今日は69回目の敗戦記念日。あの日も暑い夏の青空だった。もう負け戦の様相は覆い隠すすべもなく、いよいよ「最後の決戦、最後の決戦」と叫び、天佑神助にすがるしかなかった戦況の下では、もう公然とは「負ける」とは言えなかったので「どうにかなる」としか言えなかった炎天の下の日々。いよいよ死ぬ日も近づいたかとさえ考えるようになってきていた海軍兵学校の生徒だったあの日。
聞きづらい天皇の言葉の後の校長の訓辞。「われわれは何とも申し訳のしようもないことをしてしまった。君たちは将来かならずこの仇を討て」というような内容であったと思う。大日本帝国に純粋培養されたような私は本気で天皇陛下の御為には命を投げ出して戦おうとしていたので、どうしてよいか分からなかった。世界ががたがたと崩れていくのを感じた。神も仏もなくなった。虚空に放り出されるのを次第に感じさせられていった。
あれからもう69年、早いものだが今でもつい先日のごとく忘れられない。誰かが書いていたが、「人生のある時期をくり返し味わい返して生きるということは、非常に不幸なことだと思うんです。」としても私の人生の最大の屈折点を思いださずにはおれない。
今日も政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われる。戦後食糧を買い出しにいった時に出逢った8月14日の大阪城の砲兵工廠の爆撃で娘を失った女性が「戦争がもう一日早く終わっていたら・・」といって涙した顔が今も忘れられない。広島で出会った原爆被害者もいた。戦後の親を戦争でなくした浮浪児、傷痍軍人、焼け野が原の都会。惨めな姿が忘れられない。敗戦当時のことが次々に頭に泛かんでくる。
しかしいつも不思議に思うのは日本人の犠牲者だけを追悼するだけでよいのだろうかということである。この戦争はことの始めは支那事変(日中戦争)から始まっているのである。中国でも東南アジアの国々でも日本が攻めていった国の人たちも同じような悲惨な目に遭った多くの犠牲者がおられるのである。
南京事件などが言われるが、住んでいる所で戦争があったらどんなに悲惨かは沖縄戦でよくわかる。外国で戦争の犠牲になった多くの人たちも日本人となんら変わりがい。
戦争の犠牲になった人たちには敵も味方もない。同じ人間としてその死を悼み、同じように追悼することこそが平和を祈念することではなかろうか。
自国民の犠牲だけを悼み他国の犠牲者を返り見ないのでは、片手落ちではなかろか。心に平和を願い戦争を憎むのであれば、総ての犠牲者は同じである。被害は忘れ難くとも加害は容易に忘れ去られ勝ちである。
二度と愚かな戦争を止め、世界の平和を誓うためには、この国の犠牲者だけでなく、世界中の戦争犠牲者をともに追悼することが当然なのではなかろうか。