アメリカのために死ねますか

 「集団的自衛権」の本質は「アメリカのために死ねますか」ということを考えてみるとよくわかるであろう。よその国のために、それも昔、敵国でさえあったアメリカのためにどうして命を捧げなければいけないのであろうか。

 集団的自衛権の集団の主人はアメリカである。アメリカの許可なく日本が戦争をすることは出来ない。自衛隊はアメリカの指揮下にあり、アメリカと無関係に戦争など出来ないようになっている。アメリカは日本に司令部を持ち、日本の自衛隊を統括しているといってもよいのではなかろうか。

 集団的自衛権について政府や議会で行われた論議はすべて個別自衛権の範囲のことばかりであったように思われる。

 集団的自衛権はアメリカが自国の軍隊の負担を減らすために、ヨーロッパでNATOの軍隊を利用しているのと同様に、アジアでも日本の軍隊を目下の同盟軍として利用しようとする要請に応えるためのものである。

 これによって自衛隊は日本の利害にあまり関係のないアメリカの関係した紛争にも出動させられることになる。イラクアフガニスタンウクライナなどのアメリカの軍事作戦にはいつもNATO軍が参加させられていることを見てもよくわかる。「国際的貢献」というのがそれである。

 そのためにドイツ兵もアフガニスタンで多くの戦死者を出している。集団自衛権を打ち出せば、次にアメリカからの要請があれば国際的貢献ということで自衛隊も出動要請を断れない。その時には政府はわが国の防衛に不可欠だと言うであろう。

 戦争に行かない閣僚や政治家はよいが、自衛隊は日本に直接関係のない戦争のために駆り出され、知らぬ国に送られ、アメリカの命令に従って、本来直接の利害関係もない人たちを敵にまわし、人を殺し、街を破壊し、人々の恨みを買って、自衛隊隊員にも戦死者が出かねないはめになる。日本で報復のためのテロが起こらないとも限らない。

 ここまでしないと日本は生きていけないのだろうか。アメリカと対立する必要はないが、これまで平和憲法で避けて来た道を変えてまでアメリカに諂う必要もないのではなかろうか。日本と中国や韓国など近隣諸国とは戦わねばならない必然性はなんらない。アメリカの戦争にまで付き合わなくとも生きていく道はあるのではなかろうか。