暑い夏の青空だった。もう負け戦の様相は覆い隠すすべもなく、いよいよ「最後の決戦、最後の決戦」と叫び、天佑神助にすがるしかなかった戦況の下では、もう公然とは「負ける」とは言えなかったので「どうにかなる」と…

興亜奉公日

もうこんな言葉を憶えている人も少なくなったであろう。 1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件から日中戦争が始まり、始めは不拡大方針と言っていたのにいつの間にかどんどん拡がっていった。 東洋平和のため、満州は日本の生命線、満蒙開拓など子供た…

八月は特別な月

毎年八月になると嫌でも惨めな敗戦を思いだす。 真っ青な空にむくむくと沸き上がる入道雲と打ち上げ花火がその象徴。 八月六日の原爆投下時も雲一つない朝の青空だった。 ピカッと光った閃光に続いてドーンという地響き、 その後むくむくと立ち上った原子雲。…

夏のバンクーバーで気が付いたこと

7月下旬から8月の始めにかけて家族が集まるためにまたアメリカへ行った が、今回は西海岸の大きな都市で唯一まだ行っていなかったバンクーバへ立ち 寄ることにした。 誰かがサンフランシスコよりバンクーバーの方が好きだと言っていたが、その 通りで、バ…

原爆投下から69年

原爆の日からもう69年も経った。それでもあの日のことは 今も忘れない。雲一つない晴天の朝だった。午前八時十五分 江田島の海軍兵学校にいた私は朝の自習時間であった。突然 屋内にまで届くピカとした稲光に続いてどかんという爆発音。 驚いて外へ出た時…

徴兵検査

安倍政権による集団自衛権行使の閣議決定がされ、自衛隊が外地で殺し、殺されたりする戦争に巻き込まれることになると、これまで人を殺した事のない自衛隊が変わり、外国で戦争等するようになると、自衛隊への応募者が減るので、やがては徴兵制が引かれ、若…

2014年SUN77展発表作品

今年のSUN''77展の写真です。タイトルは“On The Road"で、roadのworn out, cracked and fragmented white line と human lives を かけたものです。