毎年八月になると嫌でも惨めな敗戦を思いだす。
真っ青な空にむくむくと沸き上がる入道雲と打ち上げ花火がその象徴。
八月六日の原爆投下時も雲一つない朝の青空だった。
ピカッと光った閃光に続いてドーンという地響き、
その後むくむくと立ち上った原子雲。
この眼で見た原爆。未だに網膜に焼き付いたままである。
何日か後で見た焼け野が原の広島の悲惨な光景も。
今でも空高く沸き上がる入道雲を見ると原爆を思いだす。
そして花火は焼夷弾。見上げる空から火の雨が降った三月十三日の夜。
裏の寺が燃え出してもどうすることも出来なかった歯痒さ。
やがて四方を火に包まれて、石垣を登って逃げた公園の美術館。
そこから眺めた大阪の町はあちらもこちらも火の海。
空中から一面に火の降る景色はまさに地獄絵。
おかげで今でも花火は真下で見れない。
それから八月九日が長崎の原爆日で、十五日がお盆もなくて敗戦日。
沸き立つ雲の嶺に消えていった特攻機もあった。
真夏の晴天下に並んで、聞き取り難い天皇の録音を聞かされた暑い一日。
天佑も神助もなかった。遂に神風は吹かなかった。
軍国少年の総てが奪われた。夢も希望もなくなった。
「取り返しの出来ないことをしてしまった。君たちの世代にはきっと
仇を討て」と言われたけれど、
周りにいた変わり身の速い人たちは忽ち何処かへ行ってしまった。
私はひとり取り残され、虚空の中に放り出された。
世界の終だった。
以来お盆は失った過去の自分の弔いの印となった。
盆が過ぎれば波が高くなり、人のいなくなった海岸には波の音だけが聞こえ、
やがて法師蟬が啼き、送り火があって、虫に声が聞こえ始めて夏が終わる。
国敗れて山河あり
あれからもう六十九年。
新たに生き直るには時間がかかったが、
よくここまで生きてきたものだ。
四季は繰り返すが、歴史は決して繰り返さない。
失われた無念の命とともに記憶だけが残る。
過去の悲惨を栄光に変えるな、
未来の栄光のために過去の悲惨に学べ。
勝っても負けても今度戦争が起これば世界が亡びる。
戦争だけは二度とするな。